25 帰宅
「ユイネル、どうして私の記憶喪失が嘘だってわかったの!?」
久しぶりの自室に入ると、クラリッサはユイネルの両腕をつかんで問いかけた。
ユイネルは困ったような表情をして「やっぱり嘘だったんですね」と言ってから、教えてくれた。
「クラリッサ様は18歳の誕生日に、平民になるために家を抜け出してみせると私にだけおっしゃってくださっていたのを覚えておられますか?」
「ええ。それでわかったの?」
「はい。18歳の誕生日にクラリッサ様がいなくなって、クラリッサ様は昔からの夢を叶えられたのだと思っておりました。ですが、クラリッサ様はヴェリオ様を愛しておいででしたので、いつか帰ってくるのではないかと思い、このお部屋を綺麗に保ち続けていたのです」
「ユイネル……」
ユイネルに言われて部屋を見渡すと、数ヶ月空けていた部屋なのに、埃ひとつ被っていなかった。
クラリッサはユイネルの思いやりに感謝し、同時に申し訳なさに居心地の悪い思いがした。
「ユイネル、嘘をついていてごめんなさい。私が帰ってくることを信じてくれていて、ありがとう」
「私はクラリッサ様の専属侍女ですから、クラリッサ様のことを第一に考えるのは当然のことです。嘘をつかれていたことは少し悲しかったですが、気にしておりません。ですが、なぜ記憶喪失だなんて嘘をつくことになされたのですか?」
ユイネルの疑問は当然のものである。
クラリッサは、マリアから階段から突き落とされたこと。
それから、最初はヴェリオとの婚約を破棄することを目的に、記憶喪失のフリをしていたことを説明した。
ユイネルは「なるほど」と顎に手を当ててうなずいた。
「クラリッサ様は、最初はヴェリオ様との婚約をなきものにしかったということですね。ですが、今ではヴェリオ様のことを愛してしまっているということで合っていますか?」
「え、ええ」
第三者から、ヴェリオを愛しているという確認をされると、なんだか照れくさくて、クラリッサは顔が熱くなるのを感じてしまう。
だが、ユイネルの次の言葉でハッと我に返ることになるのだった。
「クラリッサ様。ヴェリオ様にこのことはお伝えになられるのですか?」
クラリッサは心臓がドキリと跳ねるのを感じた。
ヴェリオの愛を信じると誓った。
だが、仲直りをしたばかりで記憶喪失というのは嘘だったと伝えるのはどうしても勇気がいる。
ヴェリオを今まで騙し続けてきたということを打ち明けなければいけないのだ。
クラリッサは胸の前で手を握りしめ、しばらく考えた後に答えた。
「お伝え、しなければならないと思っているわ。嘘をついていた理由も含めて。すべてを。でも、そのタイミングは十分に考えなくてはいけないと思うの」
「そうですね……。難しい問題です」
ユイネルも珍しく考え込んだ表情をしており、クラリッサも悩んでしまう。
クラリッサはヴェリオからの愛を信じると決めた。
クラリッサが嘘をついていたことを知っても、きっとヴェリオはクラリッサに変わらない愛情を注いでくれることだろう。
だが、今まで騙してきたということをサラリと告げるのもおかしい気がする。
クラリッサは「うーん……」としばらく考えた後に、「そうだわ」と顔を上げた。
「ユイネル。私、パーティーを飛び出したときに、平民としてしばらく暮らしていくためのお金を得るために、ヴェリオ様からいただいた誕生日プレゼントのドレスを売ってしまったの。そのことも謝らなければいけないと思っていたから、嘘をついていたこととその謝罪をこめて、なにかヴェリオ様に贈り物をしようと思うのだけど、どうかしら?」
「それはいいお考えだと思います。謝罪を形にして伝えるのは効果的だと思われますので」
ユイネルがうなずいてくれたことに、クラリッサはホッとして、今度は何を贈るかを考える。
「仕事などで使えるものがいいから……、万年筆なんかどうかしら?」
「いいですね。ヴェリオ様もお喜びになられるかと。ですが、資金は大丈夫ですか? 万年筆はお高いとお聞きしますが……」
ユイネルの心配に、クラリッサは胸を張って得意げな表情を見せた。
「ユイネル。私、実は平民を経験していたときに、酒場の看板娘をやっていたの。結構チップをもらっていたから、それなりのお小遣いは稼ぐことができたのよ。それを注ぎ込めば、万年筆くらいなら買えると思うわ」
ユイネルは「看板娘ですか。さすがクラリッサ様です」と誇らしげに言うと、クラリッサの適当に結わえた髪に触れた。
「ですが、長い平民生活で髪やお肌が疲れている様子ですね。これから、私が磨き上げさせていただきますので、覚悟していたきたく思います。今夜はヴェリオ様と寝られるのですよね。ツヤツヤの髪とツルツルのお肌でおどろかせて差し上げましょう」
ユイネルがゆっくりと微笑み、クラリッサはあっという間に服を脱がされたかと思うと、ユイネルによって浴室へと連れ込まれたのだった。
***
夜。
クラリッサが自室で、久しぶりに恋愛小説を読んでいると、寝室側のドアがノックされた。
昨夜は勢いで狭いベッドで一緒に寝てしまったが、今日は落ち着いていることもあって、ヴェリオと共に眠るとなると気恥ずかしい感じがする。
「はい」と返事をして、しおりを挟んで本を閉じたクラリッサが立ち上がると、眠たげなヴェリオがドアを開けた。
「クラリッサ。今日はもう寝ようと思うから、一緒に寝ない? まだ寝不足気味なんだよね。クラリッサが居なくなっちゃったせいで」
いたずらっぽく言いながらドアに寄りかかるヴェリオは、妙に艶っぽい。
その色気にクラリッサは内心ドキドキしながらも、クールを装って「それはごめんなさい。ですが、昨日、あんなに寝たじゃありませんか」と言ってみる。
ヴェリオはクラリッサの元まで歩み寄ってくると、クラリッサの手をそっと取った。
「昨日のベッドは狭かったから、体バキバキだよ。それに、クラリッサが帰ってきたんだな~って思うと、安心して眠くなっちゃった」
クラリッサはそのままヴェリオに手を引かれて、気が付けば横抱きに抱き上げられていた。
思わず「きゃっ」と悲鳴をもらすと、ヴェリオがくっくと楽しそうに喉を鳴らした。
「かわいい声出さないでよ。いろいろ我慢できなくなったら寝不足なおらないでしょ。ほら、ねんねの時間だよ」
ヴェリオはそう言いながら、クラリッサを軽々と寝室へと運んでいったのだった。