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ファイナルジャッジ!   作者: Q輔
現代編
21/58

渡し舟に乗ってあの世から舞い戻った男(後編)

 僕たちは、室内の天井付近に浮遊して、現世の地獄絵図を見下ろしている。


「ナツミは、昔から利発な子でね。考え過ぎるところが玉に瑕かな。私はナツミにメロメロでしたよ。笑っている時も、怒っている時も、何から何まで可愛くてね。ナツミの前では、つい照れてしまうのです。私は、結局彼女の目を、まともに見ることが出来なかったな。


 あれは、ナツミが短大生の頃。妻は、私が目を離した隙に、近所を徘徊するようになった。私は、妻を探し回る。まあ、大抵は隣の息子夫婦の家の縁側にいましてね。縁側で、孫のナツミの腕の中で泣いている。ナツミは、私の顔を見るなり『おじいちゃん、帰ってよ! もうおばあちゃんを迎えに来ないで!』と私を罵る。妻に何を吹き込まれたのか知らないが、憎悪の目で私を見るのだ。ふふふ、その怒った顔も、これがまた可愛かったなあ。


 それから妻の手を引いて家に帰るとね、妻が私に「ナツミがいじめる。ナツミがいじめるよおおお」と泣き喚くのです。もちろん、ナツミに限って、あり得ないことだから、私は、妻の戯言には一切取り合わなかったがね。

 今思うと、あの頃から妻の認知症は始まっていたのかなあ……」


「富田さん、ご覧の通り、お嫁さんもお孫さんもとっくに限界です。教えて下さい。あなたは、奥様の介護が辛くなかったのですか?」


「辛い? あはは、まさか。私は、孫にメロメロでしたが、その何十倍も何百倍も、妻にメロメロでしたよ。妻と出逢った時も、妻と結婚した時も、妻が認知症を患ってからも、ずっとずっと彼女にメロメロだったのです」


「あなたと奥様は、本当に仲の良いご夫婦だったのですね」


「もちろんです。周りがどう見ていたかは別としてね。ははは」


 そんな会話をしていた時だ。現世では、思い詰めたナツミさんが、突如として仏壇に駆けより、正座をして、両手を合わせ、黒縁の写真の中で微笑む富田さんに、


「助けて、おじいちゃん! お願い、おばあちゃんを迎えに来て!」


 天空に轟けとばかりに、そう叫けんだ。


「おいおい、ナツミときたら、迎えに来るなと言ったり、迎えに来いと言ったり、まったく困った子だよ。へへへ。でもそこがまた可愛い」


 久しぶりに孫が自分を呼ぶ声を聞いた富田さんが、空中で鼻の下を伸ばしている。


 その刹那、俗に「神」と呼ばれる者の「粋な計らい」が、いよいよ幕を明けた。


「……な、な、ナツミ、み、み、見て、おばあちゃんが立った」


 嫁が驚きの声を上げる。


 見ると、寝たきりの奥様が、介護用ベッドの上で直立をしている。嫁も孫も、気が動転し、腰が抜けて動けない。

 ユラユラと不安定な仁王立ち。目はうつろ。ぼんやりと虚空を眺めている。いや、違う、どうやら部屋の天井付近の、ある一点を凝視している。


「え、え、エフさん、我々の姿は、生きている者には見えないのですよね! 何かの間違いでしょうか、妻が、明らかに私を見ている!」


「あれ、おかしいっすね。こちらは見えない筈ですけどね。富田さん、すみません、実は、私が神から指示されたのは、あなたをここに連れてくるところまで。この先の展開は、私も詳しくは聞かされていないのです」


 奥様が、富田さんに吸い寄せられるように歩き出す。ベッドの柵を跨ぎ、畳の上に激しく落下をする。左足が、あらぬ方向へ曲がっている。折れた足などお構いなしで、畳の上を這いずり這いずり、富田さんに向かって前進をする。


「……わわわ、妻が来ます! どんどんこちらへ向かってきます!」


 それから奥様は、部屋の中央辺りで、生まれたての子馬が立ち上がるように四つん這いになり、細くシワだらけの右手を天に高く掲げ、絞り出すように言葉を漏らした。


「……あ、な、た」


 救いを求める奥様の声を聞いた途端、先程まで怯えて空中で後ずさりをしていた富田さんが、冷静さを取り戻した。何かを悟ったように、静かに畳の上に舞い降りる。そして、天高く掲げた奥様の右手を、自分の右手でしっかりと握った。


「……なるほどね。私が、ここに導かれた目的がやっと分かりましたよ。後で叱られたくないので、念の為あらかじめ聞いておきます。エフさん、私、行動を起こしますよ。本当によいのですか?」


「はい。富田さんの思うままに。あなたが、これから行う事、それこそが、神の意思です」


 富田さんは、笑顔でコクリと頷き、


「寂しい思いをさせてゴメンね。迎えに来たよ」


 そう奥様に囁き、それから、握った右手を力いっぱい手前に引いた。


 奇跡が、起きた。


 奥様の体から、魂が、すーーっと引き抜かれる。僕にはそれが、肉体という殻を破って、魂が脱皮しているように見えた。


「あなた、会いたかったわ!」


 肉体を捨てた奥様が、富田さんに激しく抱きつく。老婆が老爺の頬に熱烈キッスを連発している。認知症は肉体に置いてきたようだ。


「こらこら~、エフさんが見ている~、場をわきまえないか~」


「ははは、お気になさらず。奥様、突然の出来事で、あなたの魂は、僕のフェリーマンタブレットの死亡者リストにアップされていません。奥様、ファイナルジャッジです。あなたは、三途の川を渡りますか?」


「もちろん、渡るわ! もう二度と、愛する人から離れたくはない!」


 奥様が富田さんの腕に手をまわして、腰をクネクネさせてのろけた。その瞬間、奥様の名前が死亡者リストに上がった。


 それでは、三途の川に向かいましょう。そう後方の二人に話しかけながら、室内から縁側へ出る。その時、また軒下の鉄風鈴に頭をぶつけてしまった。

 案の定、イチャイチャしながら歩く老夫婦も「あ、そこ風鈴! 今度こそ気を付けて!」という僕の注意も虚しく、揃って風鈴に頭をぶつけてしまう。



 チーーーン。 チーーーン。 チーーーン。 



 風鈴の音が三つ鳴った。


 風車は回らなかった。



 ― ― ― ― ―



 時空のトンネルを戻って、賽の河原に到着をする。後ろから付いて来る二人を振り返り、僕は驚いた。なんと二人の外見が、二十代前半ぐらいの青年と女子に若返っている。よくよく考えたら、もう魂だけなのだから、いつまでも老いた肉体の残像を保つ必要もない。若返りも自由だ。「うふふ。ペアルックね」奥様が死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻く。


 渡船場に並ぶ死者の列の最後尾に、二人を案内する。


「エフさん、この度もまた、大変お世話になりました。今日からこの最愛の妻と、あの世でまた新婚からやり直します」


「それは御馳走さまです。せっかくなので新婚祝いを贈りましょう。しがない渡し守なので、物品は無理ですが、僕に出来る事であれば、何かさせて下さい」


「それなら、私と妻が生きたあの村に、風を吹かせて欲しい。あの村は、もう何十年も無風なのです」


「了解しました。風神様に、手続きを取ります。徹夜をして申請書類を作成すれば、恐らく奥様の葬儀が終わる頃には、許可が下り、風神様が風を吹かせてくれるでしょう。村を取り囲む山々の山頂から、豪快な風を吹かせ、村じゅうの風車を一斉に回して御覧に入れますよ」


「まあ、素敵! エフさん、ありがとう! ちゅ」


 若返った奥様が、僕の頬にいきなりキスをした。欧米スタイルの奥様の振舞に、僕は、照れた。


「こらこら~、旦那の私が見ているぞ~、場をわきまえないか~」


「あら、嫌だ、妬いているの?」


 二人が、キャピキャピと雑談をしながら渡し舟に乗る。


「きゃ~、お舟に乗るのなんて何十年ぶりかしら~、楽しみ~」


「向こう岸に着くまでに、絶景ポイントが数カ所あるのだ。私が案内するから任せなさい。何たって私は、三途の川の渡し舟に乗るのは、これで三度目なのだ」


「きゃ~、富蔵さん、かっこいい~」


 うわあ、もう僕のことなど眼中にない。すっかり二人だけの世界に浸りきっている。恐るべき愛の魔力。


 現世において、最愛の伴侶に先立たれた者が、まるで後を追うように生涯を終える事例が往々にしてある。それらは全て、今回のような「あの世の粋な計らい」が裏にあるのだ。

 現世の者たちが「神」と呼ぶ三途の川の向こう岸の者たちが、なぜ時折このような粋な計らいをするのか、それは、僕にもよく分からない。

 どうせ、ただの気まぐれだろう。僕は秘かにそう睨んでいる。神だって、計らい事のひとつやふたつ、気まぐれに施したくなるのだ。うん、きっとそうだ。


 渡船場から渡し舟が出る。富田さんと奥様が、仲睦まじくあの世へと渡って行く。


 賽の河原は、晴天なり。

おしまい。

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― 新着の感想 ―
[一言] やはりこの話はいいですね。 表の作品の地獄絵図から主人公を救った風の正体が何だったのかを知れた事も含めて。 『夫婦の真実は夫婦にしか分からない』 表の作品でほんのり感じたこの匂いを、具…
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