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第81話 そして彼女らは動き出す

「……と、いう事なんだ」


 おやっさんが来た日の夕食後、父親の栄一郎(えいいちろう)は娘たちに息子の現状を話した。


「ボクシングを辞めるってわけじゃあないんだ」

「ああ。ただプロテストで負けたのがトラウマになってて、そこさえ何とかできれば再起できると思うんだ。問題はどうやってそのトラウマを取り除くか、だけどな」

「……」


 林太郎(りんたろう)のトレーナーであるおやっさんとのやりとりを見ていて「負けたトラウマをどう解消するか」がカギなのは分かった。

 後はどうするか? という話だが、具体的にどうすべきかの案は白紙のままだった。




 翌日、土曜日なのもあって妹たちは兄の危機を救うべく動き出す……相変わらず「ふぬけ」になっている林太郎に対し、(ゆき)が市立図書館から借りてきた本を渡す。


「何だこれ? 『もうだめだと思った君に贈る34の言葉』か」

「今の兄さんには必要だと思いますので読んでください。確かジムはお休みでしたよね? だったら読めるはずです」

「……本なんか読んで何になるっていうんだ?」

「とにかく読んでください。2週間後にまた返さなきゃいけないからとにかく読んでください! 読んだ内容も問いますから読んだフリはしないでくださいね」


 大人しくて感情を荒げる事は滅多に見せない彼女が珍しく、命令口調で怒鳴るように兄に命じる。


「……分かったよ。読めばいいんだろ? 読むさ」


 相変わらず声のトーンはやる気のないものだったが、好意的に見れば何かをする気にはなってる分、前よりはましになっている。とは言えた。




(『第1章:絶望するのを好きになる 1:絶望出来る環境に感謝しよう』

 絶望して初めて周りから支えられていることに気づくものだ。それを知れただけでも絶望は有り難いものだと思わないだろうか?)


 とりあえず本を読める程度には回復した林太郎。ページ数で言えばやや少なめの本だがどういうわけか頭の中にスルリと入り込める。

 内容が頭に入りやすいように作られているのか、もしくは今の林太郎に必要な情報だから覚えやすいのだろう。

 パラパラと本を読んでいると……。


コンコン


 誰かが林太郎の部屋をノックする。視線を本からドアに移し、開けると(ひめ)が立っていた。




「……姫、何の用だ?」


 ドアをパタン、と閉めると彼女は上半身の服を脱いで胸を見せつけた。

 ブラジャーをつけていたから乳首が丸見えというわけでは無かったが、豊満な胸があらわになる。その豊満な果実の谷間に兄の顔を沈めさせた。


「ひ、姫。何す……」

「お兄ちゃん。お兄ちゃんは兄のプライドってのがあるだろうけど、弱音を吐いたって良いんだよ?

 赤ちゃんみたいに駄々をこねてもあたしなら許しちゃうかな。何せたった1人しかいないお兄ちゃんだし、本気で惚れた相手だもん。

 怖かったら怖いってハッキリ言っても良いんだよ?」


 まるで赤子をあやすかのようなタッチで、妹は兄に接する。


「姫、お前凛香(りんか)と仲が悪くなったら後釜に入るって、本気だったのか?」

「うんそうだよ。本気も本気、完全にガチで狙ってるよ。ま、今の所は付け入るスキなんて全く無いけどね」

「……辞めろ姫。こんな所を凛香に見られたら大変なことになる」

「やっぱりそう来るのね。こんな巨乳の女の子よりお姉ちゃんを取るなんて」


 姫は胸から兄の顔を開放する。彼女の想像ではこんなことされたら男は理性が吹っ飛ぶと思ってたのに、大違いだ。


「ま、何かあったらいくらでも相談に乗るから。お兄ちゃんが重荷をかついで辛かったら、持ってあげるよ。それ位なら全然気にしないからね。じゃあね」


 そう言って姫は服を着て部屋を出て行った。相変わらず、何を考えているのかよく分からない。




 姫の襲撃から3分も経たないうちに、今度は凛香が林太郎の部屋にやって来た。後数分時間のズレがあったら、大惨事だっただろう。

 その手にはスーパーの特売品であろう板チョコを持っていた。


「食べながら話そうか。良いでしょ? お兄ちゃん」


 林太郎は渡されたチョコを無言で食べ始めた。


「お兄ちゃん。お兄ちゃんには夢を追いかけて欲しい。私なんて……夢が無いんだから」

「……夢が、ない?」

「そう。将来何になりたいとか、将来何をしたいかなんて、何も無いんだから。

 お兄ちゃんはボクシングの世界王者になるのが夢なんでしょ? 夢があるだけ立派じゃない。私なんて、夢を見たくても出来ないんだから。そもそも、夢が無いんだもん」


 凛香は今にも涙が出てきそうな目で兄にそう訴えかける。彼女は持っていた板チョコには、一口も手を出していなかった。


「高校在学中にプロライセンスを取るって目標はどこ行ったの? まだ2年もあるでしょ? だったらそれに向けて練習でもしなさいよ! せっかく応援してるのにその態度は無いでしょ?」

「……」


 林太郎は答えない。


「とにかく夢を持ってるんだったらそれに向かって頑張ってよ。私のお兄ちゃんなんでしょ? 今みたいなお兄ちゃんは見たくない」


 そう言い残して凛香は出て行った。




「……なっさけない男だなぁ。妹たちにあんな心配かけて」


 林太郎は彼にしては珍しく、自虐的な独り言をボヤく。

 昨日よりはボクシングに対する情熱は回復したが、それでも怖いものは恐い。どうしようか、いっそ階級を変えてしまうか?

 答えはまだ出なかった。

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