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22 夢を叶えた人


「ベルーナ様!? どうして、ここに……!?」


「私の名前、忘れちゃったかしら? 私はベルよ。そちらの男性はデート相手?」


ベルーナは訳の分からないことを言いながら、カインの方を見やる。


カインはクラリッサの知り合いが現れたことに動揺したのだろう。


掴んでいたクラリッサの手を離した。


「デート相手ではなく、その、職場の常連さんなんです」


「まあ、そうなの。痴話喧嘩でもしているのかと思ったわ。あなた、レディはもっと大切に扱わなければデート相手にはなれないわよ」


ベルーナが天使の笑みを浮かべてそう言うと、カインは「今日のところは帰るよ。また店で会おう、クラリス」と気まずそうに言って去って行った。


クラリッサは、ベルーナを振り返り、感謝を述べた。


「ありがとうございました、ベルーナ様。でも、その、どうしてここに……?」


「ベルでいいわよ。もうベルーナの名は捨てたから」


「へ?」


「クラリッサ様も、その名は捨てたのでしょう? クラリスと呼ばれていたわね。私もそう呼んでいいかしら?」


「は、はい」


クラリッサが混乱しながらもうなずくと、ベルーナもとい、ベルは満足そうな表情を見せた。


「私とあなたはどうやら同じ境遇みたいね。今少し時間あるかしら? ちょっとお茶をして行かない?」


ウインクをしてお茶に誘ってきたベルに連れられて、クラリッサは近くのカフェへと入った。


ふたりで紅茶を頼んでから、クラリッサはベルを観察する。


あふれる気品は隠せていないが、どこからどう見てもベルは貴族の令嬢といった雰囲気ではない。


服装から見るに、旅人のようだ。


クラリッサが混乱していると、ベルは「びっくりしたわよね」とくすくす笑った。


「でも素敵でしょう、この衣装。商人の旅団に入るから、動きやすい服を購入したの。クラリスの服もすてきね。今は何をしているの?」


「私は酒場で働いて……って、私のことはどうでもいいんです! ベルーナ様っ、いえ、ベルはどうしてこんなところにいらっしゃるんですか?」


クラリッサは、平民になってから数ヶ月の間、ヴェリオはベルと結ばれることを祈り続けていたのだ。


ヴェリオの想いが実るように願っていたというのに、その望みは叶っていなかったらしい。


クラリッサが軽い絶望感を抱きながら訪ねると、ベルは紅茶を一口飲んで落ち着いた口調で言った。


「私はね、クラリス。幼い頃から商人になりたかったの。屋敷に来る商人に憧れてね、貴族のような堅苦しいところからは逃げ出して、平民になって商人になることをずっと夢見ていたのよ。その夢を叶えるために、私は屋敷を抜け出したの」


クラリッサはおどろいた。


完璧な貴族令嬢だったベルが、クラリッサと同じような夢を抱いていたことにびっくりしたのだ。


だが、クラリッサはまだ疑問に思っていることがある。


あの城での騎士団の交流会のときのことだ。


「で、ではどうして、城のテラスでヴェリオ様と抱き合っておられたのですか? ヴェリオ様はベルに愛の言葉を伝えていました。ヴェリオ様のお気持ちには応えられなかったということですか?」


クラリッサが戸惑いながらもたずねると、ベルがアイスブルーの目を一瞬見開く。


「クラリッサはあの現場を見ていたのね。全然気が付かなかったわ」


「答えてください! ヴェリオ様はベルのことを愛していたんです。ヴェリオ様の想いが叶わなかっただなんて、そんなの、悲しすぎます……!」


クラリッサは気付けば自分のスカートを握りしめていた。


目の奥が熱くなって、涙までにじんでしまう。


クラリッサはヴェリオの恋が叶うことを願って身を引いたのだ。


それなのに、ベルがその想いに応えなかったのだとしたら、こんなに悲しいことはない。


ベルはクラリッサを安心させるような優しい口調で「落ち着いて聞いてちょうだい」と言った。


「私はヴェリオ様とは幼馴染みなの。なんでも話せる友達だったわ。だからヴェリオ様にだけ、私が商人になる夢も伝えていたし、婚約破棄をした理由も適当なものをつけたけれど、本当は夢を叶えるためだってことも話していたの。あの懇親会の夜は、ヴェリオ様と会える最後の夜だった。だから、最後の別れを惜しんでいただけよ」


「でも、確かにヴェリオ様はベルのことが好きだって……」


「それは友人としてよ。もう二度と会えることはないでしょうから、最後に友情を確かめ合って私たちは別れたの。まさかクラリスがそんな勘違いをしていただなんて思わなかったわ。クラリス。今ヴェリオ様は全力をあげて、あなたを捜索しているのよ」


「え? こんなに時間が経ったのにですか……?」


ヴェリオがクラリッサを探してくれることは、クラリッサも考えていたことだった。


そのため、平民になった最初の頃は帽子を深く被り、顔を隠して街中を歩いて警戒していたのだ。


もう数ヶ月の時が流れたため、ヴェリオはクラリッサの捜索を諦めたものだと思っていた。


そして、ベルと幸せになっていることを祈っていたのだ。


それなのに、ヴェリオは未だにクラリッサの捜索をしているという。


クラリッサは自分がとんでもない勘違いをしていたのだということに気がつき始めていた。


「クラリス。あなたは、あなたが思っている以上にヴェリオ様に愛されているんだと思うわよ。懇親会の会場からクラリスが消えたときのヴェリオ様の狼狽ぶりと言ったらひどいものだったわ。人さらいにあったのかもしれないと、騎士団で捜索をおこなったりもしていたみたいよ。でもいくらヴェリオ様が騎士団の第1分隊隊長だとしても、私欲のために騎士団を動かすわけにはいかない。その後は、仕事の合間を縫って懸命にクラリスのことを探し続けていると聞いたわ」


「そんな……。私は、ヴェリオ様はベルのことを愛しているのだと思って、身を引いて……」


スカートを握る手が震える。


ヴェリオが必死にクラリッサのことを探してくれているのだと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


ヴェリオがくれたたくさんの愛を信じきることができなかった自分が、途端にひどい人間に思えた。


顔面蒼白になってしまったクラリッサにベルは「ひどい顔色よ。お茶を飲んだ方がいいわ」と勧めてくれる。


クラリッサは震える手であたたかい紅茶を飲み、少しだけ落ち着きを取り戻した。


「ヴェリオ様は、クラリスが帰ってきてくれるのを待っていると思うわ。あなたが、夢を持って平民になったのであれば、このまま平民として暮らせばいいと思う。けれど、ヴェリオ様への想いが残っているのなら、ヴェリオ様の元に帰ってあげて。あの方は、あなたのことを心から愛しているはずだから」


そう言ったベルは「懇親会ではまぎらわしいことをしてしまって、ごめんなさいね」と眉をさげて謝ってくれた。


だが、謝られるようなことではない。


マリアの言葉を真に受けて、勘違いしてしまったのはクラリッサなのだ。


ヴェリオを信じきれなかった自分が情けなく、申し訳ない。


今すぐにでもヴェリオの元へと帰って、謝罪をしたい気持ちでいっぱいだったが、どんな顔をして帰ればいいのかクラリッサにはわからなかった。


「クラリスの人生だもの。クラリスが自由に選び取れば良いわ。私は私の夢を掴む。そろそろ旅立ちの時間だわ」


そう言ったベルは紅茶を飲み干して立ち上がる。


クラリッサも共にカフェを出て、カフェの前でベルとは別れることになった。


「本当に旅立ってしまうんですね」


「ええ。これからが私の人生のはじまりだわ。クラリス。あなたもあなたの望む人生を歩めることを願っているわ。それじゃあ、元気でね」


優雅に手を振ったベルは、颯爽と歩いてカフェの前から去って行く。


取り残されたクラリッサは、耳についたピアスを撫でた。


「私の望む人生……」


クラリッサの長年の夢は、平民になり誰にもバカにされることなく恋をすることだった。


だが、その夢はヴェリオと出会ったことで変わったのだ。


「ヴェリオ様……会いたい」


ぎゅっと胸の前で手を握ったクラリッサは思わず滲んだ涙を慌てて拭う。


(とりあえず買い物を済ませなくちゃ。女将さんに怒られてしまうわ)


ヴェリオの元にどんな顔をして帰ればいいのかは、まだわからない。


だが、今はまず頼まれた買い物を済ませなければならないだろう。


ヴェリオの元に帰るにしても、お世話になった女将さんに事情を説明しなければならないはずだ。


やることはたくさんある。


クラリッサは、目の前のことから片付けることを決めて、買い物に向かった。


その背を追う影がひとつあることには気が付かなかった。


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