◆124・静かなる黒の蠢き □
「リリアンヌ~、朝よ!」
「……ぅにゅ~?」
昨晩、一度起きてご飯を食べ、お風呂に入ったあと、もう一度ベッドに入った私は、思った以上に疲れていたのか、それとも子供体力ゆえか、二度目の就寝にもあっさり落ちたらしい。私を起こそうとするクロの声がぼんやりと聞こえ、ぽやぽやとしつつも重い瞼を上げた。
「起きた?」
「ぅみゅ、おはよう……」
「おはよう」
「アナタもサッサと起きなさいよ!」
「ぶ……にゃっ!? にゃ、何だ……」
クロが自身の尻尾をナツメさんの顔面にベシンベシンと叩きつけるのを視界に収めつつ、むくりと身を起こし、身支度を始める。
クロとナツメさんの仲は相変わらずだ。顔を合わせれば、いつの間にかギャイギャイと言い合っているけれど、私から見れば姉弟かケンカップルにしか見えない。
ただ、それを口にするのはいろいろと怖い。
主にクロが怖いので、決して口にはしない。私は賢い五歳児なのである。
支度を済ませてベッドルームを出ると、アルベルト兄さん、ルー兄、雪丸さんが待っていた。雪丸さんは、昨晩、私が寝ている間に一時的に金竜様の所に戻っていたようだ。
当初の目的である道案内役は、アルベルト兄さんが既にレギドールに入っていることで、その役目を果たし終えているのだけど、どうやら私の保護者役として、この先も一緒にいてくれるつもりのようで、金竜様への報告を済ませて、すぐに戻ってきてくれたらしい。
まぁ、雪丸さんも転移できちゃうしね。羨ましい。
それはさておき、宿を出たら、この街で新たな騎獣を借りる予定だ。
この先は一旦、二手に別れるからね。
レギドールでも騎獣は借りられるけれど、やはりロンダンほど騎獣業は盛んではないらしい。騎獣屋さんも大きな街にしかないし、あっても、そこまで種類が豊富な訳でもないようだ。それでも、騎獣屋さんに行くのは、どうしてもウキウキしてしまう。
――まだ見たことがない魔獣がいるかも。うへへ。
ほんの一か月前までは、異世界ウサギにギャーギャー言っていたこともあるけれど、もう遥か前のことのようである。もうワイバーンだってヘッチャラさ――!
「ふぎゃあ~、む~り~! い~やぁ~!」
「リ、リリィ、大丈夫だよ。あそこからは出てこないから……」
「そういう問題じゃない! 見た目が無理、存在が無理~!」
二手に別れる前に、赤き竜のメンバーであるハリーさんの紹介でやって来た騎獣屋で、私はなりふり構わず喚いていた。
なぜって?
ハリーさんおススメの騎獣屋は、あっちを見ても、こっちを見ても、蟲、蟲、蟲の蟲専門店。騎獣屋ではなく、『騎蟲屋』だったからである!
それだけでもハリーさんへの好感度はダダ下がりであったというのに、自信満々で『コイツ、めっちゃ素早くていいっすよ!』と勧められたのは、人類の天敵とも言えるアイツだったのだ!
――何てもんを勧めてくれとんじゃい!
しかも、人が乗れる超巨大サイズだ。
こ奴らが店所有の魔蟲でなければ、間違いなく駆逐対象である。
――助けて! カリアゲ兵長!
私の中で、ハリーさんへの好感度がマイナスに振り切った。もう戻る気がしない。数分前までは、レンジャーなハリーさんへの好感度はそこそこ高かったのに、残念である。
「レディにこんなものを勧めるだなんて、人間のくせに、人間の女心を理解していないのね」
そう言って、半泣きの私を抱き上げてくれたのは、黒髪金眼のスーパー美女、人間モードのクロである。
私に巨大蛇を持ってきたことがあるクロも、さすがに女の子に蟲を勧めるのはアウトだと言うことは分かってくれていたらしい。この騎蟲屋も、シロであれば喜んだのかもしれない……。いや、シロが蟲好きかどうかは分からないな。あの時は『はちみつ美味しい……』って、黄色いあの子みたいなこと言ってたし、蟲がどうこうより、『美味しいかどうか』が基準っぽいもんね。
「え……、えっと、クロ様?」
「ほら、リリィ、こんな奴ら放っておいて、私と行きましょうね」
「うん、い゛ぐぅ……」
「リリィ、安心してください。私が店ごと潰しましょう」
「え゛っ!? さすがにそれは……」
何だか雪丸さんが不穏なことを言いだしたので、思わず、溢れかけていた涙も引っ込んだ。私も野生の蟲に遭遇したら、秒で魔法をぶっ放す自信はあるが、さすがに店も、店の魔蟲も潰したりはしないでござるよ。
雪丸さんって、時々、変な方向に過保護だ。早く店から連れ出さねば……。
「潰さなくていいから、雪丸さんも出よう?」
「そうですか? リリィがそれでいいなら……」
「(雪丸、こういう時はこっそりヤらないとダメだよ)」
ちょっと、レイさん? 聞こえてるんですけど……。
こっそりやるって何? 「殺ル」じゃないよね?
わざわざ雪丸さんの肩に移動までして、何を言ってるんですか、アナタは。
「ハリー、さすがに俺も、女の子に騎蟲が不人気であることは知っているぞ……」
「ニック? え? 不人気……?」
「にゃ……、まぁ、吾輩は蟲に乗るのも面白そうだとは思ったが、ここにはロックもいるしにゃ……」
「ロック、ダメにゃんよ? ここにいるのは、お店の……、人が飼ってるヤツだから……」
「わ、分かってるにゃ~よ!」
私がクロと共にお店を出たことで、ナツメさんたちも後ろから追ってきた。
名残惜しそうに魔蟲を見つめるロックくんの手を、トラさんが引いている。
そう言えば、ロックくんは蟲好きだったか……。
私の家の周りには、虫も蟲も入れないように結界を張っているので、ロックくんがご機嫌で捕まえてきた蟲も、当然弾かれたのだ。それ以来、私の所に蟲を持ってこようとはしなくなったから、蟲好きなことはすっかり忘れていたよ。
「ロックがどうかしたの?」
「ロックは魔蟲を見ると、捕まえようとするのだ。それだけにゃら問題はにゃいが……。ロックであれば、人がテイムしたものもうっかり上書きテイムしてしてしまうかもしれにゃいからにゃ……」
「上書きテイム?」
「にゃ、人が人のテイムを上書きすることはできにゃいが、ロックは幼くても、立派にゃケット・シー族だからにゃ。人の魔法をうっかり打ち消してしまったり、上書きしてしまってもおかしくはにゃいのだ」
「そうなんだ……。ロック、やっぱり、凄いんだね」
「――! そうにゃ~よ! ルーも、もっといっぱい魔法を覚えるにゃ~!」
「うん」
ルー兄に褒められて、胸を張るロックくんはかわいいが、ここで蟲をテイムしないでね……。
そんなこんなで……というか、私の都合により、騎蟲屋を後にすることになった我ら一行は、別の騎獣屋へと向かうことになったのである――。
――――――――――――――――――――――――――――――――
アルトゥ教神殿・とある一室にて――。
「マッテオが死んだだと?」
「はい、ロンダンにて、何者かに毒殺されたようであると……」
「…………系譜の娘はどうした」
「マランゴーニ司祭を毒殺した者が連れ去った可能性が高いと思われます」
「~~~っ、マギリアの奴らはどうした!」
「ロンダンにて捕縛されました」
「どいつもこいつも、役立たずめがっ!」
「デルゴリア様、僅かではございますが、娘の血は採っております」
「――真かっ!」
「はい、ここに……」
「でかした! 確かに少ないが、これだけあれば問題ない!」
でっぷりとした身体を揺らし、デルゴリアは嗤った。
元より、ほしかったのは『系譜者の血』だ。
連れてくる予定であった娘のスキルは、思った以上に利用価値が高そうで、手元で使うことも考えていた。人を言いなりにさせる類のスキルであれば、わざわざ足が付かないように孤児を集めずとも、自ら魔石になりたがる人間を集められるかと思ったが、まぁ、いい。『系譜者の血』さえ手に入れば問題はない。
この血を使って、新たな異世界人を召喚すればいいだけなのだから――。
「くくくっ、あとは魔力さえあればいい」
――――――――――――――――――――――――――――――――
レギドール・とある邸にて――。
「おや、小さいですね」
「ちょっと、ガキじゃない! 大人だって言ってなかった?」
「どうやら、連れくる予定だった者の娘のようです」
「は? その本人はどうしたのよ?」
「流行り病で死んだそうです」
黒髪の男の横で赤髪を揺らす女が、灰色のローブを纏った男に詰め寄った。
三人の男女の前には、魔法によって深く眠る幼女の姿がある。
幼女の首にはスキルと魔力を封じる魔道具の首飾りが着けられていた。
「ふむ、コレも素体候補なのでしょう?」
「はい、鑑定結果もこのとおりでございます」
「『思考誘導』と『思考染色』? ふたつもあんじゃん」
「思考染色……ですか? 初めて聞きますね。どういうものでしょうか……」
「染める色って書いてるから、思考を塗り潰せるとか……そんな感じのヤツじゃない?」
「ほう、それは、それは。まだ子供と言えど、素体としては優秀ではないですか」
「そうかもしれないけど……。でも、子供の身体に入るのは嫌よ」
「そうですか……」
「それに! 素体のストックを作らせてからの方がいいでしょ。それまでは別の身体で我慢するから、ちゃんと保管しておいてよね」
「承知いたしました」
当然のように自身の思考を優先する赤髪の女の指示を、黒髪の男は静かに聞き入れた――。