20 当初の夢
「マ、マリア!? どうしたの、こんなところで。今日は誕生日パーティーじゃ……」
クラリッサとマリアは誕生日が1年違いで同じである。
毎年ハニーベル家ではクラリッサとマリアのための誕生日パーティーが開かれており、マリアはそこでひとりだけスポットライトを浴びて輝いていた。
そして今日はクラリッサとマリアの誕生日だ。
なぜマリアがここにいるのか。
混乱しているクラリッサの腕を引っ張って、マリアは「こっち来なさいよ」と人混みをかきわけて、人気のない方へとクラリッサを連れて行く。
誰もいない庭園へと連れ出されたクラリッサが、マリアに改めて「どうして、ここに……?」とたずねた声は震えてしまっていた。
またマリアにはたかれたり、髪を引っ張られたりするかもしれない。
そう思うと、心臓がドキドキと早く脈打った。
そして同時に、まだマリアに怯えている自分が情けなくて仕方がなかった。
マリアは腰に手を当てると、「あんたのせいでしょう!?」と大声をあげた。
「あんたが、ヴェリオ様と婚約したから、私は誕生日パーティーの日付をずらしてでも、すてきな婚約者を手に入れなきゃいけなくなったのよ! ヴェリオ様よりも、もっと、ずっと、最高の婚約者様をね!」
クラリッサを指差して叫ぶマリアの勢いに圧倒されながらも、クラリッサは思わずたずねた。
「それは、お父様かお母様に言われたの?」
「お父様とお母様が私になにか言うわけないでしょう! あなた頭パーなの? ああ、パーだったわね。記憶喪失なんだもの。お父様とお母様には、ヴェリオ様よりいい男性を一緒に探してもらっているところよ。なのに、見せつけるみたいに私の前で踊ってくれちゃって……! あんた喧嘩売ってんの!?」
ヒステリックな声をあげるマリアに、クラリッサはオドオドしてしまう。
この状態になったマリアは手の着けようがないことをクラリッサは身をもって経験していた。
ひっぱたかれたことだって何度もある。
ヴェリオに甘やかされ、痛みから遠ざけられた日々を送っていたクラリッサは、マリアからの暴力に耐えられる気がしなかった。
(どうしよう、どうしよう、ヴェリオ様……!)
内心で思わずヴェリオに助けを求めていると、マリアがバッと手をあげる。
叩かれると思い、咄嗟に身を固めたものの、マリアはその手をぐっと握りこんで、ぶるぶると震わせながらゆっくりと降ろした。
「……え?」
「たたかれるとでも思った? たたくわけないじゃない。あんたがヴェリオ様に告げ口でもして、悪評が流れたら、私の結婚は絶望的なものになるわ。私はクラリッサとは違って顔も頭もいいの。ナメないでちょうだい」
唾棄するように言ったマリアは、クラリッサに一歩詰め寄る。
思わず一歩後ろに下がったクラリッサに、マリアはにんまりと嫌な笑みを浮かべた。
「でも、なーんにも知らないバカなあんたに最悪なこと教えてあげるわよ。見てたわ。ヴェリオ様がベルーナ様だけを特別扱いしていたところ。どうしてヴェリオ様がベルーナ様とだけダンスを踊ることにしたのか、クラリッサは知ってるの?」
「それは、きっと上司のメイラー隊長首席の娘さんだからで……」
「違うわよ!」
マリアは心底おかしそうに笑う。
お腹を抱えて笑ってから、「本当になにも聞かされていないのね、婚約者が聞いて笑えるわ」と言ったマリアは、とんでもない事実をクラリッサに明かした。
「ベルーナ様が、ヴェリオ様の元婚約者だからよ。ヴェリオ様はなにをとち狂ったのか知らないけれど、ベルーナ様との婚約を破棄して、クラリッサと婚約したのよ」
クラリッサは目を見開く。
思い出していたのは、初デートのレストランでの会話だった。
ヴェリオは酔っているクラリッサとマスカレードのパーティーで出会ったと言っていた。
しかもヴェリオは、両親から結婚相手を探してこいと言われたと言っていたのだ。
ヴェリオに元々婚約者がいたということは、あのヴェリオの話は嘘だったということなのだろうか。
クラリッサの動揺を見抜いた様子のマリアは、にやにやと笑いながら、クラリッサの心をさらに揺さぶった。
「ベルーナ様はおきれいで華もある方だから、ダンスもとってもお似合いだったわね。どうしてクラリッサみたいな、着飾っても地味な女を選んだのかしら。婚約破棄を申し出たのはベルーナ様からだって噂があるわ。ヴェリオ様は本当はベルーナ様と結婚したいと思っていたんじゃないかしら? それでもなにかやむにやまれぬ事情があって、結婚できなかった。それで、仕方なく手頃なあんたを選んだんじゃない? 今もベルーナ様を特別扱いしているところから見ると、ヴェリオ様ったら、ベルーナ様に未練たらたらじゃない」
ベルーナの手の甲にキスをするヴェリオの姿が脳内にフラッシュバックする。
ダンスを踊るふたりの姿もとても魅力的で、お似合いだった。
クラリッサは胸の前で手を固く握りしめる。
ヴェリオが今までかけてくれた愛の言葉たちが、すべて二番目の女として愛しているという意味のものだったとしたら?
わがままだとわかってはいても、それはクラリッサにとって耐えられないことだった。
「クラリッサ。あんたは愛されてなんかいなかったのかもしれないわよ?」
「そんなはずない。ヴェリオ様は私を愛してくださっていたわ」
「でもそれが一番か二番かはわからないじゃない」
マリアの冷めた言葉に、クラリッサの心が深くえぐられる。
クラリッサが黙り込むと、マリアは勝ち誇った表情を見せた後に背を向けた。
「私は“親切”でクラリッサに、ベルーナ様の正体を教えてあげただけよ。優しい妹に感謝してよね。それじゃあ、私はすてきな男性探しに戻るから。ごめんあそばせ」
言うだけ言ってマリアが去って行った後、クラリッサはしばらくその場から動くことができなかった。
ヴェリオが本当はベルーナと結婚したいと思っているのなら、身を引くべきだ。
それを確かめなければならない。
だが、それで本当にヴェリオがベルーナを選んだとき、自分は自分でいられるだろうか。
(それでも、聞かなきゃ……)
このまま曖昧なままで過ごすなんてこと、クラリッサにはできなかった。
ゆっくりとした足取りでクラリッサは庭園からダンスホールへと足を向ける。
テラス側から入った方が早いだろうと近道をするために人気のないテラスへと足を踏み入れようとしたとき、そこにヴェリオがいることに気が付いた。
声をかけようとして、慌てて口を塞ぐ。
ヴェリオは陰になる場所で誰かを抱き締めていたからだ。
息を殺してクラリッサがその誰かを確認すると、それは間違いなくベルーナだった。
ベルーナの細い腰に手を回し、ヴェリオはベルーナをしっかりと抱き締めている。
血の気がサッと引いたような感覚がして、クラリッサがその場で硬直していると、ヴェリオのさみしげな声が聞こえてきた。
「ベルーナ、きみのことが好きだったよ」
ガツンと頭を殴られたような衝撃がクラリッサを襲った。
ショックで自分が涙をこぼしていることにも気が付けなかった。
(ヴェリオ様は、やっぱりベルーナ様と本当は結婚したかったんだわ)
マリアの言っていたことは意地悪でもなんでもなく本当のことだった。
そう確信したクラリッサは気が付けば、ドレスをたくしあげて走っていた。
ダンスホールの脇の細い道を駆け抜けて、城門で警備をしていた騎士たちをおどろかせながらクラリッサは涙をぐいと拭う。
(そうだわ。私は18歳の誕生日に平民になるって決めていたんだもの。予定通りになったというだけのことよ)
自分を強く奮い立たせたクラリッサは、そのまま夜まで営業していた服屋を見つけて駆け込んだ。
おどろいている店主に、ドレスを売り、平民の服を購入したクラリッサはその服に着替えると、その晩は旅人が泊まるような安宿に転がり込んだ。
堅いベッドの上で、毛布を抱き締めて泣き濡れたクラリッサはその日から平民になることを誓ったのだった。




