外伝 風車村怪談(後編)
……死ねばいいのに。
今ならまだ間に合う。今ここで死んでくれたら、大好きなおばあちゃんのまま、綺麗な思い出のまま、私の中で永遠に生き続けるのに。
「やめて、おばあちゃん! このままじゃ私、おばあちゃんのこと、嫌いになっちゃうよ!」
ひいいいいいいいい。私の怒声に怯えたおばあちゃんは、まるで、悪戯がばれて先生に叱られる子供みたいに、大声で泣き始めた。
「えーん。えーん。お嫁さ~ん、助けて~。この女がいじめる。この女がいじめるよおおお。お嫁さん、早く来て~、お嫁さん、どこにいるの~」
「私なら、さっきからずっとここにいますよ」
母が泣き止まぬ赤子をあやすように、おばあちゃんの胸のあたりをトントンと叩き、頭を優しく撫でる。
……殺したい。
だって、このままでは、いずれお母さんがおばあちゃんに殺されてしまう。現にこの老婆は、胸元に先端だけ刺したナイフを一日に数ミリづつ突き刺すような残忍なやり方で、じわりじわりとお母さんを死に追いやっている。私は、この老婆を殺したい。お母さんを助けたい。
……嫌だわ。どうしちゃったの私。不謹慎。最低。自己嫌悪。
「おい、鬼嫁、おじいちゃんはどこだ! おじいちゃんをどこに隠した!」
「何度も言っているでしょう。おじいちゃんはね、半年前に死んだの」
……おじいちゃん、この地獄絵図が見える?
これはいったい誰のせいかしら? 少しは責任を感じているのかしら?
おじいちゃん。おじいちゃん。私の大嫌いなおじいちゃん。
あなたに頼み事をするなんて不本意だけれど、悔しくて悔しくて、ハラワタが煮えくり返る思いだけれど……
私は、頬をつたう涙をひと拭きして、一心不乱に仏壇に駆け寄る。それから、正座をして、両手を合わせ、黒縁の写真の中で微笑むおじいちゃんに、天空に轟けとばかりに叫ぶ。
「助けて、おじいちゃん! お願い、おばあちゃんを迎えに来て!」
その刹那、仏壇に向かって祈る私の背後から、母が、驚きの声を上げる。
「……な、な、ナツミ、み、み、見て、おばあちゃんが立った」
え? 慌てて後方へ身をよじると、なんと、寝たきりのおばあちゃんが、介護用ベッドの上で直立をしている。私も母も、気が動転し、腰が抜けて動けない。
ユラユラと不安定な仁王立ち。目はうつろ。ぼんやりと虚空を眺めている。いや、違う、どうやら部屋の天井付近の、ある一点を凝視している。
突然、その一点に吸い寄せられるように歩きだす。ベッドの柵を跨ぎ、畳の上に激しく落下をする。
左足が、あらぬ方向へ曲がっている。折れた足などお構いなしで、畳の上を這いずり這いずり、その一点に向かって前進をする。
そうして、部屋の中央辺りで、生まれたての子馬が立ち上がるように四つん這いになり、細くシワだらけの右手を天に高く掲げ、絞り出すように言葉を漏らした。
「……あ、な、た」
そのまま、おばあちゃんは、動かなくなった。
それは、脱皮した蝉の抜け殻のようだった。
チーーーン。 チーーーン。 チーーーン。
風鈴の音が三つ鳴った。
風車は回らなかった。
― ― ― ― ―
おばあちゃんの葬儀は、滞りなく終わった。
初夏の日暮れ。
回らない風車だらけの部屋の仏壇の前に、私と母は並んで正座をしている。
母が、おじいちゃんの位牌と写真の横に、おばあちゃんの位牌と写真を添え、線香を立てる。
「あちらでクルクルと回して遊んでね」
私は、部屋にある無数の風車の中から、無作為に黄色いのを抜き取り、仏壇に添える。使用者を無くした介護用ベットが、部屋の片隅で不貞腐れている。
「……お母さん、私ね、お腹に赤ちゃんがいるの」
「ええ! それはおめでとう。嫌だちょっと、何でもっと早く言わないの」
「私には、お腹の子の母親になる資格が無い。お母さんの子供である資格も無いし、おじいちゃんとおばあちゃんの孫である資格もない。何故なら、あの日、私が、おばあちゃんを呪い殺したのだから」
「あの時のあれは、恐らくおじいちゃんが、おばあちゃんを迎えに来たのさ。ほら、事の始まりと終わりに、風鈴が鳴っただろう? あれ、きっとおじいちゃんだよ」
「違うよ。おじいちゃんが一人で入ってきて、おばあちゃんと二人で出て行ったのなら、音の数がおかしいんもん。
おばあちゃんは、私が呪い殺したの。死ね。死ねばいいのに。殺したい。殺してやる。私がそう念じ続けたら、おばあちゃんは死んだ。
今だってそうだよ。私、表面上は悲しんでいるふりをしているだけで、でも実は心のどこかで、死んでくれて良かったと思っている。私は、警察に出頭をしたい。おばあちゃんを殺したのは私ですと、自首をしたい」
「うふふ。何を馬鹿な事言っているの。そんなの警察に追い返されちゃうよ」
「それなら、死んで地獄の閻魔大王に自首をする。私は祖母を殺しました。どうか、火あぶりの刑に処して下さい。どうか釜茹での刑に処して下さい」
「いい加減にしなさい。いつまでも自分を責めるものじゃない。
ナツミ、元気な子を産みなさい。そして、かつてお母さんがあなたにそうしたように、あなたも我が子の為に全力で生きるのよ。
心配しなさんな。万にひとつナツミに罪があったとしても、どうせ先にあの世へ行くのはお母さんなのだから。お母さんが、ナツミの罪も全部ひっかぶって、地獄へ行ってあげる。火あぶりの刑も、釜茹での刑も、お母さんが受けて立つよ」
「お母さん!」
私は、母の膝の上に顔をうずめて泣きじゃくる。
このまま母の子宮に戻って、もう一度母から産まれたい。もう一度赤ん坊からやり直したい。取り留めもなく、そんなことを考えた。途端に、お腹の子が、私を蹴った。
「じゃあね、また近いうちに来るよ」
母に別れを告げ、実家を出て、無人駅で、電車を待つ。
その時、突如として村に強い風が吹いた。
立っていられないほどの強風だ。何十年に一度、幾つかの気象条件が奇跡的に重なった時、盆地を囲む山々の山頂から、強烈な山風が降りることがある。生前のおじいちゃんが教えてくれたのが、これであろうか。
深緑色の大自然の中で、幾千の、色とりどりの風車が、一斉に回った。
「……美しい」
私は、あまりの感動に、膝から崩れ落ち、その場にへたり込んで、号泣をする。
思わず、土下座でもしたくなるような美しさ。私の生まれ故郷は、何と美しいのだろう。
おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう。二人が、私に分け与えてくれた死は、いつまでも大切にします。
私は、しばらく時を忘れて、故郷の景色に身を委ねた。
おしまい。




