◆100・ナツメさんは妖精である。
「ぐぁっ……」
ナツメさんが、魔獣に乗った誰かの頭を踏んずけたのと同時に、蛙が潰れたような声が響いた。
「にゃ?」
声と感触に反応しただろうナツメさんは、疑問の声を漏らしながらも、そのまま誰かさんの頭をステップ代わりに踏み込み、当初の着地予定点へと降り立った。
ナツメさんは、自分が踏んだナニカが気になったのか、その場で立ち止まって振り返ったので、私もナツメさんが踏んでしまった人の方を見遣る。
踏まれたのは、黒いワイバーンっぽい魔獣に乗った紺髪の人だった。
俯いているので顔は見えないが、体格的に男の人だろう。
「にゃ、ちょっと踏んでしまったが、問題にゃさそうだにゃ」
「えぇ~? どうだろう?」
本来、獣型のナツメさんの体重は数百キロはあるらしい。
だけど、その体重で森を駆け抜けると、木やら、花やら、あれこれが折れまくるので、普段は魔法で体重軽減をしているんだとか。「その方が早く走れるしにゃ!」……とは、ナツメさんの談である。
なので、今のナツメさんに踏まれても死ぬことはないだろう。
ナツメさんの踏み込みによって、若干、騎獣ごと沈んだように見えたけど、首の骨が折れたりはしていないはずだ。……多分。
後頭部を抑えて、悶絶しているように見えるけど、きっと大丈夫だ。……多分。
ん~、声を掛けた方が良いだろうか? ――なんて?
うちの猫がすみません? いや、うちの猫じゃないし、猫でもないな……。
とりあえず、無難に……
「あの~、大丈夫ですか?」
私が声を掛けると、紺髪さんは後頭部を抑えつつも、顔を上げてこちらを見た。
「……子供? なぜこんな所に」
そういえば、私、子供だった。
「――そうだっ! 近くで魔蟲の群れを見なかったか!?」
あ、なんか元気そうだ。
それより、魔蟲の群れって……
「にゃ? 魔蟲の群れとは、さっき吾輩が叩き落としてやったやつか?」
「(いや、叩き落としてはいないでしょ。魔法使ってたじゃん……)」
「魔法も吾輩の手と同じだ」
「(え~? まぁ、そうと言えば、そう……? ん~?)」
「…………は? 魔獣が喋っ……」
――ん?
「にゃ?」
あれ? この人、ナツメさんのこと見えてる?
「その魔獣はなんだ?」
「にゃっ!? まさか、魔獣とは吾輩のことではにゃかろうにゃっ!」
「……違うのか?」
「違うに決まっておろう! 吾輩は妖……」
「――殿下っ!」
ナツメさんの魔獣ではないアピールの最中に、少し離れた所から、割り込むような声が響いた。
――でん……?
空耳だな。
うん、なにも聞こえなかった。
「殿下っ! どうされました!」
や~め~て~!
きっと、『殿下』じゃなくてデンカ……電化……あ、ピカ男か……。
思わず謎の現実逃避をしていると、続いて聞こえた声に疑問が湧いた。
「浮いた子供? 魔物か?」
浮いた子供? なんのこっちゃ……と思ったところで、ハッとした。
今の私は認識遮断魔法を使わず、ナツメさんに乗っている。
ナツメさんが見えない人から見れば、浮いた子供……というか、謎の空気椅子幼女である。怪しいこと、この上ない。
――って、魔物って私のことかいっ!
『誰が魔物じゃ!』と、内心、憤慨していると、紺髪さんに声を掛けた人たちが臨戦態勢を取りながら近付いてくるのが見えた。
「(ナツメさん、逃げよう)」
「にゃ? 行くか」
「――なっ! ブラッドリー、ハインリヒ、止まれ!」
「「殿下っ!?」」
「待て! まだ聞きたいことがある!」
この場から逃げ去ろうとした私たちに、紺髪さんが声を掛けてきた。
ナツメさんは、面倒くさそうな顔をしつつも、とりあえず立ち止まることにしたらしい。
「……にゃんだ?」
「いろいろ聞きたいが……、さっき、魔蟲の群れを墜としたと言わなかったか?」
「にゃ、魔蟲どもなら全部墜としてやったぞ?」
ナツメさんは、紺髪さんの言葉に返事をしつつも、前足で顔を洗い始めた。
「全部墜とした!?」
「そうだ、それがどうした」
「あれには人が乗っていたはずだ。それはどうした?」
え? 人、乗ってたの?
「人にゃど、いたか?」
「わかんない……」
「どこに墜とした?」
「墜としたのはあの辺だが、そのあとは街の外側に捨てたにゃ……」
「街の外側に捨てた?」
あ~、うん、私がね……、ポイしちゃったね……。
「捨てたのはあっち側だにゃ」
「…………わかった」
「殿下?」
「殿下、ひとりで何を言っているのですか?」
「…………は?」
うんうん、紺髪さんの左右に、騎獣したまま控える赤髪の青年と緑髪の青年には、ナツメさんは見えていないし、当然、声も聞こえていない。傍から見れば、無言の空気椅子幼女の前で、ひとりで話す怪しい男の完成だ。
――おお、心の友よ!
赤髪の人と緑髪の人に怪訝な目を向けられた紺髪の人は、二人とナツメさんの間で、何度も視線を彷徨わせた。
「もしかして、この喋る魔獣は、お前たちには見えていないのか?」
「魔獣……ですか? 喋る?」
「私には浮いた子供しか見えませんが……」
「にゃふ~! 吾輩は魔獣ではにゃいと言ったであろうがっ!」
紺髪さんが、二人との視界の差異を確かめようとする中で、魔獣呼ばわりされたナツメさんは、にゃふ~っとお怒りモードを発動し始めた。
「…………? 子供は見えているのか?」
「はい」
「子供を乗せている魔獣は?」
「見えません」
「私にも見えないです」
「だから吾輩は魔獣ではにゃいっ! 吾輩はっ! 妖精だっ!」
あ、とうとう、妖精だって言ったね。
「……妖……精……?」
「「……妖……精……?」」
紺髪さんが漏らした言葉を、ナツメさんが見えていない二人も復唱した……。
なんだか黒テープな衣装の人が、風に吹かれながら海の上で熱唱する幻影が見えそうである。
「そうだ! 吾輩は妖精であって、魔獣ではにゃいのだ!」
「……妖精とは、羽の生えた小さな人の姿をしているはずだぞ?」
「にゃふっ。その姿をしているのは、数ある妖精族の中の一種族だけだ」
「それは、妖精にはいろんな種族があるということか?」
「そうだ。そして、その妖精たちは、ケット・シー族の保護対象でもある」
「保護対象……?」
ナツメさんは少しだけ紺髪さんの方へと歩き、距離を詰めた。
そして、ナツメさんの雰囲気が突然、ピリピリとしたものになっていく――。
「良いか、人間。これは妖精が見えているお前への忠告であり、警告だ。吾輩たちケット・シー族は、全ての妖精族に仇にゃす者を決して許さぬ! それをゆめゆめ忘れるでにゃい」
「――っ! ……ああ、肝に銘じよう」
どうやら紺髪さんは、ナツメさんの圧に吞まれたらしい。
「うむ、分かればいいのだ」
いや、最後は殺気混じりの脅迫に近かったけどね。
私もちょっと、怖かった……。
ほんのついさっきまで、ちょっとふざけた感じののほほん猫だったのにさ。
普段のナツメさんを見てると忘れがちだけど、こういうところを見ると、しっかり妖精らしいというか、人外らしいなと思う。
「……殿下?」
「大事ない」
大事ないと言いつつも、冷や汗がびっしょりな様子の紺髪さん。
そんな紺髪さんの様子を気にしつつも、下手に動けないからか、とりあえず、こちらに殺気と警戒を飛ばし始める赤髪さんと緑髪さん。
――いや、ヤメテ。
ナツメさんが見えないからって、私を睨まないでほしいんですけど……。
ていうか、このままだと、ナツメさんが怒っちゃうからヤメテ。
「お前たち、やめろ」
「殿下?」
「控えろ。妖精殿の御前だ」
「妖精殿……ですか?」
「ああ、お前たちが見えていないのは、妖精殿だ」
――おお、心の友よ!
ナイスタイミングだ。
どうやら、ナツメさんの圧が相当、効いたらしい。
「それより当初の目的だ。追っていた魔蟲は妖精殿が墜としたらしい。ブラッドリーは南西の街の外を、ハインリヒは六番通り周辺を、魔蟲や敵の有無を確認してきてくれ。緊急案件がある場合は赤の光弾を。行け!」
「殿下っ!?」
「……ですが」
「行けっ!」
「「――っ、はっ!」」
赤髪の人と緑髪の人が、紺髪さんの指示でそれぞれに去っていく。
腹ポッケにレイ、外ポッケにスライムがいることはさておき、この場に残ったのは、私とナツメさん、そして、やんごとないかもしれない紺髪のお兄さんである。
「私たちも、そろそろ……」
「待ってくれ。あなたが妖精であることは理解した。それで……、まさか、その子供も妖精なのか?」
――ヤメロ。私を見るな。