16 好き避け
「クラリッサ様、それはいわゆる“好き避け”と言われるものだと思われます」
「好き避け……?」
初めて聞いた単語にクラリッサが首を傾げる。
ユイネルもクラリッサと同じ方向へと首を傾げた。
「クラリッサ様は、あれだけ恋愛小説を読んでおられるので、ご存知かと思いましたが……。あ、記憶喪失で忘れておられるのかもしれませんね」
ユイネルがひとりで納得してくれたことに、クラリッサは「そうかもしれないわね」とうなずく。
クラリッサは溺愛ラブラブものがすきで、そんな本ばかり読んでいたため、そんな言葉は知らなかったのである。
「好き避けというのは、好きすぎてその人とかかわると照れてしまってどうしようもなく、結果避けてしまうという状態のことを指します」
「なるほど……。恥ずかしいけど、今の私の状況と一致するわね」
ふむ、とあごに手を当ててクラリッサは考え込む。
「でも、照れてしまうのはどうしようもないわ。解決方法はないのかしら?」
クラリッサはヴェリオに嫌われるために、ヴェリオにあえて冷たくあたってきた。
そのため、今のところクラリッサ恋愛感情はバレずにクラリッサの心の中とユイネルにだけ秘められたものとなっているわけだ。
だが、このまま冷たくあたり続けていては、当初の予定通りヴェリオに嫌われてしまう可能性がある。
クラリッサはヴェリオの妻になることを心に決めた。
平民になる夢は諦めて、ヴェリオに愛される人生を歩もうと思ったのだ。
それなのに、嫌われてしまっては元も子もない。
クラリッサの真剣な恋愛相談に、ユイネルは真面目な表情で答えた。
「ヴェリオ様にお気持ちを正直にお伝えすればいいと思います」
「ヴェリオ様に!? 私のこの気持ちを伝えろと言うの!?」
「はい。ヴェリオ様もお喜びになられることと思いますよ」
「そ、そんな恥ずかしいことできないわ!」
ヴェリオに「好き」と伝えるなんて、想像するだけでクラリッサは茹だってしまう。
真っ赤になるクラリッサに、ユイネルは詰め寄るように言葉を紡ぐ。
「ですが、このままではヴェリオ様はクラリッサ様に嫌われていると勘違いなされてしまう恐れがあります。そうなると、ヴェリオ様はクラリッサ様を第一にお考えになる方ですから、ヴェリオ様自らクラリッサ様を手放してしまうことも考えられます。そんな未来をクラリッサ様はお望みではないはずです。クラリッサ様の望む未来はなんですか?」
「私の、望む未来は……」
クラリッサはマリアに階段から突き落とされ、死の淵を見たときに『恋がしてみたかった』と願った。
ヴェリオはそれを叶えてくれたのだ。
愛される喜びを、ヴェリオはクラリッサに教えてくれた。
だが、クラリッサはヴェリオを愛することができているだろうか。
「そうね……。私は、愛されてばかりだったわ。愛することも必要なのかもしれない」
クラリッサの言葉に、ユイネルがほんのわずかにほほえんだ。
「私はいつでもクラリッサ様の味方ですよ。ヴェリオ様なら絶対に、喜んでクラリッサ様のお気持ちを受け止めてくださるはずです。応援しております」
***
その日の晩。
帰ってきたヴェリオと共に食べた夕食は、あまり喉を通らなかった。
「好きです」と言わなければと思えば思うほどに、胸の奥が詰まるような思いがして、なかなか言えなかったのだ。
「クラリッサ、体調悪いの?」と、心配してくれるヴェリオに問題ないことを伝えて、クラリッサは夕飯後は自室に引きこもって、ソファーの上で膝を抱えていた。
「言わなきゃ。ヴェリオ様なら、きっと受け入れてくれるはずだわ。がんばるのよ、私」
ブツブツと呟いて自分を奮い立たせていると、寝室側のドアのノックが鳴る。
そのドアを叩くのはヴェリオだけだ。
クラリッサは「はい!」と弾かれたように返事をして、ソファーから立ち上がった。
ドアをそっと開けて入ってきたヴェリオは、心配そうな表情でクラリッサを見ていた。
「具合はどうかなと思って。夕飯全然食べてなかったよね? 風邪でも引いちゃった?」
歩み寄ってきたヴェリオがクラリッサの額に手を乗せる。
それだけでクラリッサの頬は赤らんでしまう。
「顔はちょっと赤いけど、熱はないみたいだね。おなか痛いとか、気持ち悪いとかもない?」
「だ、大丈夫です」
こくんとうなずくと、ヴェリオは額に当てていたその手で頭をよしよしと撫でてくれる。
「今日はもう寝た方がいいよ。無理して大きく体調くずしたら、俺が困るからね」
「どうしてヴェリオ様が困るんですか」
「そりゃクラリッサに何かあったら、俺が一番悲しいからだよ。クラリッサが階段から落ちたときだって、俺は自分の方が死ぬんじゃないかってくらい心配したんだからね」
「そ、それは、どうも……」と消え入りそうな声で言うクラリッサに、ヴェリオがくっくと笑う。
「ひとり寝は寂しいでしょ。俺ももう寝るから、クラリッサも寝る支度してベッドにおいで」
「待ってるからね」と言ってヴェリオは、寝室に続くドアの向こうへと去って行く。
クラリッサは、水を一杯飲むと、「よし」と自分を元気づけた。
食事の際には周囲の使用人の目もあって言いにくかったが、寝室ではヴェリオと完全にふたりきりになれる。
今夜思いを伝えよう。
そう覚悟して、クラリッサは戦場に赴くような気持ちで寝室のドアを開けたのだった。