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07 ベッド論争


「い、一緒に寝る!? 私と、ヴェリオ様がですか!?」


「そうだよ」


やたらにこにこしているヴェリオに、クラリッサは開いた口が塞がらない。


ヴェリオは至極当然といった様子で、寝室の奥にあるもうひとつのドアを指差した。


「ちなみにあっちは俺の部屋だから、俺の部屋とクラリッサの部屋の間に寝室があるって感じだね。俺の部屋には、いつ来てくれてもいいよ」


やたらと楽しそうなヴェリオに言われた言葉を、脳内で処理するのに少々時間がかかった。


たっぷり時間を置いてから、クラリッサは全力で首をぶんぶん横に振った。


「む、無理です! 男性と一緒に寝るなんて不埒すぎます!」


「おお、記憶喪失でもそういった記憶はなくならないのか。なくなってくれてたらいいな~と思ってたんだけど」


「そう都合よくはいかないか」と自身の顎先を指でさするヴェリオに、クラリッサは真っ赤になってしまっていた。


(こんな美形がいるベッドで眠れるわけないじゃないの!)


クラリッサが胸中で叫んでいることに、ヴェリオが気が付くはずもない。


ヴェリオは寝室に置いてある大きなベッドを指差してほほえんだ。

そのほほえみが、やけに艶っぽく見える。


「大丈夫。なにもしないから」


「そういうのは嘘が相場と決まっております!」


「どこでそんな知識を?」


「療養中に読んだ恋愛小説に書かれておりました!」


「なるほど。知識は恋愛小説からか」


神妙な表情で「俺も恋愛小説読んでみようかな」と呟いたヴェリオは、次の瞬間にはまた笑顔に戻っていた。


「小説は小説。物語は物語だよ。俺のこと信じてよ。それに、夫婦になるのに寝室が別なんて、おかしいだろ? 結婚式後に寝室を一緒にしてもよかったけど、そうなると、それぞれのベッドの処分に困るしね。安心して。夫婦になるまで、そういうことは絶対にしないから」


「……本当ですか?」


「俺を信じてよ」


出会ってまだ数日しか経っていないヴェリオだが、彼は毎日クラリッサのお見舞いに来てくれた。


クラリッサの記憶喪失を真剣に心配してくれたのは、ヴェリオと侍女のユイネルくらいのものだろう。


ここまで自分を心配してくれた人に、クラリッサは出会ったことがなかった。


(……ヴェリオ様なら、信じてもいいかもしれない)


「約束ですよ」


「ああ、いろいろと絶対に我慢してみせるから安心してよ」


突然キリッとした表情になって言うヴェリオに、クラリッサはそんなに何を我慢するのかとゾッとしてしまう。


とりあえずヴェリオのことを信じてみることにしたクラリッサの耳に、遠くからノック音が聞こえた。


「クラリッサ様、おられますでしょうか?」


「はい、いるわ」


声がしたのは、クラリッサの部屋のドアの向こうだ。


寝室のドアを閉めて、返事をする。


声はユイネルのものだろう。


「お食事の準備が整ったので、食堂にいらしていただければと思うのですが、いかがでしょうか?」


「今行くわ」


クラリッサがそう返事をすると、ヴェリオが声が聞こえるドアを開けてエスコートしてくれる。


ユイネルが驚いた表情で「旦那様もいらっしゃったのですね」と声をあげた。


「ごあいさつが遅れてたいへん申し訳ございません。クラリッサ様のお世話を担当させていただきます、ユイネルと申します」


ユイネルが黒いショートの髪を揺らして、一礼する。


物静かで淡々とものを話すユイネルは、自己紹介すらもキビキビしている。


その姿に感心していると、ヴェリオがうなずいた。


「よろしくね。クラリッサが不自由ないように、頼むよ」


「かしこまりました」


「では、食堂へ参りましょう」と言うユイネルに付いて、クラリッサとヴェリオは歩き出す。


ユイネルもこの屋敷に来たのははじめてのはずだが、淀みない足取りで歩を進め、食堂まで最短距離でたどり着いた。


「おお、ユイネルは物覚えがいいんだね。結構この屋敷内の構造って複雑だと思うんだけど」


「ありがとうございます」


褒められたユイネルが静かにお辞儀をする。


クラリッサはユイネルが褒められたことが誇らしい気持ちでいっぱいだった。


ユイネルが壁際に控えると、食事担当の使用人がワゴンを押して料理を運んでくる。


今は夕方。

この国では、貴族は早めに夕食をとるのが通例だ。

夜食として軽くなにかをつまみつつ、お酒を飲む優雅な夜を楽しむためである。


西日の射す食堂内にはおいしそうな焼けた肉の香りが充満していた。


使用人がクラリッサの前に皿を置くと、そこには脂ののったステーキに野菜が添えられている。

次に出されたスープとパンもクラリッサの胃袋を刺激するいい香りがしていた。


「おいしそう……!」


実家では、マリアの機嫌が悪いと、クラリッサは料理を出してもらえないこともざらにあった。

マリアは料理長までも取り込んで、クラリッサに嫌がらせをしていたのだ。


それを両親も見て見ぬ振りをしていた。


実家の食堂に行き、自分の食事が出てこなかったときの惨めさと言ったらなかった。


そういうときは、家族の談笑を聞きながら、じっと机の木目を見つめる。

意地でも食堂を後にしなかったのは、自室で泣いているなんて思われたくなかったからだ。

要はプライドが許さなかった。


そんなクラリッサの目の前に、今は当たり前のように食事が用意されている。


広い食堂内だというのに、隣に座ったヴェリオにも同様に食事が配られており、ヴェリオはクラリッサが目を輝かせているのを見て、ふっと笑った。


「喜んでもらえてよかった。さあ、食べようか」


「はい!」


クラリッサは食事のマナーを教わったことはないが、マリアの見よう見まねで一応のルールは知っている。


カチャカチャ音を立てずにステーキを切り分け、口に運ぶと、じゅわっとした肉汁が口内にあふれ出した。

鼻に抜けてくる肉の香ばしい香りが最高すぎる。


クラリッサは思わず「んん!」と声をあげており、ごくんと咀嚼してからヴェリオに満面の笑みを向けた。


「おいしいです!」


ヴェリオはクラリッサの顔を見て、一瞬目を瞠る。

それから彼にしては珍しく頬を赤く染め、視線をふいと横にそらした。


「その笑顔は反則……」


「え?」


「いや、おいしく食べてもらえたならよかった。ほら、どんどん食べな。足りなかったら、パンだったらおかわりくらい用意してもらえるだろうからさ」


「え!? おかわりできるんですか!?」


「パンとスープくらいなら、おかわりあるよね?」


ヴェリオが近くに控えていた使用人に訊ねると、「ございます」と返事が返ってくる。


クラリッサは琥珀色の瞳を輝かせて、「ありがとうございます!」と今日イチ大きな声でお礼を言って、食事を食べ進めた。

結局、クラリッサは在庫がなくなるまでパンとスープをおかわりし続けたのだった。


 ***


食事後はヴェリオも溜まっている仕事があるらしく、名残惜しそうにしながら自室へと帰っていった。


クラリッサも自室へと戻り、ユイネルと共に荷物整理をはじめる。

だが、マリアにめぼしいものはすべて奪われてきたクラリッサの荷物は少ないものだ。


あっという間に荷物は片付いてしまい、クラリッサはユイネルを下がらせた。


ここからは、クラリッサだけの特別な時間だ。

持ってきていた恋愛小説の本を1冊取り出すと、机に向かって読み始める。


物語の世界が好きだ。

現実のつらいことを忘れさせてくれるから。


クラリッサは伯爵家の娘として、マリアよりは大分少なかったが、それなりにお小遣いだけは渡されていたため、そのほぼすべてを本に突っ込んでいた。

ドレスを買ったこともあったのだが、流行のものを買うと、マリアが盗って行ってしまうので、マリアが興味のない本を買う以外使い道がなかったのだ。


最初は、マリアに邪魔されない娯楽が欲しくてはじめた読書だが、ハマってみるとその奥深さに感動する。


物語の主人公に完全に憑依し、小説の世界を楽しんでいたクラリッサの部屋にコンコンコンとノックの音が響く。

その音で現実に引き戻されたクラリッサは「はい!」と弾かれたように返事をしていた。


鳴ったドアが廊下に続くドアではなく、寝室に続くドアだったからだ。


「クラリッサ。まだ寝ないの? 俺はそろそろ寝るんだけど」


ハッとして机の上に置いてあった時計を見ると、もう日付が変わろうとしている。


本に夢中になりすぎて、時の流れを忘れていたようだ。


そろそろ寝なければならない時間だろう。

いよいよヴェリオと共にベッドに入る時間がやってきた。


クラリッサは本にしおりを挟んで閉じ、意を決した表情で椅子から立ち上がった。


「ね、寝ます」


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