赤い紙飛行機(後編)
「お久しぶりです、エフさん」
「数秒前にお別れしたばかりじゃないですか。山田さん、笑えない冗談はやめて下さい」
フェリーマンタブレットを確認する。死亡者リストに、山田寛一の名前。
「いや~、三秒後の自分の気持ちなんて、分からないものですね」
山田さんは、自嘲した。こうなってしまった以上、僕に出来ることは、渡し舟のある渡船場へ彼を案内する以外に何もない。「参りましょう」僕はそう言って、彼と一緒に渡船場へ向けて歩き始めた。
「……何故ですか」
道すがら、山田さんに尋ねた。
「何故って?」
「玉砕した理由です」
「面白い質問ですね。生まれ育った国を守りたい。それ以外にありますか?」
「でも、あなたは、僕に、生き残ってみせると約束をした」
「気が変わったのです。きっかけは、それです」
山田さんは、僕のタブレットを指さした。
「令和では、インターネットとやらで、瞬時にして世界と繋がれる。未来人の意識は、国境を越えている。あなたは、私にそう教えてくれた。私が生まれ育った国に、そんな素晴らしい未来が待っているのなら、今日ここで死ぬのも惜しくはない。愛する者たちの未来のために、潔く死のう。そう思ったのです」
渡船場に到着した。受付で、多くの死者たちが列を成している。僕は、山田さんに列の最後尾に並ぶように指示をする。
「エフさん、この時代を生きる我々の『公』の意識は、結局『国』を越えることはなかった。
愛する者のため、愛する家族のため、愛する故郷のため、そして、愛する国のため。ここが限界。『国』という単位が我々の『公』の限界なのだ。
しかし、どうやら未来人は違うようだ。『公』の意識は『国』を飛び越え、『世界』へ、『地球』へ、『宇宙』へと広がっている。そうだろう?」
……何も言えない。返答に困る。
「そのインターネットとやらで、瞬時にして世界と繋がり、世界中の人々は、分かり合い、助け合い、愛を育み、人種や階級や思想や宗教を超え、毎日平和に暮らしている。きっと、そうなのだろう?」
……何も言えない。答えに窮する。
「……違うのかい?」
山田さんが、僕の曇った表情から、察しはじめた。
「我々の屍から、世界中の人々が学んでくれるのだろう? 二度とこんな過ちを犯さないために、インターネットで語り継いでくれるのだろう? 違うのかい? なあ、エフさん、黙っていないで、何とか言ってくれよ」
……何も言えない。僕はただ、山田さんに無言で深々と頭を下げた。
「うーん、解せない。解せないなあ。エフさん、教えてくれ。では、そのインターネットとやらは、いったい何のためにあるのだ?」
僕は、謝罪の姿勢を続けている。頭部に多くの視線をひしひしと感じる。恐らく周囲にいるこの戦争で死んだ大勢の死者たちが、山田さんの言葉に耳を傾けながら、僕を睨み据えているのだろう。
悔しくて、恥ずかしくて、泣けてきた。未来人として、この時代の全ての人々に、申し訳がなかった。
「……エフさん、あなたを責めても仕方がない。すまなかった。どうぞ頭を上げてほしい」
気を取り直した山田さんの優しい言葉。それでも僕は、謝罪の姿勢を続けた。
「死者の列が動き出しました。これから私は渡し舟に乗ります。友よ、別れの時です、どうか、頭を上げてください」
頭など上げられようはずがない。もう山田さんの顔を真っすぐに見れない。
「……分かりました。もう言いますまい」
頭上から、悲しげな諦めの声。
「では、最後にお願いがあります。いつだったかあなたに手渡した赤い紙飛行機、あれを未来の私の故郷の空に飛ばして欲しい。私は、そこに搭乗しています」
……私は、そこに乗っているのです。
それが、別れの言葉だった。
山田さんを乗せた渡し舟が、渡船場を離れるまで、僕は、頑なに謝罪の姿勢を続けた。
こうして、僕は、大切な友を失った。
― ― ― ― ―
翌日。
現代に戻り、いつものオフィスで、昨日対応した戦時中のワンダラーたちの報告書の作成に追われていた。
小休止。熱いお茶を入れ、休憩がてらPCのインターネットを立ちあげる。
瞬時に世界中のあらゆる情報がトップ画面に現れる。
いじめ、児童虐待、通り魔殺人、無差別テロ、ゲリラ事件、宗教戦争、思想戦争、第三次世界大戦……
強い虚無感が、僕を襲う。
なぜ殺し合う。同じ人間じゃないか。馬鹿げている。馬鹿馬鹿しくて涙が出る。
何だかもう仕事が手に着きそうにない。PCを静かに閉じる。
僕は、昨日山田さんに手渡された赤い紙飛行機を、スーツの胸ポケットから取り出した。
オフィスの窓を全開にする。春の始まりを告げる申しわけ程度に温かい風が吹いている。
「友よ、準備はいいかい。離陸をするよ」
僕は、紙飛行機にそう小さく呟いて、それを静かに大空へ放った。
すーい、すーい、赤い紙飛行機は、三途の川の上空をしばらく漂い。
すーい、すーい、そこから光のトンネルを潜って現世へ。
瞬く間に国境を越え、朝鮮半島、中国、ロシア、アメリカ、ウクライナ。
すーい、すーい、世界中を飛び回って、そして最後に山田さんの生まれ故郷へ。
山田さんを乗せた真っ赤な紙飛行機が、故郷の空を飛んでいる。
すーい、すーい、風に乗る。
すーい、すーい、ゆっくり旋回。
すーい、すーい、とつぜん急降下。
すーい、すーい、そこから急上昇。
瑠璃色の空を、すーい、すーい。
あてもなく、すーい、すーい。
おしまい。




