一人無理心中(前編)
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から最終決断補助者という仕事に就いている。
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
「おい! エフ! 飯なんか喰ってる場合じゃないぜ! 話がある! 今すぐ河原に出ろ!」
お昼休憩のひと時。慌ただしい業務の最中、唯一ホッと一息つける時間。僕が、ちょうどストーブのヤカンのお湯をカップラーメンにコポコポと注ぎ入れた時、彼はオフィスの扉を乱暴に開けた。
「いや、いや、いや、あのね、僕、今から飯っすよ? 何があったか知りませんが、話は午後の業務が開始してからでお願いします。ねえ、監査官、聞いています? おーーい、ビーさん!」
結局僕は、彼を追うように、河原に出た。
彼の名は、渡し守ビー。金髪のツンツン頭。耳と鼻にピアス。薄っすらと口紅やメイクもしている。首からフェリーマンタブレットをぶら下げてる。皮のスーツに、鎖をジャラジャラ付けている。ビジネススーツとイギリスのパンクを、足して二で割ったような服装をしている。
ビーさんの役職は、監査官。職務は、このフェリーマンカンパニーにおける、業務上の不正の防止や、業務の効率化を目的として、内部監査をすること。噛み砕いて言うと、毎日僕らの仕事の粗探しをしている嫌な奴。人の失敗、欠点、不首尾などをあげつらおうと、執拗に詮索する最低の奴。ビーという名から判断するに、入社は僕より早い。一応僕の上司にあたる。
河原に出ると、同じく上司の渡し守長が、河原にポツリと立たされていた。
「おや、どうしたのですか、渡し守長?」
まるでイタズラのバレた子供みたいな顔をしている。
「……エフ君、いいざんすか、今からビーさんに何を尋ねられても、しらを切り通すざんす」
渡し守長は、僕を見るなり、小声で僕に耳打ちした。その声が聞こえているのが、もしくは聞こえていないのか、ビーさんは、何とも読み取れない冷徹な表情で、微かに顎を動かす動作さけで、僕に渡し守長の横に立つように指示をする。
僕と渡し守長は、昼下がりのひと気のない三途の川の河原で、背筋を伸ばし、指先をピンと伸ばした模範的な「気を付け」の姿勢で立たされている。
「んじゃあ、まあ、単刀直入に言うぜ。我が社に、あの世の機密情報に不正アクセスした不届き者がいる。よお、エフ、お前、心当たりはねえか?」
やっべ~。つい先日、とある一件で、僕が渡し守長に頼んで、彼のタブレットから半ば強引に不正アクセスをさせたのだ。どうやらそれがバレたらしい。
「い、いったい何の話でごぜえやしょう。こ、こ、心当たりなど、あろうはずがござんせん」
完全に動揺していた。思わず、時代劇の悪代官が、奉行所で悪事を問い詰められているような口ぶりになった。
「渡し守長、あんたはどうだ?」
「不正アクセス? いや~初耳ざんす。許せないざんすね。いったい誰がそんなことを。もし犯人捕まったら、そいつは解雇どころじゃ済まないざんすね。きっと地獄の閻魔大王に八つ裂きにされるざんす」
すると、ビーさんは、もどかし気に渡し守長の左耳に顔を寄せ、歯噛みしながらこっそりと言った。
「なあ、渡し守長。俺は、あんたに幼い頃に世話してもらった恩があるから、これまでだって幾度となくあんたのミスや不正を揉み消してきたんだ。
いったいどれだけ、俺に隠ぺい工作をさせるつもりだよ。もうぼちぼち限界だぜ。お願いだから、ちゃんと仕事してくれよ。俺、あんたを吊るし上げるようなことだけはしたくねえんだ」
「いや~、君の粋な計らいには、いつも感謝しているざんす。ありがとう、ビーさん」
「おいおい、何度お願いしたら聞き入れてくれるんだよ。あんたは、俺の唯一の上司なんだ。その『ビーさん』って呼び方をやめてくれ。頼むぜ、渡し守エー殿」
へ~。たぶんそうだろうと思ってはいたが、渡し守長の名前は、やはり「エー」だった。
「と、に、か、く、今後は二人とも死者に無駄な温情をかけんじゃねーぜ! あんたらは死者に甘すぎんの! 死者の扱いは事務的に! ほらあああ、返事は!」
「はい!」
「ざんす!」
ビーさんの、生真面目な性格とは似つかわしくないガラの悪い怒鳴り声が、三途の川に響き渡った。その後も、ビーさんの説教はこんこんと続く。ねちっこい説教ではあったが、はっきりと公言はせぬものの、話の端々から、何となく不正アクセスの一件については、ビーさんが揉み消してくれるっぽい。まずは一安心だ。
― ― ― ― ―
「……あのお、エフさん、みなさん、お取込み中すみません。死亡者リストにアップされていない死者が、渡船場をうろうろしていたので、こちらへ案内しました」
蛇のようにしつこい説教に、いい加減ウンザリしかけた時、ある渡し守が、若い女性のワンダラーを僕たちのところへ連れてきた。
あいあーーい。待ってましたあああ。ぜひとも、お話を伺いましょう。なぜなら、僕は最終決断補助者。おっと、こうしちゃいられない。さあ仕事だ。ほら仕事だ。うひょー! ラッキー! これを口実に、僕はビーさんの説教から逃れることが出来るう!
葉山楓。
25歳。
存在意義=OL。
長い黒髪の、目ぢからの強い、スラリとした美人だった。
「葉山さん、僕のフェリーマンタブレットの情報によれば、あなたは不倫相手である会社の若社長が、一度は結婚を約束するも、最終的にあなたではなく、配偶者とその家族を選んだことに失望し、自殺した。間違いありませんか?」
「ええ、一人ぼっちで真冬の海に身を投げました。でも後悔はしてしません。覚悟の死です」
「であるならば、妙ですね。あなたの名前が弊社の死亡者リストに上がって来ないのです。通常であれば、現世に未練のない魂は、速やかに死亡者リストにアップされるのですがね。おかしいなあ、何故だろう?」
「機器の不具合かもしれないぜ。おい、エフ、一応、あれ、聞いとけ」
ビーさんが、僕のタブレットを覗き込んで指摘をする。はいはい、言われなくても分かっていますよーだ。
「葉山さん、ファイナルジャッジです。あなたは三途の川の渡りますか?」
「はい、もちろん。もう現世に未練はありません。私は一刻も早くあの世へ行きたい」
返事と同時に、死亡者リストに葉山さんの名前が、じんわりと浮かび上がった。うーん、妙だな。
「なるほどな。そういうことか……この女、罪なことを」
首を傾げる僕の横で、ビーさんが、葉山さんを、どこか悲し気な表情でに睨んでいる。
その後、渡し守長が、葉山さんを渡船場に案内する。葉山さんは、そそくさと死装束に着替え、死者の列に並ぶ。
残り二席で満席になる出発間際の渡し舟に、葉山さんは乗り込んだ。
そして、渡し守長が、残りの一席を埋めるため、葉山さんの後ろに並んでいた死者を渡し舟に案内しかけた時、またもや、ビーさんが指摘をした。
「おいお~い、渡し守長、あんた、何年渡し守をやってんだよ」
後編に続く。




