24 誓い
「ここが私が暮らしている部屋です」
クラリッサが自室のドアを開けてヴェリオを招き入れると、ヴェリオは「おじゃまします」と小さく笑って部屋に入ってきた。
背の高いヴェリオが入ると、クラリッサの部屋は途端に狭く感じられてしまう。
ドアを閉めると、クラリッサは気まずくて仕方がなかった。
デスクチェア以外に座る場所がないためか、ヴェリオはベッドを指差して、「座ってもいい?」と聞いてくる。
クラリッサがうなずくと、ヴェリオは突然クラリッサの手を引いた。
「きゃっ」
バランスを崩したクラリッサはそのまま、ヴェリオに後ろから抱き締められる形で、ベッドに一緒に座らされる。
背中側から抱き締められて、クラリッサは頬に熱がのぼるのを感じる。
心音がヴェリオにも聞こえてしまいそうで、クラリッサが身を縮めると、「こら」とヴェリオがクラリッサの耳元でささやいた。
「俺は怒ってるんだからね。どうして急に出て行っちゃったのか、まだ理由聞いてないんだから。勝手にドキドキしないで」
後ろから回されたヴェリオの両手がクラリッサの両手を包み込む。
クラリッサは、緊張で言葉に詰まりながらもヴェリオに城で起きたことを最初から説明した。
マリアに連れ出されて、ベルーナがヴェリオの元婚約者であると知ったこと。
テラスで抱き合っているヴェリオとベルーナを見てしまい、ヴェリオが一番に愛しているのはベルーナなのだと勘違いしてしまったこと。
そして今日、ベルーナとはベルとして再会し、すべての事情を聞いて、ヴェリオの元へ帰りたいと思っていたこと。
懸命に言葉を紡いでいる間、ヴェリオは「うん」と小さく相づちを打つだけで、クラリッサを責めるようなことは一度も言わなかった。
クラリッサが「以上です…・・」と気まずい思いを抱えたままに話し終えると、ヴェリオは「なるほどね」と呟いた。
「俺の愛情はクラリッサに半分も伝わってなかったってことか」
「ヴェリオ様が私を愛してくださっていることは伝わっていました! でも、あまりにベルがすてきで、マリアにそそのかされたこともあって、その……。自信がなくなってしまったんです」
うつむいたクラリッサを、ヴェリオが更に抱き込む。
全身をヴェリオに包まれているようだ。
「でも、ごめん。俺もベルーナに『好きだ』なんて軽率に言ったのはいけなかった。友人として、好きだって意味で言ったつもりだったけど、これは特別な言葉だもんね。もうクラリッサ以外には使わないよ」
「ヴェリオ様は悪くありません」
「……俺の話も聞いてくれる? この数ヶ月、俺が何をしてたか」
ヴェリオがクラリッサの細い指を弄ぶように、手を撫でる。
その感触にくすぐったさを感じながらも、クラリッサが「もちろんです」と答えると、ヴェリオは話しだした。
「クラリッサがいなくなって、すぐに騎士団を動かして捜索したんだ。誘拐事件かもしれないと思ってね。必死で捜索したけど、クラリッサが誘拐されたって目撃証言は得られなかった。得られたのはクラリッサとマリア様が話していたって情報だけ。マリア様が俺に言ってきたんだよ。『クラリッサはヴェリオ様といるのがもうつらいと言って、出て行きました。もう帰ってくることはないと思いますよ』ってね」
「マリアがそんなことを……!?」
「もちろん、俺はそんなこと信じなかったよ。クラリッサは俺のことを好きだって言ってくれた。その言葉だけにすがって、俺はその後もひとりでクラリッサを探し続けたんだ。それで、この酒場に、茶髪に琥珀色の瞳を持った、きれいな看板娘がいるって聞いたんだ。酒場にたどり着いたときには、もう店は閉まってた。クラリッサの居場所を女将さんに聞いたら、ゴミ捨て場だって言うから行ってみたら、クラリッサが襲われてておどろいたよ。でも、本当に、会えてよかった」
クラリッサはヴェリオの愛を疑ってしまったのに、ヴェリオはクラリッサからの愛を信じて、探し続けてくれていた。
そのことが嬉しくて、そして何より申し訳なくて、クラリッサは気が付けば泣いてしまっていた。
「ごめんなさい、ヴェリオ様。私、どうして、ヴェリオ様からの愛を信じられなかったのかしら……! あんなにもヴェリオ様は愛してくださっていたのに……!」
泣き顔を見られたくなくて、両手で顔を覆うと、ヴェリオはクラリッサの腹に腕を回して頬をすりつけてくる。
ヴェリオの銀色の髪が頬に当たる感覚が心地よかった。
「いいよ。いいんだよ、クラリッサ。クラリッサが自分に自信のない子だっていうのは知ってた。愛されてるって自信が持てなかったんだよね。不安にさせてごめん」
肩をふるわせて嗚咽するクラリッサをなだめるように、ヴェリオが優しい声でささやきかけてくる。
クラリッサは涙を拭って、ヴェリオの腕の中で身をよじった。
ヴェリオの顔を見ると、その表情は切なげなものだった。
クラリッサはヴェリオの首にそっと腕を回して、ゆっくりとヴェリオを抱き締める。
彼の頭を抱くように抱き締めると、ヴェリオが胸元で「クラリッサ?」と不安げな声をあげた。
「ヴェリオ様。大好きです……。私はヴェリオ様の元を離れてからも、ヴェリオ様のことを考えなかった日はありません。ヴェリオ様が、まだ私を愛してくださるのなら、私はその愛を今度こそ信じ続けると誓います。……ヴェリオ様は、まだ私のことを愛してくださいますか?」
ヴェリオの頬をそっと両手で包んで、上から見下ろすようにして問いかける。
おどろいた様子で白銀の目を見開いていたヴェリオは、クラリッサの言葉にふっと微笑む。
「ずるいなぁ、クラリッサは。一生愛し続けるに決まってるでしょう」
ヴェリオの言葉にほほえんだクラリッサは、引き寄せられるようにヴェリオの唇に唇をかさねていた。
一瞬のキスを終えたふたりは、鼻先をくっつけて、お互いの瞳を見つめ合う。
そして、何度か唇を重ねたところで、ヴェリオが「ストップ」とクラリッサの唇に人差し指をあてた。
「このままじゃ、俺が止められなくなるから、今日はここでおしまい」
そう言ったヴェリオはクラリッサを抱き締めたまま、ベッドへともぐった。
シングルベッドはふたりで寝るとだいぶ狭い。
それでもヴェリオはクラリッサを離す気はないようだった。
「俺が紳士なことに感謝してよ、クラリッサ。そんな物欲しそうな顔しちゃってさ」
「そ、そんな顔してません!」
クラリッサが顔を真っ赤にして否定すると、ヴェリオがクスクスと笑う。
それから、ヴェリオはクラリッサの額に優しく口づけると、クラリッサを寝かしつけるように茶色い髪を指に絡めた。
「喧嘩も、もうおしまい。今日はもう寝よう。これからのことは明日考えればいい。実は俺寝不足なんだよね。ひとり寝がさみしくて」
「……私もひとりのベッドはさみしかったです」
言いながら、クラリッサはヴェリオの胸板に頬を寄せる。
ヴェリオはふっと笑って、「久しぶりに会ったクラリッサは素直だな」と少しおどけた調子で言うと、頭をそっと撫でてくれた。
「おやすみ、クラリッサ。愛してるよ」
「私も愛しています、ヴェリオ様」
クラリッサは久しぶりのヴェリオのぬくもりに包まれてなかなか緊張して眠れなかったのだが、ヴェリオはすぐに寝息を立てはじめた。
銀色のまつげが彼の陶器のような頬に影をおとしている。
ヴェリオは騎士としての仕事もあったはずだ。
その仕事の合間を縫って、クラリッサを探してくれていたのだと思うと、クラリッサは申し訳なさで胸が引き裂かれる思いだった。
だが、ヴェリオは喧嘩はもうおしまいと言った。
これ以上クラリッサが謝っても、ヴェリオは困ってしまうだけだろう。
クラリッサはヴェリオの胸に顔をうずめて、「ヴェリオ様、ありがとうございます」と囁いて眠りについたのだった。
***
翌朝、クラリッサは女将に改めてきちんと事情を説明し、酒場を辞めることと宿を出て行くことを伝えた。
女将は看板娘がいなくなることをたいへん残念がってはいたが、クラリッサの幸せを願って、送り出してくれた。
ヴェリオにしっかりと、「クラリスのこと幸せにしてやっておくれよ」と釘を刺していたところは、さすが女将だと感じたところだ。
宿に置いていた荷物はほぼないに等しい。
後にこの部屋に来る人の邪魔にならないように、荷物の整理だけしたクラリッサは、宿の外で待っていてくれたヴェリオと手をつないで、馬車乗り場まで向かった。
ヴェリオが呼んでいた馬車はすぐに到着し、クラリッサは数ヶ月ぶりの帰宅を果たす。
ずらりと並んだ使用人達が「おかえりなさいませ」とお辞儀をしてくれた姿に、クラリッサも頭を下げた。
「みなさま、ご心配とご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。これからは、ヴェリオ様の妻になる存在として、尽くしていきたいと思っております。こんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
クラリッサの謝罪に使用人たちは困惑した様子で顔を見合わせていたが、使用人頭が「もちろんですよ、クラリッサ様。こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします」と言ってくれたことで、クラリッサはほっと安心することができた。
そして、クラリッサは使用人たちの中からユイネルの姿を見つける。
普段感情をあまり表に出さないユイネルだが、その目に涙が浮かんでいるのを見て、クラリッサは「ユイネル!」と言って、ユイネルへと駆け寄った。
そして、そのままユイネルに抱きつくと、ユイネルも抱き締め返してくれる。
「クラリッサ様、本当に心配いたしました……」
「ごめんなさい、ユイネル。もう私はどこにも行かないわ。これからも私のことを支えてくれると嬉しい」
「もちろんでございます。ですが、クラリッサ様……」
ユイネルはクラリッサと抱き合ったまま、そっと耳打ちをしてきた。
「記憶喪失というのは、嘘だった、ということでよろしいでしょうか?」
「へ?」
数ヶ月の平民生活で記憶喪失設定のことなんて忘れていたクラリッサは、ユイネルから身を離して、素っ頓狂な声をあげる。
なぜ嘘だとバレたのだろうか。
ここで話すのは得策ではないと判断したクラリッサは、「ユイネルと積もる話がありますので!」と言って、ユイネルを連れて自室へと駆け込んだのだった。