12 憧れの本屋
ドレスショップから本屋までは歩くことにした。
馬車で移動するほどの距離ではなかったためだ。
「じゃあ行こうか」と言って、ヴェリオはクラリッサに手を差し出す。
クラリッサは渋い表情でヴェリオを見た。
「小さい子どもじゃないんですから、ひとりで歩けます」
「そう? じゃあ、俺がひとりじゃ歩けないから、手つなご。ほら、早く本屋さん行きたいんでしょ?」
ヴェリオがにっこり笑って言うのに、クラリッサは深いため息をつく。
それからしかたなく、本当にしかたなくヴェリオの手を握ると、ヴェリオは嬉しそうにしながら歩きだした。
すれ違う人たちがチラチラとこちらを見ている気がする。
バカップルに思われているのではないかと考えると恥ずかしくて、クラリッサはヴェリオに声をかけた。
「やっぱり手は離しませんか?」
「どうして?」
「すれ違う人がこちらを見ている気がするんです」
じとりとヴェリオを睨んで言うと、ヴェリオは「なんだそんなこと気にしてたの」となんでもないように言った。
「そりゃこんな美男美女が手を繋いで歩いてたら、見たくもなるでしょ」
「美男美女?」
「違う?」
柔らかくほほえんだヴェリオがクラリッサに体を近づけて顔を覗き込んでくる。
「近いです!」と真っ赤になって、その胸板を押すとヴェリオはクツクツ喉を鳴らした。
「美男なのは認めます。ヴェリオ様はお美しい顔をしていらっしゃいますから」
「おお、嬉しい。ありがとう」
「ですが美女はありえません。自分の身の程くらいわきまえているつもりです」
「クラリッサは美女でしょ。だからマリアはクラリッサにあえて地味でダサいドレスを着させてたんだよ。引き立て役にするには、クラリッサは美人すぎたからじゃない? ユイネルも言ってたよ。パーティーに行くときに、クラリッサは化粧すらさせてもらえなかったって」
確かに、クラリッサはパーティーに行くときにメイクをさせてもらったことはない。
だが、クラリッサがマリアの引き立て役にされていたことをどうしてヴェリオが知っているのだろうか。
聞いてみようかと思ったところで、自分は記憶喪失なのだったという設定を思い出す。
記憶がないにもかかわらず、「どうしてパーティーで私がマリアの引き立て役になっていたなんて知っているんですか?」なんて聞いてしまったら、『マリアの引き立て役だった』という過去をクラリッサが記憶していることがバレてしまうではないか。
クラリッサはもどかしい思いを感じながら、遠回しに聞いてみることにした。
「私はマリアの引き立て役だったのですか?」
「そうみたいだよ。クラリッサが言ってた」
サラリと言われた事実に、クラリッサは驚愕する。
クラリッサにはそんなことを話した記憶は一切ない。
だが、ヴェリオが嘘をつく理由もないだろう。
「そう、ですか」
ぎこちなくクラリッサがうなずくと、ヴェリオが「あ」と言って前方を指差す。
「あそこだよ、本屋さん。王都で一番大きな本屋さんなんだ」
「わあ」
ヴェリオが指差した先を見て、クラリッサは考えていたことなんてふっとんでしまった。
ガラス張りの店の中には、たくさんの本が並んでいるのが見える。
3階建ての建物を見上げるクラリッサを、ヴェリオはほほえましそうに見つめている。
「3階まで全部本でいっぱいなんだ。クラリッサの好きな恋愛小説は確か2階だったかな」
「早く行きましょう!」
クラリッサはヴェリオの手を引き、早歩きで歩きだす。
「ヒールで早く歩くと転んじゃうよ」とおかしそうに笑っているヴェリオに、「大丈夫です!」と返して、クラリッサは本屋へと突き進んだ。
1階はとりあえずスルーして2階への階段をのぼる。
どこを見ても本ばかりの空間に、よだれがたれそうな思いになりながら、クラリッサは案内板にあった恋愛小説の棚へと急いだ。
「あった!」
クラリッサはヴェリオの手を離して、1冊の本へと駆け寄る。
それは、クラリッサが楽しみにしていたシリーズの新刊だ。
平置きされた一番上の本をそっと大切に手に取り、胸に抱き締めたクラリッサは思わず満面の笑みでヴェリオを振り返っていた。
「ありました! 探していた本!」
ヴェリオはクラリッサの笑顔を見て、甘い笑みを浮かべる。
「やっぱりクラリッサの得意技は『笑顔』だね」
「へ?」
「なんでもないよ。笑った顔が世界一かわいいなと思っただけ」
「なっ、また、そんな……」
「冗談じゃない。かわいいよ」
とろけそうなほどの優しい瞳でヴェリオがクラリッサを見つめながら言う。
これは冗談でも嘘でもない。
そうわかってしまったクラリッサは本を抱いたまま、目をそらし「あ、ありがとうございます」とぶっきらぼうに答えることしかできなかった。
「ほら、他にも欲しい本があるんじゃないの? 馬車に乗せればいいから、何冊買ってもいいよ」
「ありがとうございます!」
照れた表情からパッと顔を華やがせたクラリッサは、本棚を物色しはじめる。
手持ち無沙汰だったのか、ヴェリオも1冊本を手に取り、「こんなに流行ってるんなら、俺も1冊くらい読んでみようかな」と呟く。
その呟きをクラリッサは聞き逃さなかった。
「ヴェリオ様も読まれますか!?」
「え、まあ。俺も読書は好きだし、クラリッサの好きなものは俺も知っておきたいから読んでおこうかなと思って。おすすめとかある?」
食い気味なクラリッサに、ヴェリオは若干押されている感じがあったが、クラリッサは気に留めずに「それなら!」と機嫌良く、本棚から1冊の本を取り出す。
「こちらの本なんかがおすすめです! 短編集なので、恋愛小説初心者の方でも、軽い気持ちで読むことができると思います! 私が持っているので、お貸ししますね」
「ありがとう。クラリッサが一番好きな本はどれなの?」
「私が一番好きな本はこちらです!」
ヴェリオの問いかけに、クラリッサは流れるように答え、本棚からまた1冊本を取り出す。
とある事情で男装令嬢が騎士団に入り、モテまくってしまうというシチュエーションの物語で、主人公の強い精神力が人気のシリーズだ。
シリーズ第11巻まで出ており、クラリッサは12巻の刊行を心待ちにしている。
本の内容を熱く語るクラリッサの話を、ヴェリオはにこにこしながらうなずいて聞いてくれた。
男装令嬢が王子に正体を気付かれたときの展開を語りかけたときに、クラリッサはハッとする。
「ご、ごめんなさい。私話しすぎましたよね……」
こんな話を聞いてくれる人はユイネルしかいなかったクラリッサは、ついついしゃべりすぎてしまった自分を恥じる。
しかしヴェリオは笑顔を崩さないまま、「そんなことないよ」と楽しげに言った。
「クラリッサの好きなものは俺も知っておきたいって言ったでしょ? クラリッサが楽しそうに話す顔もかわいいし、いくらでも話してくれていいよ」
「そ、そう言われると話しづらいです」
「ははっ。そう? じゃあ、俺は大人しくしとくから、好きな本選んでいいよ」
ヴェリオに促されたクラリッサは、その後真剣に本を吟味し、5冊の本を手に取った。
会計に向かおうとするクラリッサからヴェリオは、ひょいとその本を取り上げてしまう。
「これは俺からのプレゼントにするから」
「え!? でも、ドレスも購入していただいたのに……」
「ドレスは俺が押しつけたようなものでしょ? こっちは本当にクラリッサが欲しいものだから、俺から贈らせて」
「あ、ありがとうございます」
クラリッサが礼を言うと、ヴェリオ「ちょっと待っててね」と言って会計の列へと並ぶ。
会計は1階でまとめておこなわれており、列はそれなりに長かった。
クラリッサはもらってばかりでは悪いと思い、本屋の中でヴェリオに何か贈れるものはないかと探したが、ヴェリオの好みがわからないため見つからない。
途方に暮れて、ガラス窓から外を見たとき、そこにアクセサリーショップがあるのを見つけた。