10 過大評価
シンプルでタイトな紺色のドレスを身にまとったクラリッサは、食堂へと向かった。
ユイネルが編み込みを入れてくれた髪の毛は、首の横に流して、うなじが見え隠れするようにしてある。
ユイネルが言うには「このくらいの露出がちょうどいいものなんです」とのことだった。
クラリッサが食堂にたどり着くと、ヴェリオが既に座っていた。
彼の前にはまだ朝食は出てきていない。
クラリッサが来るのを待っていてくれたのだろう。
「お待たせいたしました」
頬杖をついて、机に置いた本に視線を落としていたヴェリオが顔を上げてクラリッサを見る。
ユイネルは「抜群に美しいです。そして言葉を選ばずに褒めるのであれば、エロいです」と言ってくれたが、ヴェリオにはどう映るだろうか。
クラリッサが着飾ったのは、あくまでドレスショップに行った際に恥じをかかないためだ。
ヴェリオには嫌われて、平民の身になりたいと思っている気持ちは変わらない。
だが、どうしたって、他人からの評価は気になるものだ。
ドキドキしながらヴェリオの反応を待っていると、ヴェリオはクラリッサの姿を見て、目を見開いた。
しばしの沈黙が流れた後に、ヴェリオが深いため息をこぼした。
クラリッサは泣きたくなる。
「し、失礼ですよ! 人の着飾った姿を見てため息をつくだなんて!」
「いや、ごめん。でも、もう言葉も出ないくらいだったからさ」
「言葉もでないくらいみすぼらしいという意味ですか!?」
「逆だよ、逆! 綺麗すぎて……、困る」
ヴェリオは頬杖をついた手で口元を隠して視線をそらす。
その顔がわずかに紅潮しているのを見て、クラリッサは思わずドキリとしてしまった。
イケメンの赤面姿は破壊力が強い。
「はあ、外連れ歩きたくないなぁ。綺麗な妻を自慢して回りたい気持ちと、かごの鳥にしたい気持ちが今せめぎ合ってるところだよ」
「まだ妻ではありません。それにドレスショップに行くために着替えたのですから、行ってもらわなくては困ります」
言外に、「あなたのために着飾ったわけではありません」という意味を込めたのだが、ヴェリオには伝わらなかったようだ。
まだ悩んでいるようで、ヴェリオは食事が配膳されている間も「はあ」と何度もため息をこぼしていた。
「クラリッサはさ、自分の魅力に気が付いてないみたいだけど、本当に綺麗でかわいいからね。そこのところ自覚して行動しないと、いつか痛い目見ちゃうよ」
「ヴェリオ様は私を過大評価しすぎです。ユイネルの化粧がうまいのです」
「化粧なんてほとんどしてないじゃん……」
ヴェリオ以外に、クラリッサのことを「綺麗」だの「かわいい」だの言ってくれる男性は他にいなかった。
多数決で言えば、クラリッサは不美人ということになる。
ヴェリオが特殊な好みをお持ちなだけの可能性が高いというわけだ。
クラリッサが褒め言葉をサラリと流して食事をはじめると、ヴェリオも食事をはじめる。
食事中、ヴェリオはクラリッサがいかに美しいかを熱弁してくれたが、クラリッサはその褒め言葉をただ受け流すのみであった。
***
「よし、じゃあでかけようか」
食事のあとの紅茶を楽しんだ後、ヴェリオが伸びをしながら言った。
使用人頭が「馬車の用意はできてございます」と言ってきたのに礼を言って、ヴェリオはクラリッサの手を取る。
「ドレス選び、楽しみだね、クラリッサ。でも体のラインが出るようなドレスは避けようか。他の男が群がってくるかもしれないから」
「それはないと思いますが、ヴェリオ様に買っていただくものなので、ヴェリオ様のお好みに合わせます」
「何色のドレスが似合うかなぁ。クラリッサは淡い色のドレスも似合うと思うんだよね」
クラリッサを見下ろしながら、ヴェリオは真剣に悩んでいる様子を見せる。
婚約破棄したいと願いながら、デートに行くことに改めて矛盾を感じていると、馬車まで辿りついてしまった。
いまさら行かないなんて言えないし、ヴェリオが買ってくれると言った本は欲しい恋愛小説のシリーズ最新刊が出たばかりだ。
渋々感を隠さずに馬車に乗ったクラリッサに対し、ヴェリオは相変わらず楽しそうである。
そして、当然のようにまた対面ではなく隣に座った。
「あの、どうしていつも隣にお座りになられるのですか? 近い気がするんですが……」
「近い方が嬉しいからだよ。好きな女の子とは、ちょっとでも距離を詰めたいものじゃない?」
「好きな女の子って……」
一体ヴェリオは、何がよくてクラリッサなんかに惚れているのだろう。
軽薄な笑みを見せるヴェリオの言葉が本心なのかわからず、クラリッサが困っていると、馬車の扉が閉まった。
馬車が走り出してからは、クラリッサは窓の外をぼんやりと眺めていた。
マリアはよく友人たちと連れだって街に買い物にでかけていたが、クラリッサにはそんな友人はいなかった。
パーティーにはクラリッサを連れて行って引き立て役にしていたマリアだったが、街への買い物にまでクラリッサを連れて行ったことはない。
つまり、クラリッサはこれが初めての街歩きになるのだ。
「街を眺めてなにか思い出せることとかある?」
「いえ、なにも……」
ヴェリオの質問にクラリッサは緩く首を横に振る。
思い出すも何も、遊びにでかけたことがないのだから、思い出しようがない。
マリアがクラリッサが一人ででかけることを嫌ったため、大好きな恋愛小説ですら、クラリッサはユイネルに購入してもらってきていたのだ。
そのため、クラリッサは内心ワクワクしていた。
ドレスショップに行くよりも、その後の本屋に行くときのことを思うと、ときめきが止まらない。
自室もかなりの本にあふれていたが、本屋となると規模が違うだろう。
ヴェリオからの愛に愛を返せない罪悪感と、初めての街歩きに期待する複雑な思いを抱えながら、クラリッサは馬車に揺られたのだった。