私は死刑執行人、またの名を、人殺し殺し(後編)
長い長い夜だ。
可哀そうに、この人は、壊れかけている。
「谷口さん、その死刑囚の口車に踊らされてはいけません。相手は、殺人鬼です。きっと死刑にされる腹いせに、あなたを惑わして、楽しんでいたのです。あなたは、からかわれただけです」
「そうでしょうか?」
「それから、自分を『人殺し殺し』などと呼ぶのはやめましょう。あたなは、刑務官としての任務を遂行した。ただ、それだけです。それ以上でも、以下でもない」
「でも、実際に死刑囚の首に縄を通したのは、この私です」
「だから何ですか? あなたが『人殺し殺し』であるならば、まわりにいた同僚も、上司も、検事も、みんな『人殺し殺し』です。それどころか、絞首刑の縄を製作した会社も、刑場を設計施工した建設業者も、ボタンの作動を点検するエンジニアも、受刑者に死刑を言い渡した裁判官も『人殺し殺し』です。そして何より、死刑制度を容認している民衆が、一人残らず『人殺し殺し』です」
「……エフさん、もう私には、刑務官という仕事を続けて行く自信がありません」
「だったら、転職すればいいじゃないですか。転職の何がいけなのです? 簡単に言うなと怒られるかもしれませんが、なにごとも生きていればこそ。谷口さん、あなたは、この仕事の他に、やりたかった仕事はありませんか?」
「……転職かあ。実は私、昔から雑貨が好きで、雑貨屋さんになるのが、密かな夢だったのです。主に輸入雑貨を扱うお店です。好みの雑貨を海外から輸入して、国内で販売するのです」
「素敵な夢じゃないですか!」
「そうかあ……転職かあ……雑貨屋さんかあ。そうかあ、その手があったかあ!」
「さあ、時は来たり。谷口さん、ファイナルジャッジです! あなたは三途の川を渡りますか?」
「私は、生きたい! 生きて、素敵な雑貨屋さんになりたい!」
その刹那、僕たちの前に、現世への光の道が出現した。
「了解しました! では、この光の道をひたすら歩いて下さい。そうすれば、あなたはいずれ現世に戻ります」
「エフさん、お話を聞いていただき、ありがとうございます」
谷口さんは椅子から静かに立ち上がった。そして、光の道の入り口のとこで後ろを振り返り、最後にこう言った。
「でも、エフさん、私は、とても気がかりです。私が転職をしたら、今後は、誰が私に代わって死刑を執行するのでしょう? 民衆はみんな、どこかの誰かが、人知れず悪を闇に葬ってくれると勝手に思い込んでいます。でも、そのどこかの誰かがいなくなったら、いったい誰が、死刑囚の首に縄を掛けるのでしょう? 社会悪を憎む民衆が、挙って死刑囚の首に縄をかけてくれるのでしょうか? ねえ、エフさん、あなたに、私の代わりが出来ますか?」
僕は、その問いかけに、答えることが出来なかった。
やがて、谷口さんは、光の中へ消えた。
途端に、どっと疲れが出た。完全に寝不足だ。それでも、死ななくてよい命を救うことが出来たのだ。結果オーライ。僕は、ほっと胸を撫でおろした。
気が付くと、夜空が白みはじめていた。
― ― ― ― ―
七日後。
いつものように、三途の川の渡船場を巡回していた時、僕は、ここにいてはならない人を発見し、自分の目を疑った。
あの日、確かに現世に戻ったはずの谷口さんが、死装束を着て、他の多くの死者と一緒に、渡し舟に乗る列に並んでいるのだ。
「た、谷口さん!」
僕は、慌てて、谷口さんに駆け寄る。
「やあ、エフさん。今度は死にぞこなわないように、リストカットではなく、しっかりと首に縄を掛けましたよ。あの死刑囚と同じ死に方です。お陰様で、ほら、ごらんの通り、ちゃんと死ぬことが出来ました」
白い三角頭巾を巻いた谷口さんが、青白い笑顔を見せる。
「なぜだ! なぜ戻って来た!」
「あれから、色々と考えたのですけどね、やはり私は、どうしてもあの死刑囚と話がしたい」
「雑貨屋さんの夢はどうなったのですか!」
「あの死刑囚が、あの世で私を待っている。私は、行ってあげなければならない」
「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! あなたは、死ぬべき人ではないんだ!」
「私とあの死刑囚は、もう他人じゃない。人殺しと、人殺し殺し、きっと分かり合える」
「何度言ったら分かるんだ! 死刑囚を殺したのはあなたではない! 民意だ! 人殺しを殺すのは、民衆なのだ!」
「彼は、私の友達だ。彼は、私の友達だ。彼は、私の友達だ……」
谷口さんは、取り憑かれたように、渡し舟に乗った。駄目だ。この人は、完全に崩壊している。以前と同じことを、うわ言のように繰り返している。
「馬鹿野郎! 谷口淳の大馬鹿野郎!」
渡し舟が、渡船場から音もなく離れる。力なく曲がった手の平を、僕に向かってゆっくりと振りながら、谷口さんは、あの世へと消えて行った。
他者の命を無慈悲に奪った殺人鬼には、みずからの命をもって償ってもらわなければなりません。
なるほど、ごもっともです。
死刑制度に反対をする者は、少しでも被害者やその遺族の気持ちになったことがありますか?
なるほど、ごもっともです。
ならば、僕は、あえて問いたい。
死刑制度に賛成をする者は、少しでも死刑を執行する者の気持ちになったことがありますか?
死刑囚に手錠をかけ、足を縛り、顔に布を被せ、首を縄にかけ、自らが絞首刑執行のボタンを押すことを、少しでも想像したことがありますか?
「馬鹿野郎おおおおおお!」
三途の川に蠢く濃霧に向かって、僕は、声を枯らして叫ぶ。
自分の叫び声が、頭の中で耳鳴りとなって鳴り響いている。
鳴りやまぬやり場のない怒りに、僕は、ただ耳を塞ぐ。
おしまい。




