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06 新居

クラリッサがヴェリオと暮らすことになるルミナリア邸は、クラリッサの実家であるハニーベル邸と同じく王都にある。

そのため、馬車に乗る時間はそんなに長くはなかった。


行きと同じように、ヴェリオにエスコートしてもらって馬車を降りると、クラリッサはルミナリア邸を見上げる。


ハニーベル伯爵家もそれなりに歴史のある名家だが、王族と血のつながりのあるルミナリア家は格が違うことを認識させられる。


大きな屋敷を見上げて、思わず「わあ」とクラリッサは感嘆の声を漏らしてしまう。


そんなクラリッサを微笑ましく見てくれていたヴェリオは、唐突にクラリッサの手を握った。

しかも指を絡めるようなガッチリとした繋ぎ方だ。

恋愛小説で読んだ、いわゆる恋人繋ぎというやつである。


「これは?」


「屋敷の中を案内するから、迷子にならないように手を繋いでおこうと思って」


「ヴェリオ様の後を付いていきますから、さすがに迷子にはならないと思いますよ」


「いやいや、うちの屋敷は広いからさ。ほら、行くよ」


どうあっても、ヴェリオはクラリッサの手を離す気はないらしい。

いちいち距離の近いヴェリオに、内心ドギマギしているのを隠して、クラリッサは呆れたふりをしながら、屋敷の中へと入った。


玄関では、屋敷の大きさの割には少なめの人数の使用人たちに出迎えられた。

クラリッサが「今日からよろしくお願いいたします」と挨拶をすると、使用人達は笑顔で迎え入れてくれた。


実家では、侍女のユイネル以外の使用人たちは哀れむような目でクラリッサを見るばかりであった。

ここではそんな窮屈な思いはしなくてよさそうだ。


後ろに控えるように付いてきていたクラリッサの侍女のユイネルは、その使用人たちに混ざって仕事を教えてもらうと言って離れていく。


「やっとふたりきりになれたね」と冗談を言うヴェリオを、クラリッサはすかさず「馬車でもふたりきりでした」と切り捨てたのだった。


ヴェリオがクラリッサに屋敷の案内をすることは、使用人達には伝わっていたのだろう。

普通は使用人が案内を買って出そうなものだが、誰も名乗り出ることはなかった。

使用人に見送られる形で、屋敷の中を案内されることになったクラリッサは、手を繋いでいることが妙に恥ずかしかったが、振りほどくのもためらわれて、そのままにしておくことにする。


屋敷には目利きのできないクラリッサでも、高価だろうとわかるアンティークの家具がたくさん置いてあった。

廊下に飾られているちょっとした花瓶さえも高そうであり、油断ならない家だとクラリッサは戦々恐々としてしまう。


「すべてが高級そうですね」と言ったクラリッサに、ヴェリオは「壊したらお仕置きだよ~」と繋いでいない方の手をわきわきさせながら言ってきたため、どんなお仕置きが待っているかわからない。

食事の際には、食器を落としてしまうことがないよう十分に気をつけようと、クラリッサは誓うのだった。


ヴェリオに案内され、食堂や客室、広すぎる庭などを歩き回った先にたどり着いたのは、屋敷の本邸とは別に庭に建てられた別邸だ。


「ここはパーティーとかを開催するときに使うんだ。俺がパーティー好きじゃないから、ほとんど使われてないんだけどね」


そう言うヴェリオの声が響くくらいには別邸のホールは広々としている。

天井はすべてがガラス張りになっており、差し込む陽光が美しかった。


「綺麗な場所ですね」


「そういえば、クラリッサはダンスは踊れるの?」


「へ?」


「結婚式の後の披露宴では新郎新婦がダンスを踊るのが通例でしょ? どうかなって」


クラリッサには友人がいない。

結婚式の披露宴になど出たことがなかったため、そんな通例があるだなんて知らなかった。


そして、当然ダンスの経験など一度もない。

いつもダンスに誘われて行くマリアをにこにこと見送っていただけなのだ。


もうすぐ18歳になろうという貴族令嬢がダンスのひとつも踊れないなんて恥ずかしい話である。

「えっと……」と呟くと、ヴェリオは「ああ、そうか!」と納得したように手を打った。


「記憶喪失だから、ダンスが踊れるかもわかんないよね。それじゃ、踊ってみよう」


「ええ!?」


戸惑っているクラリッサなど気にも留めず、ヴェリオはクラリッサの手を引いて、ホールの中心までやってくる。


それからクラリッサの腰に腕を回し、ダンスをする姿勢をとった。


「こ、ここ、こんなにダンスって近いものなんですか!?」


「もっと近いよ。あと一歩前に出て」


腰に回された腕に引かれるがままに一歩前に出ると、ぐっとヴェリオとの距離が近くなる。


おどろきで咄嗟に顔をあげると、いたずらっぽく笑う綺麗すぎる顔が目の前にあって、クラリッサはすぐにまたうつむくこととなった。


「耳まで真っ赤。かわいいね」


「か、からかわないでください!」


「本音なのに」と至極残念そうに言ったヴェリオは、「じゃあ踊ってみようか」と言って、体を揺らし始める。


ヴェリオの鼻歌に合わせてのダンスは、思っていたよりも心地のいいものだった。

ヴェリオのあたたかい体温に包まれて、身を任せていれば、ゆったりと時が流れていくのを感じる。


ヴェリオはエスコートがうまいのだろう。

ダンスがはじめてのクラリッサでもたどたどしいながらに、ダンスについていくことができた。


柔らかに差し込む陽光の下、ふたりはしばらく踊り、クラリッサが「疲れました……」と訴えたところで、ホールの隅に置かれていた椅子にそれぞれ腰掛ける。

ダンスは優雅なものに見えていたが、存外筋肉を使うものなのだということをクラリッサは初めて知った。


「ダンスってなかなかに大変なものなんですね……」


「クラリッサはダンス踊ったことなかったみたいだね。マリア様と一緒によくパーティーに出ているって聞いたから、ダンスのひとつやふたつは体が覚えてるかなと思ったけど」


「ヴェリオ様は、私のことを本当によくご存知ですね」


ヴェリオは初対面ではないような言い方をしていたが、クラリッサはヴェリオとは先日の夜会がはじめましてだと思っている。

一体ヴェリオはいつから、クラリッサのことを知っているのだろうか。


探るように訊ねると、ヴェリオは「ん~?」と首を傾げて、ニッと白い歯を見せて笑った。


「教えてあげない。がんばって思い出してね、クラリッサ」


記憶喪失(嘘)の人間に無理難題を押しつけてくるものだ。


クラリッサは「うーん」と唸って思い出そうと試みたが、まったくヴェリオと出会った記憶はない。

悩むクラリッサを見るのが楽しいのか、やけにニコニコしているヴェリオを、クラリッサはじとりと睨み付けた。


「そんなに私が思い悩んでいるのを見るのが楽しいですか?」


「うん。俺のことだけを考えてくれてるんだろうなってわかるから楽しいよ」


銀色の目を優しく細めて言われた言葉に、胸の奥がギュッと握られたように痛んだ。

イケメンの微笑みは恐ろしいものだ。

人体に悪影響を及ぼしている。


軽い雑談をかわしてからホールを出ると、今度は本邸へと戻る。

ヴェリオが案内してくれるのは、今度はクラリッサの自室らしい。


「クラリッサは何をするのが好きなの? 趣味とかある?」


「本を読むことです」


「へえ、読書か。記憶喪失になっても文字は読めるみたいでよかったね。どんな本読むの?」


「えーっと……」


「巷で流行っている恋愛小説です」と男性に告白するのは、少し恥ずかしい。

クラリッサが言い淀むと、ヴェリオは困った表情で「覚えてないか」と勝手に解釈してくれた。

記憶喪失とは便利なものである。


本邸の中を歩き、たどり着いた部屋にクラリッサは驚くことになった。


自室がとてもとても広かったのである。


大きな机に、窓際にはティーテーブルと椅子のセット。

応接セットまで準備してあり、クラリッサは「すごいです!」と思わず声をあげてしまう。


「クラリッサが読書好きなら、本棚も買った方がいいだろうね。ここに大きな本棚を置こう」


「わあ! 楽しみです!」


思わず笑顔になってしまうクラリッサに、ヴェリオは優しく口角をあげる。


その愛しげなまなざしでクラリッサはハッとする。

無邪気にはしゃいでしまったが、クラリッサは平民になるために、この婚約をなきものにしなければいけなかったのだった。


浮かれている場合ではない。

気を引き締めて、コホンと咳払いをしてから、クラリッサはひとつ気になっていたことを訊ねた。


「ところで、ベッドがないようなのですけど、私は今夜からどこで眠ればよろしいですか?」


「ああ、それならこっちだよ」


ヴェリオに導かれて、部屋の奥へと進むと、ドアがあった。


ヴェリオが開けてくれたドアの先を見てギョッとする。

そこには、ふたりが寝ても十分すぎるほどに大きなベッドがあったからだ。


「このベッドには私が――」


「クラリッサと俺が寝るよ」


嫌な予感を振り払うようにヴェリオを見上げたのに、ヴェリオはその嫌な予感を現実に変えたのだった。

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