一人無理心中(後編)
「おいおい、渡し守長、あんた、何年渡し守をやってんだよ」
「え? 今の私の行動のどこに問題があるざんす?」
「問題、大有りだぜ。渡し舟の定員は厳守しろよ。その船は、もうとっくに定員オーバーなのさ」
「ふえ? ねえねえ、ビーさん、どういうことですか? 明らかに空席がひとつありますけど?」
ビーさんの指摘の意味が理解出来ず、二人の会話に割り込むように僕は尋ねた。
「エフよ、お前もまだまだだな。ほら、もう一度タブレットを、よく確認してみやがれ」
僕は、どやされるがまま、自分のタブレットの死亡者リストを再確認した。
おや? 何だ、この空行は? 僕は、みっちりと並んだ死亡者一覧の、葉山さんの名前の行の下に、謎の空行発見した。
「名前もない。年齢もない。存在意義もない。生まれずに死んだ命。でも、命は命。立派なひとつの命だ。席は、与えるて然るべきだぜ」
ビーさんは、そう言って葉山さんのお腹を指さした。
「この女は、一人で死んでなんかいない。自らのお腹に宿した、不倫相手との望まれない命を道連れに死んだのさ。つまり、これは母子無理心中」
そういうことか、彼女のお腹にいる、生きたいと願う命が、タブレットを混乱させたのだ。
― ― ― ― ―
「たくさんお金を積まれて、絶対に産むな、頼むからおろしてくれと。それで私はやけになってしまった。でも、これで良かったのよ。私の為にも、彼の為にも、彼の家族の為にも」
舟上にいる葉山さんが、崩れ落ちるように涙を流す。
「私は、ただ愛に生きた。悔いはない」
その時、僕の心の奥底から、正体不明の怒りが、突如として湧き上がった。
「冗談じゃない! それはあなたの都合だろう! あんたが死ぬのはあんたの勝手だ! でも、お腹の子の意思はどうなる!」
気が付くと僕は、葉山さんに、猛烈に罵声を浴びせていた。
「愛に生きただと! 綺麗ごと言ってんじゃねーよ! 避妊をしろ、避妊を! だらしのないセックスしやがって! 覚悟なき妊娠をしやがって!」
僕は、何故こんなに腹を立てているのだろう。分からない。この抑えきれない衝動の理由を、逆に誰かに教えて欲しい。
おい、いったいどうした、エフ! エフ君、落ち着くざんす! 今にも葉山さんに飛び掛かりそうな僕を見かねて、二人の上司が僕を取り押さえる。
渡し舟が、まるで逃げるように渡船場を離れた。
深呼吸。僕は徐々に気を取り直す。
それから、渡し守エー、ビー、エフの三人で、河原に佇み、渡し舟を見送る。
「……なあ、エフ。お前、あの空席に、何か声を掛けてやらねーのかよ」
川べりから遠ざかる渡し舟の、ぽっかりと空いた一席を見ながら、ビーさんが呟く。
「はい?」
「あの空席に座っている命に、声援を送ってやれよ。お前、そういうの得意だろ?」
「べ、別に得意じゃないですよ。でもついさっき、あなたに『死者に温情をかけるべからず』って指導されたばかりですし~」
「今日のところは、聞かなかったことにしてやる。俺は、青臭いセリフは、口が裂けても言えない性格なのさ。だからお前に、こうして頼んでいるんだぜ」
困り果てた僕は、渡し守長に視線で判断を委ねた。渡し守長は何も言わず、ただ優しく頷く。
僕は三途の川の空気を思いっきり吸い込み、
「おーい、名もなき君よ! あの世は広いと聞く、迷子にならないように、お母さんの側を離れるんじゃないぞおおおお!」
あの世へ渡り行く空席の命に向かって、喉が潰れるほどの大声で叫んだ。
「名もなき君よ! 泣くんじゃないぞ! くじけるんじゃないぞ! そして、 次はきっと元気に生まれて来るんだぞおおお!」
僕たち三人は、空席に向かい、微笑みながら手を振った。
霞に巻かれ、消えゆく時、空席が、僕たちに微笑み返してくれたような気がした。
― ― ― ― ―
「いや~、今回に限らず、お腹に命を宿した女性の死者は、扱いが大変ざんす」
肩の関節をコキコキ鳴らしながら、渡し守長が言う。
「ああ、臨月の妊婦の自殺者なんて、特に大変だぜ」
アキレス腱を伸ばしながら、ビーさんが言う。
へ―、そうなのですね。何がどう大変なのですか。
「臨月の妊婦の自殺者のなかには、極稀にこの賽の河原で、赤ん坊を産み落とす者がいるのさ」
えええええ! 上司たちの貴重な体験談に僕は興味津々だ。
「まあ、母が産み落とすと言うより、赤ん坊のほうが自らの力で誕生すると表現した方が、適正ざんすね」
「そうさ。死にたくない、自分は生きたいのだと、赤ん坊が、母の子宮から這い出てくるのさ」
そ、壮絶ですね。で、でも、その赤ん坊も、結局はあの世へ渡って行くのでしょう?
「まさか。あの世とこの世の境目で生まれた、生きているのか死んでいるのか定かでない、そんな得体のしれない命を、あの世へ渡すわけにはいかねえ。だから母親は我が子を、この河原に捨てて行く。つまり『賽の河原の捨て子』ってことさ」
なるほど、『賽の河原の捨て子』ですか。とても悲しいお話ですね。あ、ちなみに、あの世へ渡れなかった『賽の河原の捨て子』たちは、その後どうなるのですか?
すると、僕の二人の上司は、何故か突然口をつぐんでしまった。
ねえ、渡し守長、賽の河原の捨て子はどうなるのですか?
どうしたのだろう、渡し守長が、泣きそうな顔で、僕から目をそらし続ける。
ねえねえ、ビーさん、賽の河原の捨て子はどうなるのですか?
ビーさんの肩を掴んで揺すり、しつこく答えをせかす。
「……ったく、うるせーなあ」
そして、いよいよ根負けしたビーさんが、悲しみに暮れた面持ちで僕の腕を払い除け、
「……そりゃあ、まあ、あれだ」
半ばやけっぱちな口調で、こう告げた。
「三途の川で、渡し守でもやってんじゃねーの」
……え?
「……な~んてな」
「……ざ~んす」
午後の仕事に向かう、渡し守エーとビーの背中を、僕はしばらく、ただ茫然と見ていた。
オフィスに戻り、ぶよぶよに伸びきった、冷たいカップラーメンをすすった。
おしまい。




