助けて、猫型ロボット!(前編)
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から最終決断補助者という仕事に就いている。
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
う~、さび~さび~。いつまでダラダラと寒いんだっつーの。寒波、飽きたっつーの。春が待ち遠しいっつーの。
かじかんだ両手を擦り合わせて出社した僕は、いつものように、デスクの上に置いてあるフェリーマンタブレットを起動させた。
朝靄に包まれた幻想的な賽の河原。今日も沢山の死者がこの美しき河原で、係りの者が配布した死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻き、列になって順番に船に乗り、静かに静かにあの世へと渡って行く。
タブレットに、新着メールが一件。僕の苦手な上司、嫌味な上司。くっそ細かい上司。渡し守ビーさんからのメールだ。
『昨日君が提出した報告書、こちらの再三の催促にもかかわらず、君が溜めに溜めた報告書32件分。上司である俺が眠い目をこすりながら、徹夜をして全部に目を通した。
ついては、誤字・脱字・指摘事項、君の考え方の改めるべき点などを、約200項目ほど上げたので、別紙一覧表を確認の上、本日中に全ての報告書を是正・再提出すること。ハッキリ言って0点です』
おいおいおい、勘弁してくれよお。いじめかよ、まったくもう。
― ― ― ― ―
彷徨人課のデスクで、僕が是正項目一覧表を睨み据え、頭を抱えていると、一人のワンダラーが受付にやって来た。僕は書類の是正を中断し、すみやかにワンダラーの対応にあたった。
真田正。
39歳。
中肉中背の、一見してどこにでもいる中堅サラリーマンといった人物だ。
「真田さん、ここを訪れた皆さんに聞いている質問をします。あなたは何者ですか? あなたの存在意義をひと言で教えて下さい」
「存在意義? うーん、そうですねえ、……私は、父親です。私の存在意義は、中学一年生の息子の父であることです」
上記の情報をフェリーマンタブレットに入力する。瞬く間に彼の情報がヒットした。
「あの~、ちなみに、そう言うあなたは誰ですか? ここはいったいどこですか?」
「私は三途の川の渡し守。名前は、エフと言います。ここは、現世とあの世の境目。賽の河原です」
「えええ! わ、わ、わ、私、死んでしまったのですか?」
「あははは、ご安心ください。このフェリーマンタブレットの情報によれば、真田さん、あなたは、現世で何か重大な出来事に遭遇し、ショックで気絶してしまった。あなたは今、ただ気を失っているだけです」
「……そうかあ、あまりのショックで、賽の河原に片足を突っ込んでしまったのか。自分が情けない」
「いずれ現世に戻れます。それとも、あなたはこのまま三途の川を渡りますか?」
「じょ、冗談言わないでくださいよ、エフさん」
「あはは。真田さん、現世で何があったのですか? 僕でよろしければ、話相手になりますよ」
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」
ああ、しまったああ。報告書の是正が膨大にあるのに、また要らぬおせっかいを焼いてしまった。僕の悪い癖だ。
「実はね、いじめがあったのです」
「それは、あなたの職場で、あなたがいじめられたということですか?」
「いいえ、いじめがあったのは、今年中学一年生になる私の息子のクラスです」
「なるほど、つまり、息子さんがクラスでいじめにあった。それがショックだった」
「違うのです。そうではないのです。私の息子は、見て見ぬふりをしていた」
「見て見ぬふりをしていた?」
「クラスメイトが、それも自分の親友がいじめにあっているのを、ただ見て見ぬふりをしていたそううです。担任から、今朝そのように報告を受けました」
「え~っと、確認です。それが、真田さんにとって、賽の河原に片足を突っ込むほどショッキングな出来事だったのですね?」
「そうです。おかしいですか?」
「いいえ、ちっともおかしくはありませんよ。むしろ、僕は真田さんの思いを、もっと聞きたくなりました」
真田さんは、僕の目をしっかりと見つめ、熱く語り始めた。
― ― ― ― ―
私は、子供の頃、いじめにあっていました。理由は分かりませんが、ある日と突然、クラスの番長にいじめられるようになったのです。
いじめられるのも辛かったですが、何が辛かったって、それまで私と大の仲良しだった親友が、私を助けてくれなかったことです。私がいじめられているのを、見て見ぬふりをしたことです。
かつての私の親友と同じく、私の息子も、自分の親友がいじめられているその場にいながら、ただの傍観者に徹していたそうです。
ショックだった。ショックでショックで、目の前が真っ白になった。
気が付いたら三途の川に迷い込んでいた。
集団のいじめは、四層構造に分けられるという理論は、よく見聞きします。
いじめられっ子=被害者
いじめっ子=加害者
面白がって見ている子=観衆
見て見ぬふりをする子=傍観者
この構造を、とある国民的アニメの登場人物に例えて、順に、
いじめられっ子=被害者=のび夫。
いじめっ子=加害者=ジャイ助。
面白がって見ている子=観衆=スネ吉。
見て見ぬふりをする子=傍観者=しず江ちゃん。
などと、分かりやすく言い換えられることもあります。なるほど、言い得て妙だ。であるならば、私の息子は、さしずめ、しず江ちゃんです。……情けない。
エフさん、私は、子を持つ親として、いじめについて常々思うのです。このいじめの四層構造の理論に基づけは、私に限らず、すべての子を持つ親は、ある過酷な現実を突きつけられていることになります。それは――
後編に続く。




