第42話 凛香の本当の家族
林太郎が16歳になって3日後……。
コンコン
彼の部屋のドアをノックする音が聞こえる。部屋の主が開けるとそこには凛香がいた。彼女が兄に用だなんてかなり珍しい事だ。
「林太郎、お盆の間はジムに行くの?」
「お盆期間中は休みだよ。さすがのおやっさんも『盆と正月とゴールデンウイークとお彼岸くらいは休ませてくれ』ってさ」
「じゃあ明日11日は1日空いてる? ちょっと会わせたい人がいるの。悪いけど制服着てくれる? 私も着るからさ」
8月11日、つまりは山の日。林太郎にとっては特に予定らしい予定はなかった。
「会わせたい相手……? まぁいいけど」
せっかくの妹の願いだ。兄として明確に断る理由が無ければ基本受け入れることにしているので林太郎はあっさり首を縦に振った。
翌日、とっくの昔にクリーニング店から戻っていて、9月まで着ることは無いだろうと思っていた制服を着て2人は電車に揺られていた。
「会わせたい人がいる」という事なので林太郎も凛香も夏休みとはいえ制服姿だ。彼女の右手には財布や小物類の入った通学カバン、左手には菊の花と線香が握られていた。
電車に乗って30分ほど、着いた駅から歩いて15分ほどの場所にある霊園までやって来た。
電車の中や駅構内は冷房が効いているが、降りれば待っているのは場所によっては35度を超える真夏の猛暑日。
まだ午前10時を回ったかそこらという時間帯なのに、2人とも汗が噴き出るくらいに出る暑さだ。
時期的に線香の香りが強くする場所を妹に先導されるまま林太郎は歩き、とある墓石の前までやってくる。
「あった、ここだ。ハァ、相変わらず荒れちゃってるねぇ」
「日野家代々之墓」
という文字が刻まれた墓石に凛香は手を合わせ、花と線香を手向けていた。林太郎もそれをマネしてワンテンポ遅れて手を合わせて祈る。
「凛香、この墓ってまさか……」
「うん。私の本当のお父さんとお母さんのいるお墓よ。また新しい家族が出来た、っていう報告をしたかったんだ」
彼女はそう言って墓石を持ってきたタオルで拭いて周辺の雑草を抜く。
「やっぱり家の人間は私1人しかいないから荒れちゃうなぁ。春のお彼岸にも掃除したのにすぐ元通り……」
手こそ止めないが彼女はボヤく。春と秋のお彼岸と夏のお盆の年3回程度しか来ないのでそうなるのも仕方のない事なのだが。
「よし、キレイになった」
春のお彼岸以来誰も来なかったのか汚れや蜘蛛の巣が結構付いていたが、墓石の掃除が終わるとだいぶ見た目も変わってくる。
「ねぇ林太郎、ちょっと早いけどお昼にしない? いい店知ってるんだ」
「? あ、ああ。俺は別にいいけど」
凛香に連れられてきたのは霊園の入り口近く、墓参りに行く際に見かけた洋食屋だ。
「ここよ、ここ」
「え? ここか? こんな誰も近づかねえ場所に店出して客なんて来るのかぁ?」
「いらっしゃいま……あ! 凛香ちゃん! 来てくれたんだ!」
洋食屋らしい店内に入ると中年で顔に少しシワがついたウェイトレスが凛香に、まるで久しぶりに会った友達に気安く声をかけるような口調で語りかけてくる。
「仲、良いんだな」
「うん。本当のお父さんとお母さんの代からの常連なの。電話番号も交換してたまに話もしてるんだ。もちろん仕事以外の時間帯だけどね」
「へぇ。親の代からって事はかなりの常連客なんだな」
従業員に顔を覚えてもらえるって事は相当な常連らしい。林太郎はそう思いながら凛香と共に席に着く。
彼はライスとスープが付いた「ハンバーグセット」を頼み、彼女は「オムレツ」を頼んだ。
「にしてもこの店、こんな霊園近くに出して客なんて来るのかなぁ?」
「私もそれが気になって聞いたんだけど『霊園近くなら土地や税金が安いし、人通りは少なくてもお墓参りの帰りに寄ってく人がいるのでリピーターは結構いる』そうよ。私だってそうだもん」
「へぇ~、考えてるんだな」
料理が来るのを待っている間、凛香は兄に対し「本当に話したかったこと」を告白する。
「ねぇ林太郎、私の本当のお父さんとお母さんの話、したいんだけどいいかな?」
「あ、ああ。別に良いけど」
凛香の話が始まった。
「私が七菜家に拾われる前の本当のお父さんは会社経営をやってたの。絶好調だった時は3社の会社を運営してて噂じゃ年収は10億あったとか聞いてたわ」
「!? なっ!? 10億!?」
年収10億。林太郎からは想像もできない位の圧倒的なカネだ。そう考えると凛香は相当なお嬢様だったんだろう。
そりゃ「クラスの誰もが1度は彼女に恋をする」程の才色兼備の美少女になるはずだ。
「うん、かなりのやり手だったらしいわ。お母さんは11歳からファッション雑誌のモデルをやってて、とてもきれいな人だったの。
私、お母さんが表紙を飾ってた当時の雑誌持ってるから見せてあげるわ。私にそっくりだよ」
凛香は通学カバンからその雑誌を取り出す。今ではもう休刊してしまった雑誌だがその表紙を飾る少女は色素の薄い長い髪をして、灰色の目をしていた。
今の凛香と同じくらい、愛らしい少女だった。
「その雑誌のお母さんは当時15か16歳くらいだったって言うからちょうど私と同じくらいの頃よ」
「へぇ、母親によく似たんだな」
軽くではあるが父親と母親の紹介が終わり、本題に入る。なぜその両親が死んでしまったのか? という話だ。
「こうやって本当のお父さんとお母さんの話をするって事は、鈍い林太郎でも分かるよね?」
「鈍いってわけじゃねえけど分かるよ……何で2人とも死んじまったんだ? って話だろ?」
「うん。交通事故よ。家族3人でドライブ中に居眠り運転していたトラックが対向車線をはみ出して私たちが乗ってた車に突っ込んできて……後部座席に座ってた私だけが助かったの。
運転席にいたお父さんも助手席にいたお母さんも即死だったそうで、おそらく苦しむ瞬間すら無かっただろうって言われたわ」
「……凛香、お前も辛い思いしたんだな」
「そこまで辛いってわけじゃないけどね」
林太郎はその受け答えにツッコミを入れたかったが、彼女はそれをさせないようにと流れるように話を続ける。
「2人とも今でいう『毒親』って奴なのかな。お父さんはテストで90点以上取らないと人権が無いって言ってたし、80点台を取ったら殴る蹴るの暴行をしてきた。
お母さんはお金持ちと結婚して子供を有名私立に入れるセレブママになりたかったそうで、昔から「お受験」ばっかり私にやらせてたわ。
お父さんはお母さんの若さと美しさに、お母さんはお父さんの地位とお金に釣られて結婚したの。
お母さんは22歳なのにお父さんは52歳で、親子ほどもある年の差婚とか言って周囲では話題になったけど、その人たちの子供である私は不幸になる一方だったわ。
それに、私が小学校に上がる頃には夫婦間も冷え切ってて、毎日口げんかしてた。毎日やってて飽きないのか不思議だったわ。
あと、こんなこと言ったら怒られると思うけど、両親が死んでホッとしてる私がどこかにあるのよ……『これでもう2度とお父さん火山が噴火しなくて済む』『ケンカしているところを見ずに済む』っていうのは大きな安心なの。
まぁお父さんは今でも私の心の中に生きていて、点数が悪いと生前してたのと同じように暴力を振るってくるけどね」
そこまで話して会話が途切れた。
しばらく黙った後、凛香が口を開いた。
「林太郎……私、酷い女でしょ。実の両親が死んだのに悲しまないだなんて……ホッとしてる、だなんて言語道断だ! って思うでしょ?」
「いや、そんな事ないよ『もらって無いものは返せない』って言うから、凛香がそう思うのも無理ない話だぜ。
それに俺の母親も酷いもんだぜ? オヤジがエリートサラリーマンを辞めたら『お金の無いあなたは嫌いになりました』って言って蒸発したんだぜ?
俺の事も『相手に押し付ける邪魔な荷物扱い』するんだぜ? 酷さ比べじゃお前の親相手でもいい線行くと思うぞ? そんな親でも墓参りに行くんだから出来た奴だよ凛香は」
「林太郎……ありがとう。そう言ってくれると、話をしてよかったって本当に思ってる」
凛香が兄に見せる態度としては珍しい方に入る尊敬のまなざし、それに安堵の表情を見せてくれた。
「お待たせいたしました。ハンバーグセットに、オムレツですね」
話が終わるのを見計らったかのように、ウェイトレスが料理を持ってきてくれた。
「お、ちょうどいいな。へぇ、美味そうだなぁ」
「小さい頃から食べてるけど味は保証するわ。何せ子供の頃から通ってるからね」
凛香が保証する通り絶品の味、少なくとも洋食の中では格別の料理だった。
「うわ! 何だこれ!? ハンバーグってこんな美味い食い物だったっけ!? 俺の知ってるハンバーグと何もかも違うんだけど!」
「ハハッ。そこまで言うの? ちょっと驚きすぎじゃないの? 喜んでくれるのは嬉しいけどさぁ」
林太郎も凛香もお互いに気づいてなかったが「2人きりで食べるからこそ」店の料理はおいしかったのだ。
「「ただいま」」
「……お帰り」
林太郎と凛香が揃って自宅に帰ってきたのを雪がジト目で出迎えた。声も低くて機嫌が悪いのは誰がどう見ても明らかだ。
赤い縁のメガネをクイと直しながら、にらみつけるように姉を見ながら呪詛をたれる。
「凛香姉さん、随分とまぁうれしそうですね。兄さんには私がいるって知っておきながら堂々と兄さんとデートするだなんてよくそんな図々しい真似ができますね?」
「いや、別にデートってわけじゃないけど。ただいつも通りお墓参りに行っただけだから」
「分かりました。日ごろ姉さんにはお世話になってるので、今回だけはそういう事にしておきます。でもあくまで兄さんと付き合ってるのは私ですから、そこを忘れないでくれませんかね?
いくら姉とはいえ妹に対してでも許されない事の1つや2つはあるでしょ? 守っていただかないと困ります」
雪にしては珍しくトゲのある言葉と視線で姉を射抜く。
林太郎が自分の部屋に戻ろうとすれ違った瞬間、
「兄さんの……バカ」
小さな声で彼女は恋人である林太郎にそう言った……ように聞こえた。




