第45話 サクラチル ユキフカシ
お互い好きで結婚したのに、恋人よりも距離の近い夫婦になると相手の嫌な所が見えてくる。恋愛小説では良く出てくる話は最初は信じてなかった。でもそれは本当の事だった。
林太郎を「兄」として見ているうちは「強くて頼りになる男らしい兄」で済んでいた。でも「恋人」になるとその強い部分が悪い所で噴出した。
近くに寄って見ると本人も、彼と仲がいい高校のクラスメートも暴力を振るう事に抵抗がない不良で、共に近寄りがたい何かがあった。
ボクシング世界王者を目指しているという立派な夢を持っているそうだが、自分にはその応援は出来そうにない。
例えボクシングというスポーツだと知っていても彼が殴られる所を見るのは苦手というか、もっとはっきり言えば「無理」な話だ。
「月は遠くから眺めるからきれいなんだよ。俺なんて何度アポロになったか分からん」
どこで読んだかは覚えていないが、そんなセリフがどこかのマンガに書いてあったと思う。本当だな、それ。
◇◇◇
雪が姉の姫と相談した翌日の朝。朝食をとってさあこれから何しよう? という時に、彼女は意を決して思いを伝える事にした。
「兄さん。その、とても……とても大事な話があるんです。聞いてくれませんか?」
「!! あ、ああ。分かった。とりあえず俺の部屋でしようか」
彼女の瞳からは不安や恐れ、そして決意の3つが混ぜ合わされた感情が読み取れる。どうやら大きな何かをするらしい。林太郎も真剣になって話を聞くことにした。
林太郎の部屋の机のイスに雪は腰かけ、林太郎はベッドをイス代わりにして座って話を始める。
「兄さん、私は兄さんの事が好きだったんです」
「あ、ああ」
好き『だった』……? って事は。林太郎は直感で彼女の話の内容が分かった。それでも相手が切り出すまで待つことにした。
「私、家族に男の人が出来るのは初めてで……やっとちゃんとしたお父さんや兄さんが出来るのを知って嬉しかったんです。だから、兄が出来るって凄く期待していたんです」
雪の告白は続く。
「実際の兄さんは結構男らしいですし、遠くで見ている分には良かったんですけど、恋人になって近くで見ていると苦手な部分が出てきてしまって……。
兄さんにとってはボクシング世界王者になるのが大きな夢なんだとお聞きしていますが、私としてはそういうスポーツなんだと分かっていても兄さんが殴られるところなんて見たくないんです。
それに、兄さんの友達の不良も苦手でして見ているとどうしても怖くなってきて、襲ってきたらどうしようって不安で……」
「……」
林太郎は黙って彼女の話を聞いていた。
「兄さん。私の方から好きだと告白してきたくせに、こんな話を切り出すのはどうかと思いますけど……私たちはもう無理なんだと思います。
好きでいなきゃ、恋人でいなきゃ、って思えば思う程苦しくなってきてつらいんです。一緒に食べる食事も全然おいしくないですし。
兄さんに好きって告白したこと、無かったことにしてくれませんか?」
雪は言うだけの事は言った。後は返事を待つだけ。1分が1時間にも感じるほどの長い長い沈黙の後、林太郎が口を開いた。
「雪、お前もそう思うんだよな。俺も雪を傷つけないように慎重に接してきたけど、俺にとっては雪は「綿で包んでもケガをする」位に繊細で、正直どうしたらいいか迷ってた。俺も雪にはたくさん迷惑をかけてきたよ、悪かったな色々と」
「じゃあ……受け入れてくれるんですね」
「ああ。兄としてはきちんと接するから安心してくれ」
「ありがとうございます、兄さん。こんな女でしたけど色んな思い出をありがとうございました……じゃあね」
雪はおじぎをして元恋人の部屋を出た。
別れた直後、雪は姉である姫の部屋へとやって来た。
「姫姉さん……兄さんと別れました」
生気の感じられない声で彼女は姉に報告してきた。
「分かったわ。ちょっと待ってね」
姫はそう言って台所に行くと雪のコップを持って部屋に戻ってくる。そして部屋の隅に隠しておいたビール瓶のようなものに入った、これまたビールのような黄金色の液体をコップに注いだ。
「雪、これはお姉ちゃんからのおごりだから遠慮せずに飲みなさい」
「姫姉さん、これもしかしてビールじゃ……」
「大丈夫、これは『こどもビール』って言ってビールに似せたノンアルコール飲料だから。こういう時のための姉さんとっておきの物だから遠慮も何もいらないから飲みなさい。
あと徹底的にグチりなさい。お姉ちゃんは彼氏はいないけど、グチだけはいくらでも聞いてあげるから」
「うう……姫姉さん……」
ボロボロと泣きながら雪は涙混じりのこどもビールを飲み始めた。
(今夜プランを決行ね。今ならいけるかも)
姫は妹のグチを聞きながら、頭の中では今夜決行するプランの最終確認をしていた。今夜こそ、アイツを、落として見せる。って奴だ。




