バルコニーのことを、私の夫だけがベランダと呼んでいる
夫の奇行は今に始まったことではない。
今に始まったことではないが、夫が洗濯物を盗んだのだとメイドたちが泣きついてきたので、夫の部屋に向かう。
「ベルナール様、入りますよ」
バルコニーに向かう2つの扉が開いている。
バルコニーに、夫が盗んだ洗濯物がはためいている。
(なにこれ……)
見たことのない光景だ。
夫はベッドに座り、部屋の中から洗濯物を眺めている。
「素晴らしい……」
恍惚とする夫に呆れながら、後ろに立つ。
風が洗濯物をはためかせながら、部屋の中にゆるく吹き込んでいる。
「ベルナール様、これはいったい……」
「僕の故郷の景色だよ、テレーズ」
思ったとおりの答えで、夫は私を振り向き笑った。
ふたりでバルコニーにでて、観察する。
洗濯物はなにか見たことのない棒にかかっている。棒は、お屋敷の壁にできた謎の出っ張りに引っかかっているようだ。
「棒をひっかける部分は、土属性の魔術でつくった。棒は庭師のおじいさんに古い梯子をもらって、分解して磨いたものだよ」
「ベルナール様の故郷では、洗濯物をこんなふうに干すのですね……」
「そうだよ。気持ちが良いでしょう、こうやって眺めていると」
ベルナール様は部屋に戻ると、ごろん、とベッドに横になる。かつてのベルナール様だったら、絶対にしないようなことだ。
夫はある日突然、変わってしまった。
冷たく私に無関心な性格だった夫の中に、異世界から来た何者かが入り込んだためだ。
夫は、優しくほのぼのとした性格になった。
窓から吹き込む風がそよそよと、夫のやわらかな髪を揺らしている。夫はゆっくりと目を開けて起き上がると、ベッドのとなりをポン、ポンとたたいた。
「テレーズ、となりに座ってみて」
「こうですか?」
私はベルナール様のとなりに座る。
「ほら、最高だろう? ベランダに洗濯物があるのは」
春のやわらかな陽射しが、部屋の中に薄く差し込んでいる。バルコニーに洗濯ものがはためいている。メイドが洗濯に使う石鹸のにおいがする。異様な光景だけれども……。
ベルナール様は得意げに笑う。その笑顔を見ていたら、否定はできなかった。
彼の故郷は、きっと良いところに違いない。
「バルコニーですわ、ベルナール様」
「あ、いま、笑った? テレーズ。もう一回笑って」
頬を赤らめてそっぽをむいた私の手の上に、ベルナール様はそっと手を重ねた。