第4章 自助会という名の遊び
◆Scene 1:廃工場の鍵(午後3:17・西東京市)
雨上がりの空気が錆びた鉄の匂いを運んでくる。
藍はスマホの地図アプリを見ながら、廃工場の裏口に立っていた。
「ここ…本当に使ってないのかな?」
ドアを押すと、軋んだ音と共に開いた。
中は思ったより広く、天井から差し込む光が埃を浮かび上がらせていた。
床には古い工具や壊れた機械が散らばり、壁には10年前のカレンダーがまだかかっている。
「翔太さん、ここ見つけたの?」
振り向くと、翔太がコンビニ袋をぶら下げて入ってきた。
「ああ。就活で途方に暮れてた時、ふらっと入り込んだんだ。
誰も来ないから、たまにここで弁当食ってる」
彼は床に新聞紙を敷き、コンビニの揚げ物と缶コーヒーを並べた。
藍はその様子を見て、ふと笑った。
「翔太さん、意外と几帳面なんだね」
「廃棄弁当生活してると、衛生面には気を使うよ」
二人は黙って食べ始めた。工場の奥から水の滴る音が響く。
◆Scene 2:AI依存症自助会(午後4:33)
藍がタブレットを取り出す。
「じゃあ…今週の『成果』を発表します」
画面には、Magic Canvasが生成した「新作イラスト」が映し出された。
『海辺の少女』というタイトルで、夕日を背にした女の子が描かれている。
「テーマは『ノスタルジア』。
AIに『懐かしさを感じる絵』って指示したら、これが出てきた」
翔太は首を傾げた。
「綺麗だけど…藍さんらしくないな」
「らしくない?」
「うん。藍さんの絵って…線がちょっと震えてるんだよ。それがいいのに」
藍の手がタブレットの縁を握りしめた。
「…私の絵、見たことないくせに」
「SNSに上げてたでしょ? 2年前の」
藍は驚いたように目を丸くした。
翔太はスマホを操作し、彼女の古い投稿を表示させた。
受験期に上げた手描きのスケッチ。確かに線は不安定で、構図もぎこちない。
「なんで…そんな昔のもの見てるの?」
「だって」
翔太は照れくさそうに頬を掻いた。
「AIが描いた絵より、こっちの方が『藍さん』だと思ったから」
工場の窓から差し込む夕日が、タブレットの画面を照らす。
AIの描いた完璧な絵と、藍の古いスケッチ。
並べてみると、後者の方が確かに「温かみ」があった。
◆Scene 3:廃工場の夜(午後7:02)
日が暮れ、工場内は薄暗くなっていた。
藍は懐中電灯の明かりを頼りに、スケッチブックを開いた。
「久しぶりに…描いてみようかな」
鉛筆の先が紙に触れる。線を引こうとするが、手が震えてうまくいかない。
「…やっぱり無理だ」
「焦らなくていいよ」
翔太が隣に座り込んだ。
「AIみたいに一発で完璧に描けなくたっていいじゃん」
「でも…」
「俺だって、HototoGISなしじゃ文章書けないもん」
翔太はスマホを取り出し、新規メモを開いた。
「ほら、一緒にやろう。俺は文章、藍さんは絵。AIなしで」
藍は深呼吸し、再び鉛筆を握った。最初の線はやはり震えていた。二本目も、三本目も。でも四本目は少しだけまっすぐ引けた。
隣で、翔太が唸りながら文字を打っている。
「『今日、廃工場で絵を描いた。線が震えてうまくいかないけど』…うーん、これで合ってるのか?」
藍は思わず笑った。
「それ、全然文章になってないよ」
「だよね! でも…まあ、これが俺なんだ」
ふと、藍のスケッチブックに目をやる。そこには歪んだ顔の輪郭が描かれていた。
「…母の肖像画?」
「うん。でも、全然似てないでしょ」
「いや…目元がそっくりだよ」
翔太は藍の絵を真剣に見つめた。
「藍さん、お母さんのこと嫌いなわけじゃないんだよね?」
「…どうしてわかるの?」
「だって、絵に優しさが滲んでるもん」
藍の手が止まった。鉛筆の先から、小さなシミが紙に広がる。
「受験失敗した時、『あなたには才能がない』って言われたの。それから…描けなくなった」
翔太は黙ってスケッチブックを見つめ、やがて呟いた。
「才能なんて…AIにだってあるんだよ。人間に必要なのは、才能じゃなくて…」
「…思い切りだね」
藍が完成させた文は、翔太が言おうとした言葉そのものだった。
◆Scene 4:帰り道(午後9:45)
最寄り駅まで歩く道中、藍がふと尋ねた。
「翔太さんはどうして就職活動やめたの?」
「面接でね…『自己PRを30秒で』って言われたんだ」
翔太は空を見上げた。
「で、俺はHototoGISに考えさせた。そしたら面接官、『ではそのAIに採用面接を受けさせてください』って…」
「ひどい」
「いや、正論だよ。AIの方がよっぽど『完璧な新卒』だもん」
踏切の警報機が鳴り始め、遮断機が降りてくる。
「でもさ」
翔太は遮断機の向こうに電車のライトを見つめながら言った。
「AIにはできないことが、俺らにはあるはずだ」
藍はスケッチブックを鞄にしまい、頷いた。
「来週も…自助会やろう」
「ああ。今度は俺、HototoGISなしで小説の一章書いてみる」
電車が轟音と共に通過していく。その音に押し流されそうになりながら、藍は思った。
(この気持ち…AIには生成できないんだ)