第3章 アルゴリズムの悪戯
◆Scene 1:運命のバグ(午前1:34・翔太のアパート)
雨音が窓を叩く深夜、翔太のスマホが不自然に明るく光った。
通常なら通知はオレンジ色の優しい光で知らせるはずなのに、今回は警告のような青白い閃光だ。
「PaiRアプリの...システムエラー?」
画面には見覚えのないプロフィールが表示されていた。
藍という22歳の女性。趣味欄には「油絵とジャズ鑑賞」、職業は「フリーランスイラストレーター」。
完璧すぎるプロフィール写真の笑顔に、どこか人工的な違和感を覚えた。
《マッチング成功率98.7%》という異様に高い数値の横に、小さな注釈がついている。
〈学習データ不足による推測補完プロフィール〉
「つまり...AIがでっち上げた嘘の共通点か」
翔太は冷めたコーヒーの底に沈んだ粉末を見つめながら考えた。
この1年、就職活動の失敗を重ねるうちに、自分自身のプロフィールを書く能力を失っていた。
HototoGISが生成する「理想の自分」をコピペするだけの日々。
「でも...」
指が「いいね」ボタンの上で止まった。
藍のプロフィールに表示された「好きな作家」の欄に、HototoGISが先週翔太に押し付けた「アンディ・ウォーホル」の名前があった。
「こっちも完全にAI生成のプロフィールだよな...」
ふと、鏡に映った自分が他人のように見えた。
髪は寝癖だらけ、目尻には疲れの跡。SNS用に加工した写真の自分と、現実の自分との乖離がますます大きくなる。
◆Scene 2:美術館前の待ち合わせ(午後2:07・国立新美術館)
雨上がりの路面が鏡のように光る中、翔太はARグラスの調整を繰り返していた。
HototoGISが生成した「美術鑑賞の心得」が視界に流れていく。
『現代アートの批評で使えるキーワード:
・脱構築
・オリエンタリズムの再解釈
・資本主義的記号論...』
「馬鹿みたいだ」
ふと視界の端で、白い傘をさした女性が立っているのに気づいた。
藍だ。SNSのプロフィール写真よりずっと小柄で、傘の柄を握る指先に力が入りすぎていた。
「あの...翔太さん?」
声は想像以上に低く、震えが混じっている。
翔太は咄嗟にARグラスを外し、HototoGISが用意した台本を頭の中で消した。
「うん。藍さん...だよね? その...雨の中、来てくれてありがとう」
ぎこちない会話の後、二人は黙って美術館の入り口に向かった。
翔太の背中に冷や汗が伝う。このままHototoGISの台本通りに振る舞うべきか。それとも...
◆Scene 3:展示室での対話(午後2:34・企画展示室「AIと芸術」)
3番目の展示室で、藍が突然立ち止まった。
壁に掛かったのは、AIが生成した「ゴッホ風」の風景画だった。
「これ...私が使ってるMagic Canvasと同じアルゴリズムだ」
翔太は思わず本音を口にした。
「AIが描いた絵なのに、美術館に飾られるって...変な感じだよね」
藍の肩がぴくりと動いた。
「翔太さんも...AI使ってる?」
二人の会話が途切れた瞬間、館内アナウンスが流れた。
『本展示は、人間とAIの共創による新たな芸術表現を...』
「あの...」
藍が小さく呟いた。
「私のSNSの絵...全部AIが描いたの」
翔太の呼吸が一瞬止まった。
まるで鏡を見ているような感覚に襲われた。
「僕の経歴も...全部HototoGISが作ったキャラクターなんだ」
展示室の照明が突然明るくなり、AI生成アートの緻密なディテールが浮かび上がった。
完璧すぎる筆跡。人間の手では再現できない均一なタッチ。
「本物みたいで...本物じゃない」
藍の指がガラスケースに触れた。
「私の絵なんて...こんなのよりずっと下手なのに」
◆Scene 4:雨のコンビニで(午後4:20・美術館近くのファミリーマート)
豪雨の中、二人は駆け込んだコンビニで黙って肉まんを頬張っていた。翔太がふと尋ねた。
「藍さんは...本当は何が好きなんだ?」
藍は熱々の肉まんを転がしながら考えた。
「コンビニの肉まん...温めるときの『ピッ』って音」
翔太の笑い声が店内に響いた。
「僕は廃棄弁当の半額シールが剥がれる瞬間」
「それ、すごく分かる」
藍の目が初めて真正面から翔太を見た。
「シールがきれいに剥がれた時って、なんか得した気分になる」
レジ横のテレビで天気予報が流れていた。『本日の降水確率は30%でしたが...』
AI予測の誤差を、アナウンサーが申し訳なさそうに伝えている。
「私たちみたいだね」
藍が不意に言った。
「アルゴリズムの予測を...裏切ってる」
翔太はコーヒーの蓋を開けながら頷いた。
「じゃあ...これからも裏切り続けようか」
ふと、PaiRアプリの通知が鳴った。〈異常検知:プロフィール不一致〉
二人は同時にスマホの電源を切った。
◆Scene 5:それぞれの帰路(午後6:55・JR山手線)
満員電車で揺られる翔太は、ARグラス越しに駅の広告を見つめていた。『AIキャリアアドバイザーがあなたの未来を設計』という謳い文句。隣のサラリーマンが同じ広告にため息をついているのが見えた。
「あの...すみません」
ふと、小さな声がした。見ると、高校生くらいの女の子が立っている。
「そのグラス...最新型ですよね? 美術館でアート解説してるの、かっこよかったです」
翔太は面食らった。
「え...?」
「あの...私も美大志望で。SNSで藍さんの絵、いつも見てるんです」
少女は照れくさそうにスマホを見せた。画面には藍のAI生成イラストが表示されていた。
「彼女の...じゃない...」
言いかけて翔太は止めた。代わりにARグラスを外し、本物の目で少女を見た。
「アートってさ...」
喉の奥から言葉が湧き上がってきた。
「完璧じゃなくてもいいんだよ。むしろ...歪んでる方が良いこともある」
少女は不思議そうな顔をした。ちょうど電車が駅に到着し、ドアが開く音が響いた。
その夜、翔太は久しぶりにHototoGISを使わずにSNSに投稿した。
『今日学んだこと:半額シールの剥がれ具合と、人間の価値は比例しない』
◆Scene 6:藍のアパートで(午後11:40)
藍はタブレットの前でじっとしていた。Magic Canvasが提案する新作テンプレートが画面に並んでいる。
《トレンド予測:次は「デジタル水墨画」スタイルが注目されます》
「もう...いい」
藍はアプリを終了し、引き出しの奥から sketchbook を取り出した。
最初のページには、美大受験前日に描いた自画像が未完のまま残っていた。
「私が...描きたいのは」
震える手でペンを握り、最初の一本を引いた。線は途中でぶれて、思ったよりも太くなった。
「...ダメだ、やっぱり」
でも、ふと翔太の言葉を思い出す。
『歪んでる方が良いこともある』
藍は諦めずに二本目の線を引いた。今回は少しだけまっすぐだった。
タブレットの通知が光る。PaiRアプリからのメッセージ。
〈翔太:次はAIなしで会わない?〉
藍は sketchbook のページをめくり、新しい絵を描き始めた。
線はまだ不安定だが、確かにそこには「藍」がいた。