第2章 嘘の花束
◆Scene 1:藍の朝、絵筆の代わりにタブレット
午前10時23分。藍のアパートのカーテンは、3日間開けられていない。
床にはコンビニの袋、空のペットボトル、消しゴムのカスが散らばり、唯一整理されているのは充電器のコードだけだ。
タブレットの画面に、Magic Canvasが生成したイラストが映し出される。
《新作『月夜のダンス』 少しずつ自分のスタイルが見えてきた気がします…!》
藍の指が「投稿」ボタンの上で止まる。
この絵は、彼女が3分前に「ゴッホ風 夜の情景」と入力しただけのものだ。
AIが描いたのは、星空の下で踊るシルエット。完璧なタッチ、計算された色彩のグラデーション。
「私の絵じゃない…」
実際のデスクには、描きかけのスケッチが無数に積まれている。
どれも途中で投げ出したものだ。
一番上にあるのは、半年前の美大受験用作品の下絵
——「自由テーマ」で提出するはずだった、母親の肖像画。
顔の輪郭だけ描いたまま、手が止まってしまった。
◆Scene 2:母親の電話、そして自己嫌悪
スマホが震える。画面に表示されるのは「母」。
藍は息を詰まらせ、3回目の着信でようやく受話する。
「藍、元気? 最近SNSで見たわよ。『月夜のダンス』…すごく評判みたいね!」
母の声は明るすぎる。藍の喉が軋む。
「…うん。でも、あれはAIが描いたんだ」
一瞬の沈黙。
「まあ、そんなこと言わないの。ツールは何だっていいじゃない。結果が大事なのよ」
母の言葉は優しいが、藍の耳には「受験の時もそう言ったよね?」という裏のメッセージが聞こえるようだった。
電話を切った後、藍はタブレットを握りしめ、ベッドに倒れ込む。
Magic CanvasのAI「リョウ」が優しく囁く。
《藍さんの潜在能力分析完了!次は「シュールレアリスム風」がトレンド予測です。一緒にバズりましょう》
「バズれば…母も喜ぶのかな」
涙がタブレットの画面に落ちた。
リョウの声は、美大落ちた日に母がかけてくれた「次があるよ」という言葉と重なって聞こえた。
◆Scene 3:SNSの「いいね」と現実の孤独
夜、藍は布団の中でSNSの通知を確認する。
《『月夜のダンス』、素晴らしいです! 個展の予定は?》
《藍さんの色彩感覚、本当に独特ですね》
コメントのほとんどは、AIが生成した絵への賛辞だ。
「こんなの…私じゃないのに」
ふと、一番古い投稿に目が行く。
2年前、美大受験前に上げた手描きのスケッチ。
線は震え、構図も不安定だが、そこには「何か」があった。
今のAI生成画にはない「熱」が。
藍はそのスケッチを長く見つめ、やがてタブレットを閉じた。
「…もう一度、描いてみようかな」
しかし、いざスケッチブックを開くと、手が震える。
「私の絵…誰も見たくないんだろ?」
結局、再びタブレットに手が伸びた。
◆Scene 4:AIが暴いた本音
翌日、藍は試しに自分と翔太の会話ログをAI分析ツールに入力した。
結果は〈空虚度72%〉〈キーワード:孤独、偽装、自己嫌悪〉——
だが、最後のページに予期せぬメッセージが。
《補足観察》
・藍さんの笑顔:翔太さんが創作批評時の発生率83%
・翔太さんの瞳孔拡大:藍さんが絵の説明時に平均1.2mm
「なにこれ…恥ずかしい…!」
藍の頬が火照る。AIが暴いたのは、二人が気づいていなかった本物の感情だった。
Scene 5:手書きの挑戦
その夜、藍は久しぶりに絵筆を握った。
「…ダメだ、やっぱり描けない」
キャンバスは真っ白のまま。でも、ふと翔太の言葉を思い出す。
「藍さんの絵の線の歪み…好きだよ」
彼女は深呼吸し、一本の線を引いた。
震えていた。でも、確かにそこに「藍」がいた。