悪魔の臭い
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守で、名前をエフと言う。
先日、嫌味な上司の命令で、この異世界支店に転勤をして来たばかり。
今日も、最終決断補助者見習いのアイちゃんと共に、こちらの世界の奇妙奇天烈なワンダラーの対応に追われている。
転勤早々、僕は、スライムの子供の最終決断を補助した。
まだ引っ越しも終えていないというのに、まったく忙しい。トホホのホであ~る。
♪♪♪~♪♪~
事務所に戻り、椅子に腰を掛けた時、賽の河原一帯に、大音量のメロディーが鳴り響いた。
「なに、この曲? 」
「……時報サイレンです。もう正午です」
「田舎の農村かよっ!」
「…………ははは」
「あれ。僕の関東風突っ込み、いまいちたっだ?」
先ほど、ワンダラーに無断で来世を告げるなどの行為をして、僕に叱られたアイちゃんが、課の机で深く落ち込んでいる。あきらかに怯えて、僕の顔色をうかがっている。
「死者が列を成す賽の河原には似つかわしくない、とてものどかな曲調だね」
「…………ははは」
「ねえ、アイちゃん、僕は、もう怒ってはいないよ。さあ、気を取り直して、一緒にお昼休憩にしよう」
もうじゅうぶん反省をしている様子だったので、僕はアイちゃんを気遣った。
「うっひょー! そうっすよねー! いつまでもクヨクヨしてたまるかっつーの! はーい! それでは、ただいまより、アイちゃんが、先輩のためにお昼ご飯を作りまーす!」
途端に機嫌が良くなった。速攻で気持ちが切り替わったぞ。恐るべきポジティブシンカー。
「ふんふん、ふ~ん、ふふふ~ん♪」
時報サイレンのメロディーを鼻歌で口ずさみながら、アイちゃんが、彷徨人課の廊下を挟んで向かいにある給湯室で、手料理を作り始める。
僕は、その間にフェリーマンタブレットを起動させて、先ほどはじめて使用した前世と来世を調べるアプリケーションソフトをあれこれといじっていた。
あちらの世界で僕の上司の渡し守ビーが、このふたつのアプリには、便利なオプション機能があると言っていたのを、ふと思いだしたのだ。
トップ画面から、赤と青のアプリのうち、とりあえず青いアイコンの『来世検索アプリ』をタップして起動させる。
ふむ。確かに画面の右上に『オプション』という文字がある。その文字を指先でタップすると、オプションの説明文が表示された。
なになに『下に表示されているスタートマークをタップして、機器本体から発光される『バーチャルリアリティー光線』で死者を照らすと、光線を浴びている間、その者は自分の来世を疑似体験することが出来る』……???
「さあ、先輩、出来ましたよ~!」
僕がタブレットを凝視して首を傾げていると、給湯室からアイちゃんが熱々のどんぶりをお盆に乗せてオフィスに戻って来た。
「渡し守は、体力が肝心ですからね。しっかりスタミナをつけて下さいね。さあ、召し上がれ。アイちゃん特製、にんにくラーメンです」
「げ、な、なにこれ?」
机の上に置かれた料理を見て、またもや僕は椅子からずり落ちそうになった。そのフォルムは、いわゆる中華どんぶりに入った熱々のラーメンなのだが、問題はスープの色だ。眼球に突き刺さるような鮮やかな青色をしている。具材としてゴロゴロと添えられている強烈な臭いのするニンニクも、同じく鮮やかな青色。
「何って、ショッキングブルーにんにくラーメンですけど?」
アイちゃんが、きょとんとしている。
「いや、『ご存知!』みたいな感じで言うな! あきらかに不自然なネーミングだろうが!」
気持ちの悪いラーメンだなあ。それでもせっかくアイちゃんが僕のために作ってくれたのだ。僕は恐る恐る食した。
「美味いっ!」
「でしょう!」
味は、あちらの世界の黒にんにくラーメンにそっくりだ。
「うっひょ~、急に食欲が湧いてきた。ねえ、アイちゃん、ご飯ある? やっぱ、ラーメンには、白米っしょ」
「ご飯ならありますよ。はいどうぞ」
「げ、な、なにこれ? くぅ~、鮮やかな黄色が目に刺さる」
「何って、ショッキングイエロー米ですけど?」
……味は、あちらの世界の白米と同じだった。
「ご馳走さまでした。もうお腹いっぱいです、色はさておき、味は最高、とても美味しかったよ。アイちゃん、ありがとうね」
「キャー、うれしいー!」
「最後に、お茶を一杯くれる?」
「はい、どうぞ、ショッキングピンク茶」
「んもおおおおお、ショッキングばっかり!」
そんなこんなで、僕が、ショッキングづくし料理を食べ終えた、その直後のこと。
突然、アイちゃんが、何者かの気配を感じて、ビクッとした。
「どうしたの、アイちゃん?」
「……臭う。臭うわ。来ている。やつが、この賽の河原に来ている」
すんすんと辺りを嗅ぐ仕草をした。
「やつ? やつって?」
「メフィストです」
「メフィスト?」
「はい、美しい女性の姿をした悪魔です。スタイルも、ちょー抜群です、先輩、もし出逢っても誘惑されないで下さいね」
「されねえよ! て言うか、メフィストフェレスって、男性の姿をした悪魔じゃなかったっけ?」
「それって、ファウスト博士のお話でしょう? ファウスト博士の時は、たまたま男性の姿で現れたのではないですか。なにしろ、相手は悪魔。姿かたちは、変幻自在です。この賽の河原では、絶世の美女の姿で現れます」
「へえ~、絶世の美女かあ~、ちょっぴり逢いたくなってきた~」
「こら、そこの君、鼻の下を伸ばさない!」
「で、そのメフィストとやらは、この賽の河原に何をしに来ているの?」
「営業です。彼女は、地獄商事という会社の社員で、バリバリのキャリアウーマンなのです」
「悪魔の営業って言ったらアレかい? 『三つの願いと引き換えに、死後の魂を手に入れる』という定番の?」
「違います。もともと地獄商事は、地獄の諸雑務を請け負う公的民営機関で、針の山の針のメンテナンス、血の池の水質管理、釜茹での大窯のボイラー管理、などを主な業務としています。でも、それは表向きの話。あの会社には、裏の仕事があります」
「裏の仕事?」
「来世の密売です」
「来世の密売、とな???」
「はい、営業職のメフィストは、この賽の河原にこっそり現れては、死者をそそのかし、望みの来世を提供する代わりに、その魂を手に入れようとします」
「でも、そんな不正は、死者の転生を管理している、あの世におわす神々が許さないでしょうに」
「それが、昨今は、そうでもないみたいです。悪魔との契約書をこっそり手渡せば、来世なんて、裏のルートでなんとでもなるとか」
「マジっすか?」
「マジっす! 今や天国と地獄は、癒着、汚職、ワイロの横行で、ズブズブの関係らしいいっす!」
アイちゃんが、まるで警察犬のように、すんすんと辺りを嗅ぎ続けている。
「……臭う。臭うわ」
「臭う? 僕の口臭かな? にんにくをたくさん食べたから」
「……私、昔から鼻が利くんです」
「なんかごめんね。窓を開けて換気してくれる?」
アイちゃんが、部屋の窓を全開にし、三途の川が一望し、目を細めて監視している。
「……臭うわ。すごく臭う」
「まだ臭う? ガムちょうだい」
つづく。




