第52話 映画館&ラーメン屋デート
「お兄ちゃん、ジムに通わない日っていつ頃になる?」
「ジムの無い日? 明日がそうだけど何かあるのか?」
「一緒に見たい映画があるんだ。付き合ってくれない?」
寝る前に凛香は林太郎を映画館デートに誘うために彼の自室へとやって来た。
家の北側に位置するのかあまり日光が入ってこない悪条件の立地、東側にも窓が開いてるため朝日は入ってくるが日中から夕方にかけては薄暗い部屋だ。昼間でも本を読んだりスマホを見るには明かりが必要になってくる。
「ふーん『僕は君に何度でも愛を注ぐ』か。聞いたことないな」
「あれ? お兄ちゃんは映画にはあんまり興味ないんだ」
「ああ。町に映画館があるのは知ってるけど、ボクシングジムへ行く電車の反対方向だから普段あんまり行かないんだよな。自転車でも結構時間かかるし」
いわゆる「ラブロマンス」の映画で大物俳優と女優が出るとあって人気なのだが、林太郎の耳には届いていないらしい。生活圏内に映画館が無くて、行く習慣がついてないのなら仕方ない話だ。
「そうだ。映画館に行くついでに俺が通ってる店を紹介するよ。口にあるかは分からないけどな」
「へぇそうなんだ。期待しちゃっていいかな?」
「実を言うと雪には合わなかったんだけど今度は行けるかな? って思ってるんだけどなぁ」
「ふーん。そうなんだ」
その後は少しばかり談笑してそろそろ寝る時間だという事で、凛香は自分の部屋に戻ろうとドアを開けると、雪がドアに耳を当てて立ち聞きしていた。
「凛香姉さん、兄さんの事だから明日は家系ラーメンのお店に行くと思いますよ? あそこ、かなり濃い味つけで私は馴染めなかったなぁ」
「へぇそうなんだ。雪は昔から薄味が好みだからねぇ。確かに聞いた話じゃ味は濃くてしょっぱいっていう噂が流れているけど、お兄ちゃんが薦めるお店だから断るわけにもいかなくてねぇ」
「個人的には『味薄め』と頼んだ方が良いと思いますよ。あの店は男の人がガッツリ食いたいっていうお店だと思いますので老婆心ながら忠告だけはしました。後は姉さん次第ですね」
「そ、そうなんだ。アドバイスありがとうね」
姉へのアドバイスが終わると雪はそそくさと自分の部屋に帰っていった。
翌日、林太郎と凛香の通う高校では帰りのホームルームも終わり、生徒たちは帰るか部活動を始めるという時間帯。2人は一緒に高校から町の映画館へ向かって自転車をこぎだしていた。
「そう言えばお兄ちゃんはボクシングジムに通うようになってもう半年以上は経ってるそうだけど身体の変化はあった?」
「そうだなぁ。通う前と比べて4キロ体重が増えたよ。もちろん脂肪じゃなくて筋肉がついたって話だろうけど。おやっさんが言うには特に腹筋と背筋が付いたってさ」
「ふーん。今度ジムへ見に行って良いかな?」
「良いけど外に出て走り込みの時間も増えたから、最悪入れ違いになっちまうかもしれないからそうなっても許してくれよな」
他愛もない会話をしながら2人は映画館に無事にたどり着いた。
彼らは高校生なので学生証代わりの「生徒証明書」カードを見せて大人料金の半額、いつでも1000円という安い値段でチケットを買って席に着いた。
「愛してる。何度でも言うよ。僕は君を愛してる」
映画のクライマックスシーンになって主人公とヒロインを演じる俳優と女優が甘い言葉をかけあう。凛香は一時も見逃さない、聞き逃さないとスクリーンに食い入るように見ている。
実際に恋人がいるけどそれでもこういう甘い物語というのは少女たるもの憧れである。いわゆる「甘いものは別腹、何ならケーキの種類ごとに腹がある」という奴である。
その後話はエピローグとなって2人のその後のシーンが描かれる。そう言えば林太郎はおとなしく鑑賞していたようだが彼女は彼を見ると……。
「……」
林太郎は何とか寝ないために必死になって目を開けていた。
指で閉じようとする目を無理やりこじ開けているものの焦点は一切定まっておらず、もうろうとする意識の中何とか目だけは閉じまいと必死だった。
「!? お、お兄ちゃん!? どうしたの!?」
映画館内なので抑えめの声で彼女は兄に声をかける。
「ううううう……ね、眠い……」
意識が混濁するなか、ひたすらに耐え続けた林太郎であった。
映画が終わり、映画館を出た林太郎と凛香の2人は感想を言い合っていた。
「いやー、ビックリするほど頭の中に話が入っていかなかったなー。
とにかく寝ちゃダメだっていう事しか頭になかったなぁ、No More映画泥棒の所しか正確に覚えているかどうか、ってとこかな」
林太郎と来たら話が入ってこない。などという問題外の発言をしているのだが。
「凛香、俺みたいなろくでもない奴と映画に行って良かったか?」
「まぁ思い出にはなったかな? それにお兄ちゃんが寝ちゃうのは予想できたし、ろくでもない奴だなんて卑下する必要も無いわ」
「そうか、何もかもお見通しって奴か。そりゃ学校の成績がいいわけだ」
「あら褒めてるの? 嬉しい事言うじゃない。それと、今度はラーメン店に行くんだよね?」
「何だ、知ってるのか?」
「うん。雪から少し聞いてる。男の人がガッツリ食べる系の店なんだって? たまにはそういうお店でもいいよ。まぁデートで毎回続くとまた問題だけど」
「あ、ああ。今回だけな。今度はもう少しまともな店を紹介するから」
昔、雪を誘った時にはあまりいい顔をしてくれなかったが、林太郎にとってはこういう店しか利用しないため、バカの一つ覚えみたいに連れていくしかなかったのだ。
「確かに濃いわねぇ。お兄ちゃんみたいな男の人向けっての、よく分かるわ」
平日とはいえ夕食の時間帯なのか、林太郎行きつけの家系ラーメン店は混んでいた。
座敷席には子連れの家族が、後はカウンター席に仕事帰りのおっさんサラリーマンがいる中、2人はカウンター席に隣同士で並んで座って注文の品を受け取った。
雪はどうしても受け入れてくれなかった味だが、凛香にとってはまぁまぁな味だった。
「やっぱり味が濃いか? 雪は普通でも濃すぎてダメだって言ってたから」
「うん、そう思うのも分かるわ。あの子薄味が好みだからねぇ。油揚げとかも味を薄めに作ってるんだ。お兄ちゃんには物足りないかもね」
「へぇ、通りであんなにも味がしないわけだ。そういう家の味かと思ったんだけど」
ズズズ、と麺をすする凛香の横顔も良い。以前見せてもらった雑誌では母親はモデルとして活躍していたそうだが、彼女の美しさを受け継いだだけある。
「お兄ちゃんどうしたの? 私の事まじまじと見つめて」
「!! あ、ああ。その、横顔も良いなぁって」
「あら褒めてるの? へへっ。アリガトね、お兄ちゃん」
それにニッコリとした笑顔で返す凛香は相変わらず愛らしい。林太郎にとってはこんな美少女が彼女、それも日夜共に過ごせるだなんてもったいない位だ。
もうすっかり暗くなった帰り道を進んで、自宅まで戻って来た。駐輪場から自宅に入るまでの間、ちょっと気になった事について話していた。
「ところで凛香、何で俺なんかに惚れたわけ? 欠点なんていくらでも言えるけどそれが全部どうでもよくなるくらいに大好き。って言ってたけど」
「う~ん……夢があってそれに向かって努力しているところ、かな。高校卒業までにプロライセンス取ってゆくゆくは世界王者になる。っていう立派な夢持ってるじゃない。一番大きいのはそこかな」
「へぇ。そうなんだ」
「いつか本当に世界チャンピョンになる日まで応援するから頑張ってね、お兄ちゃん」
「あ、ああ。分かった、ありがとな」
凛香は自分の腕を林太郎の物と絡ませつつ玄関のドアを開けた。




