◇60・ナツメの懸念/side:ナツメ
「ふぉふぉ、最近は皆、新たな渡り子に夢中のようじゃな」
「にゃ、リリアンヌは良い子だからにゃ」
「ふぉふぉ、そうか、そうか。この大陸に渡り子が現れたのは、数百年ぶりかの?」
「にゃ、前の奴は数に入れたくにゃいにゃ」
「あの者には白竜様も珍しく怒りを露わにされておったでの」
「金竜様の所のシンタロウがいにゃかったら、白竜様に大陸の浄化を願っていたところだにゃ」
「それをしていたら新たな渡り子には会えなんだかもしれんのぅ」
「にゃ……、確かにリリアンヌが生まれて来にゃかったかもしれにゃいにゃ……」
ケット・シー族の長老様に日課の挨拶に来たら、リリアンヌの話題になった。
長老様が関心を示されるのも無理はない。数百年ぶりの来訪者であるリリアンヌが森に現れてから、多くの同胞たちが入れ替わり立ち替わり、リリアンヌを一目見ようとルースの泉に向かうのだ。
まだ出会って少ししか経っていないが、魂に濁りがある者であれば、あれほど心地好い魔力を放つことはない。魔力は魂の在りようを映す鏡のようなものなのだ。
この大陸に現れた、前の来訪者は本当に酷かった。近付くだけで吐いてしまいそうなほどに濁った魔力。魔力がどれだけ濁っていようとも、魔力量だけは多いから妖精を見る力はあった。そのせいで多くの同胞たちが傷付けられたのだ。
人族を好み、人族の営みを見守っている妖精は、ケット・シー族だけではない。特にピクシー族は、ケット・シー族より人の機微に聡くはないし、考え方は純粋で単純とも言える。自分たちを認識出来る者には興味を示すし、友好的だ。たとえ、その相手がどれほど悪意にまみれていようとも。
妖精族は総じて、どの種族も魔力量は多い。それに目を付けた件の来訪者は、来訪者としての知識と力を使い、妖精族を核とした人工魔石を生み出し、それを尽きない魔力源として利用しようとした蛮行者だ。そして、この大陸での魔法の在り方さえ変えてしまった愚か者。
妖精族を『魔力源』としてしか見做さず、各々に意志と生命があることを無視したような行いを繰り返し、それを得意気に披露して広めようとした愚か者の愚行はそれだけに留まらず、本来、もっと自由であった魔法に固定概念を付けてしまったことで、決まった魔法しか使えない者、魔法の威力が落ちた者、使えた筈の魔法が使えなくなった者等、様々な弊害を生み出した。
だと言うのに、その愚か者をあろうことか『白竜様の巫女』として祭り上げようとした愚か者たちさえ現れ、そのことに関して、竜族の中でも温厚な気質の白竜様が、恐ろしいほどに怒りを露わにされたのだ。
本来であれば、来訪者は竜族の庇護対象になり得るのだが、その来訪者を排除対象とし、『白竜の巫女』と呼ぶことは決して許さぬと、人族に向かって明言されたほどだ。
珍しく同時期に現れた、別の来訪者シンタロウの助力を得て、多くの同胞たちが救われ、愚か者たちの国は滅ぼされたが、間違った魔法概念は今も根強く残るほどに広がってしまったし、妖精族を犠牲とする悍ましい知識は、痕跡の全てを消すことができなかったゆえか、密かに滅んだ国の名残りを受け継ごうとする新たな愚か者たちもいる。
何故、彼の国が滅んだのか理解していないのだろうか? 今では新たな国となった彼の国に近付く妖精は、ケット・シー族の偵察隊だけだ。魔力を世界に循環させる役目を担う精霊たちでさえ、彼の国にはほとんど近寄らない。
魔力は竜族によって生み出され、霊獣たちが魔力濃度を調整し、精霊たちが魔力を世界に巡らせる。魔法は、取り込んだ魔力を自己変質させて発動するものだ。自己変質させた魔力の質が悪ければ、必然的に発動する魔法の質も落ちるし、精霊たちが運ぶ魔力が減れば、魔力の回復速度は遅くなる。
その結果、魔法効率の悪くなった者たちが、効率の良い方法を求めて、また愚かな選択をしようとしていることは皮肉なことであると同時に、許し難いことでもある。
人が人の選択した結果として、栄えようが滅びようが、吾輩たちはただそれを見届けるだけ。同胞たちを巻き込まないならば、何をどうしようと吾輩たちが手を出すことはないのだ。そう、我らが同胞たちを巻き込まないならば……だ。
そして、新たな『来訪者』であるリリアンヌ。あの子も、奴らに来訪者であることが知れれば危険に巻き込まれるだろう。それは避けねばならない。
前回のような例外はあれど、来訪者は基本的に竜族の庇護対象だ。特に、自身の管理する大陸に現れたリリアンヌを、白竜様はいたく気に入ったようで、殊の外喜んでおられた。前回の来訪者が酷過ぎた反動もあるのかもしれないが……。
世界が何故、来訪者をこの世界に連れてくるのかは吾輩たちには解らない。竜族は知っているのかもしれないが、それを聞くことはない。
リリアンヌのように魂だけでやって来た者は、かなり珍しい事例ではあるが、魂だけでやって来ようと、身体ごとやって来ようと、竜族にとってそれは大したことではないようだ。ただ、竜族が来訪者の訪れを心待ちにしていることだけは知っている。
白竜様が、出会ってすぐのリリアンヌにロック鳥の肉を食べさせたことには少々驚いたが、気持ちは解るのだ。それほど心待ちにし、永く在ることを望んでおられるのだろう。
吾輩たちもリリアンヌのことは気に入っている。同族ではなくとも同胞だと感じるぐらいには。
前回の来訪者が起こした事件がキッカケで、ピクシー族は来訪者に姿を見せることを警戒しているが、そのうちリリアンヌの前には姿を現すのではないだろうか。
精霊たちも姿を見せてはいないものの、吾輩たちがリリアンヌと出会う前から、リリアンヌの周りにやたらと魔力を運んでいたようだから、気に入っているのだろう。
やはり、人族にはリリアンヌが来訪者であることは悟られてはならない。リリアンヌの身体はこちらで生まれたものだから、滅多なことではリリアンヌが来訪者であることが人間に漏れることはない。懸念があるとすれば、シンタロウの時のように同時期に来訪者が現れることで、場合によってはリリアンヌの存在が、竜族の口から漏れかねないということだけか……。
まぁ、そのようなことが起こる可能性は低いし、起こったとしても前回のことがあるだけに、竜族たちも来訪者に別の来訪者のことを話すことには慎重になると思うが。念の為に、白竜様にはこの懸念を伝えておこう。
白竜様ならば、吾輩が伝えるまでもなく対応されていそうだが。
白竜様のためにも、リリアンヌには健やかでいてもらわねば。何より、リリアンヌが楽しそうにしているのを見るのは、吾輩たちも楽しいのだ。
さぁ! 今日もリリアンヌの様子を見に行こうか――!
ナツメさんは心の中ではちゃんと「な」が言えます。
普段も、自分では言えてるつもり……。