02 プロポーズ
「私ですか?」
「そうだよ、クラリッサだろ?」
「はい……、そうですが……」
てっきりヴェリオは、マリアに話しかけにきたとばかり思っていたクラリッサは困惑していた。
隣にいるマリアは呆然としており、マリアの友人たちは皆一様にぽかんと大口を開けて驚いている。
クラリッサは、「えーと」と言葉を選んで笑顔で対応した。
「人違いではありませんか? 私はあなた様にお会いしたことはないかと……」
「あ、忘れたんだ。ひどいなぁ、クラリッサは。まあいいや。思い出してもらえばいいだけだし」
クラリッサは必死で記憶を探ったが、こんなイケメンに出会った記憶は脳味噌のどこを掘り返しても見つからなかった。
何かを忘れているらしいクラリッサを責めながらも、ヴェリオはサラリとその話は流してしまう。
そして彼は、ポケットに入っていた小さな箱を取り出した。
「こんなところで何だけど、善は急げって言うし、俺忙しいし、告白させてね」
「告白!?」
ひっくり返った声をあげたのはクラリッサではなく、マリアだ。
クラリッサは声も出ないほどに驚いていた。
ヴェリオはマリアの声など気にも留めず、箱を開ける。
そこには、ダイヤモンドが輝く婚約指輪がおさまっていた。
「クラリッサが良ければ、俺と結婚してほしい。俺にはクラリッサしかいないから」
怒濤の展開について行けず、クラリッサはポカンとしてしまう。
ヴェリオは銀色の美しい瞳で、クラリッサの琥珀色の瞳を見つめていた。
その吸い込まれそうな銀色の輝きに、思わずうなずきかけたクラリッサは、ハッとする。
(危ない! うなずくところだったけど、私はこの人と結婚しても幸せにはなれないわ!)
ヴェリオと結婚したところで、クラリッサが魔力なしであることに変わりはない。
貴族社会で迫害を受け続けるのは変わりないことだろう。
平民にならない限り、クラリッサに平穏なときは訪れないのだ。
この婚約を受け入れてしまえば、平民になるチャンスを逃してしまうかもしれない。
クラリッサは咄嗟に思い付いたことを口にした。
「お気持ちは嬉しいのですが、私の一存で決められることではございません。両親にご相談させていただいてもよろしいでしょうか?」
「そっか。ご両親は今ご在宅?」
「へ? は、はい。本日は屋敷におりますが……」
「それなら、すぐに行こう」
クラリッサが「え?」と言ったときには、ヴェリオに既に手を握られていた。
周囲にできていた人垣を掻き分けて、ヴェリオは夜会の会場を後にする。
外に停められていた馬車に乗り込むと、ヴェリオはなぜか向かい合う形ではなく、クラリッサの隣に座った。
もちろん手は繋ぎっぱなしである。
クラリッサとしては、手汗が気になるところだ。
「ど、どういうことでしょうか? まさか今から両親にお会いになると?」
「そうそう。悪いんだけど、クラリッサが他の男に取られちゃう前に結婚したいから、スピーディーに事を進めたいんだよね。仕事も忙しいし……。あ、ちなみに俺、仕事は騎士団の第一分隊の隊長やってるから。よろしくね」
騎士団第一分隊と言えば、精鋭の魔法使い達を集めた部隊だと聞いたことがある。
そんなところの隊長をやれるなんて、ヴェリオはよほど優秀な人物なのだろう。
そんな人物に求婚され、実家に「娘さんをください」をされに行かれているだなんて状況が、クラリッサは理解できなかった。
それでもクラリッサは笑顔を絶やさない。
微笑みを浮かべたまま訊ねる。
「ハニーベル家との繋がりを作りたいのであれば、私なんかよりマリアと結婚した方がいいのではないでしょうか?」
ヴェリオは片眉を跳ね上げた。
「どうして?」
「マリアは魔力量が平均より多いんです。それに対して、私は魔力なし。お忙しいヴェリオ様は知られておられないかもしれませんが、私は魔力が一切ないんです」
「知ってるよ。でも、クラリッサがいいんだ。ハニーベル家との繋がりが欲しいなんて微塵も思ってない。政略結婚なんかしなくても、俺は俺の力で成り上がっていくから、問題ないよ。俺の両親も、それでいいって言ってくれてる。まあ、両親は領地でのんびり過ごしてるから、会うことはほとんどないだろうけどね」
「だから嫁姑問題とかは無縁だよ」と笑顔で教えてくれるヴェリオに、クラリッサは苦笑する。
ハニーベル伯爵家との繋がりを求めての結婚でないのならば、ヴェリオは本当にクラリッサ目的で求婚してきたことになる。
どうしてこんな魔力なしなんかがいいのか。
クラリッサが抱いていた疑問は、両親によってヴェリオに投げかけられた。
「ヴェリオ様、よくお考えになってくださいませ。クラリッサは魔力なしですのよ! こんなハニーベル家の恥さらしを嫁にもらっていいことなどありません」
「そうですぞ! 嫁にもらうなら、マリアにしてやってください。マリアは見目もいいし、器量もいい。それに魔力量も多いんです」
ハニーベル邸にたどり着き、驚く両親にヴェリオが事情を説明すると、両親はこぞってマリアを推しだした。
応接室でローテーブルを挟んで座っているヴェリオと両親の間で、クラリッサは居場所がなく、立ったまま狼狽していた。
ヴェリオは両親の説得に「へえ」「ほう」という気のない返事しかしていない。
それに銀色の目は光りを失って死んでいる。
ヴェリオが何を考えているのかわからず、クラリッサが微笑みの裏で困惑していると、応接室のドアが開いた。
マリアがヴェリオとクラリッサを追って帰ってきたのだ。
「ヴェリオ様! クラリッサと結婚したいというのは本当なのですか?」
マリアが可愛らしい金色の瞳を潤ませて、ヴェリオに訊ねる。
ヴェリオは「はい。そうです」と、パッと笑顔を見せた。
「ご両親はひどい言いようですが、私はクラリッサ以外には考えられません。クラリッサと結婚できないのであれば、結婚なんてどうでもいいくらいに、クラリッサのことを愛しています」
(な、なにを言うの、この人は……!)
クラリッサは羞恥で叫びたくなるのをぐっとこらえた。
ここで顔を真っ赤にでもしてみれば、マリアが後からクラリッサにブチギレるのは目に見えている。
もう既にキレられることが確定している現在、これ以上マリアの神経を逆撫ではしたくなかった。
「ルミナリア公爵家との繋がりができるのは、ハニーベル伯爵家にとっても悪いことではないはずです。ぜひ、クラリッサと私の結婚を認めてください。認めてくださるまで、帰るつもりはございません」
そう言って、両親を見たヴェリオの目は真剣そのものであり、両親もヴェリオの気持ちは変わらないと諦めてしまったのだろう。
「わかりました」と両親は首を縦に振ってしまったのだ。
(ええ!? 私は平民になって恋がしたいのに! いきなり現れたイケメンとのラブストーリーなんて想定してないわ!)
クラリッサの内心の動揺などつゆ知らず。
ヴェリオはクラリッサの茶色い頭を「よろしく、俺のお嫁さん」と撫でるのだった。