第72話 昴(すばる)からの「ありがとう」
「というわけで、皇帝君は急きょ転校することになったんだ」
「……」
皇帝と校長が逮捕された翌日。彼が所属していた1年3組のホームルームでは「転校した」という「表向きの」理由をつけてクラスメートにそう説明していた。
もちろん多くのクラスメートは本当の理由を知っているが「本音と建て前を使い分ける大人の社会」を知るきっかけにはなった。
(皇帝さん、逮捕されたってさ。1組の凛香っていう子の家に押し入って彼女を殺そうとしたとか……)
(皇帝さん、凛香って子がが自分の思い通りにならなかったのが本当に許せなかったらしいよ。欲しいものは全部手に入れてきた、って前に堂々と言ってたし……)
3組の生徒たち、いや少なくとも高校の1年生の話題は皇帝一色だった。
クラス内はおろか1年生の間でもその名が広がっていた生徒の「転校という名の退学」は噂話のネタにするには格好の物だった。
「林太郎、お前の家に皇帝が押し入ったって本当の事か?」
「ああ。ハンマー持ってガラスぶち破って来たよ。ナイフも持ってたけど不思議と刺される! っていう恐怖は無かったな。凛香の事しか頭に無かったよ」
「はー、スゲエ奴だなお前。ナイフ持った相手を返り討ちだなんて伝説だよ、お前伝説作っちまったよ」
1年1組所属の林太郎は不良仲間相手にあっさりそう言うが、神経のイカレたナイフ持ちという何をやらかすか分からない相手に、逃げも隠れもせずに堂々と立ち向かい、返り討ちにする。
というのは高校生にとっては後世にまで語り継がれる伝説になるだろう。
その日の昼休み、林太郎が所属する1年1組のクラスに昴がやってきた。
不良仲間はすぐ彼に気づいて声をかけてくる。
「? 何だ? 昴、お前がここに来るだなんて珍しいな。なんか用か?」
「林太郎に会いに来た。いるよな?」
「ああ、アイツは今ちょっとトイレに行ってるそうだから少し待ちなよ。すぐ来るって」
林太郎率いる不良仲間はそう彼に言うので素直に従った。少し待つとすぐに林太郎が教室に戻って来た。
「林太郎、昴が来てるんだ。話をしたいってよ」
「ふーんそうか。お前がわざわざここまで来て話をしたいってのも随分と珍しいものだな」
珍しい客だがわざわざやって来るとは重要な用があるのだろう。林太郎は身なりを整えて話を聞く。
「林太郎、皇帝を退学にしてくれて本当にありがとう。助かったよ」
「!? いきなりその話題か?」
話題は学校中、少なくとも今日の1年生の間では誰もがする皇帝に関するものだった。
「何だお前「皇帝の事は友達だから構わないでくれ!」って言ってたじゃないか。
確か7月にお前が食中毒で入院してた頃の話だぜ? 俺は覚えてるぞ。助けてほしいならそう言えって散々言ってたじゃないか」
「そう言わないと皇帝に伝わって余計に痛い目に遭うからだよ」
不良からの「結局助けて欲しかったのに何でそう言わなかったのか?」という問いかけに昴は語りだした。
「僕は小学校5年生の頃から6年間いじめられ続けてきたんだ。昔は反抗したこともあったけど無駄だったんだよ。殴ったら殴り返されるんだ。
1回殴ったら10回、10回殴ったら100回、100回殴ったら1000回、1000回殴ったら10000回、殴り返されたんだ。
殴っても殴っても必ず殴り返される。だから殴らない方が痛くなくて済む、って思うようになったんだよ」
「つまり俺たちが助けるのを拒否したのは助けてもらうと余計に地獄を見るから、って事か?」
「ああそうだ。殴ったら殴り返されてくるからな」
いじめを行う側は大抵親や教師受け、クラスメート受けが良くなる処世術を産まれつき身に着けている。それに教師側も「いじめがあった」と公表したら履歴に傷がついてしまう。
その両者がガッチリとタックを組んだら無敵で、学校内では誰にも止める術はない。林太郎には姫のような協力者がいただけ、まだ幸運な方だったのだろう。
「お前には姫……ああ、俺の妹みたいにいじめに対する知識が少なかったから、適切な対処が出来なかったんだろうな。
ボイスレコーダーで物証とって警察や裁判所に通報、なんて考えられなくてもおかしくないよな」
「それに、逆らったら余計に苦労するからな。でもやっと自由になれたよ。高校のイベントで一番嬉しい事かもな」
そう言う昴の顔は明るかった。少し笑っているようにも感じられた。
「あ、そうだ。お前妹の霧亜と付き合ってるんだって? 話聞いたぞ?」
「いや、まだ付き合ってないよ。ただ彼女が僕の家にちょっかいを出しに来てるだけさ」
「そうか? 本人が言うには『友達以上恋人未満の微妙な関係が続いてる』らしいけど」
「勝手な事言うなぁ、アイツは」
昴はハァッ。と深いため息をついた。
「まぁ霧亜は少し変わった所があるけど悪い奴じゃないからさ。付き合っても良いんじゃないか?」
「林太郎、勝手に話を進めるのは辞めてくれないか?」
「ああ、悪い悪い。そりゃそうだよな。で、話ってのはそれだけか?」
「ああ。林太郎たちには随分と迷惑をかけたよ。悪かったな、じゃあな」
そう言って昴は3組へと戻っていった。




