渡し舟に乗ってあの世から舞い戻った男(前編)
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から最終決断補助者という仕事に就いている。
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
「お久しぶりです」
三途の川の向こう岸から、戻りの舟が渡船場に着いた。
通常であれば船頭たち以外誰も乗っていない戻りの舟に、萎れた老人が一人乗っている。
僕は、渡船場から現世側の河原に降り立つ老人に、笑顔で挨拶をする。
富田富蔵、80歳。
この老人は、ある目的の為、再度三途の川を渡り、あの世から舞い戻った。
「これはこれは、三途の川の渡し守、エフ殿。お久しぶりです」
富田さんをお世話するのは、これで二度目だ。現世時間で言うところの、今から半年程前、富田さんは、心筋梗塞で命を落とした。
突然の出来事に、自分が死んだという事実を受け入れられなかった富田さんは、現世とあの世の境目であるこの三途の川の河原を、ふらふらと彷徨っていた。
そこを係りの者に保護され、最終決断補助者である僕のところへ案内されて来たのだ。
富田さんは、現世に残した認知症の奥様のことを最後まで気にかけていた。
しかし「あなたは天寿を全うした。この運命は、抗うことなく受け入れるべきではないか」という僕の説得に応じ、最終的に三途の川を渡ることを決断したのだった。
「いやあ、エフさん、聞いて下さいよ。あの世で、のんびりと毎日を過ごしていたら、昨日、向こうのお役人が私のところにやって来ましてね。すみやかに準備をして、もう一度渡し舟に乗れと。もう一度、こちらのあなたを訪ねろと。そう急き立てるのです」
「はい、私も、今日あなたが来ることは、あの世から、伺っています。さあさあ、富田さん、申し訳ありませんが、長旅の疲れを癒している時間はないのです。では、さっそく参りましょう」
「え? 行くってどこへ?」
渡船場では、戻ったばかりの渡し舟に、さっそく新たな死者が一人、二人と順番に乗り込んで行く。今日も沢山の死者がこの美しき河原で、係りの者が配布した死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻き、静かに静かにあの世へと渡って行く。
見慣れた三途の川の風景を後にして、僕は、曲がった腰でヨタヨタと歩く富田さんと一緒に、時空のトンネルを歩き、現世へと急ぐ。
― ― ― ― ―
「おおおお、懐かしい。ここは、私が生まれ育った故郷ではないですか」
現世に到着をした。周囲を山や丘に囲まれた濃密な盆地に佇む寒村。目の前には、深緑色の大自然が広がっている。
「うわあああ、何だか知らないけれど、異常な数の風車ですね」
村のいたるところに風車が飾ってある。赤、青、緑、黄色、ピンク、百個、二百個、恐らく幾千の多彩な風車が、集落の家々に飾られ、路傍に突き立てられ、野山の樹々に縛り付けられている。
「ああ、これはね、この村の民族風習です。ここは、深い盆地で、一年を通してほぼ無風。風を乞う村人の感情が、文化として形を成したのです。相変わらず、綺麗だなあ。私は、この故郷の景色が大好きです。生前は村役場に勤めていましたので、この民族風習を観光事業の促進に利用したいと考えましてね。私の一存で、村の名前を変えちゃいましたよ」
「そう言えば富田さんは、生前のご自分の存在意義を『村役場の職員』であるとお答えでしたね。ちなみに、この村の名前は何というのですか?」
「風車村です」
「そ、そのままっすね!」
「はい。良いセンスでしょう? あはは」
僕たちは、低空飛行で移動をして、かつて富田さんが生活した家に着いた。
古い日本家屋。縁側の襖は開けっ放し。その奥に、八畳の寝室が見える。柱、鴨居、天井、箪笥、化粧鏡、仏壇の端々にいたるまで、無数の風車が、所狭しと飾られている。そして、低い軒下には、鉄製の錆びた風鈴がひとつ、これ見よがしにぶら下がっている。これらの室内装飾も、富田さんの良いセンス? であろう。
室内に三つの人影。認知症の奥様、それから長男の嫁と、孫娘。
「おお、結婚してこの村を離れた孫のナツミが里帰りしているではないか!」
富田さんが、歓喜の声を上げる。
介護用ベッドに横たわる奥様が、嫁にオムツを替えてもらっている。その様子を、孫のナツミが、苦悩の表情で眺めている。僕は、渡し守だけが持てる特殊な末端「フェリーマンタブレット」を起動させて、富田家の近況を調べた。
「富田さん、僕のフェリーマンタブレットの情報によれば、あなたは、認知症の奥様を献身的に介護していましたね。二歳年下の奥様の認知症は、3年程前から急激に酷くなった。日を追って記憶障害や言語障害が進行し、やがて歩行にまで障害が出た。あなたが心筋梗塞で急死してからは、長男の嫁が、あなたに代わって奥様の介護をしている」
「はい。昔から本当によく出来た嫁です。外国で単身赴任中の長男も、安心していることでしょう。しかしまあ、お嫁さん、随分と老けた。体はやつれ果て、顔には精気が無い。介護疲れかな」
「それでは富田さん、あなたが、神から与えられた目的を果たすために、室内へと参りましょう。
おっと、その前に幾つか注意点があります。何となくお察しとは思いますが、我々が現世の物に触れることは出来ます。しかし、生きている者に、我々の姿は見えません。声も聞こえません。とにかく物音には注意して下さいね。生きている者たちが、やれ、超常現象だ、やれ、ラップ音だと怖がりますので」
僕は、後方の富田さんに話しかけながら、縁側から室内に入る。その時、言っている自分が軒下の鉄風鈴に頭をぶつけてしまった。情けない。
更には、よそ見をして歩く富田さんも「あ、そこに風鈴がありますから、気を付けて」という僕の注意も虚しく、風鈴に頭をぶつけてしまう。あちゃちゃちゃちゃ。
チーーーン。 チーーーン。
風車の回らぬ室内に、かん高い鉄風鈴の音を二つ、続けざまに響かせてしまった。
おや、認知症の奥様に向かい、孫のナツミさんが、介護用ベッドの柵から顔を覗かせて話しかけている。
「おばあちゃ~ん、元気~。私だよ~。ナツミだよ~」
「……おたく、どちら様ですか? 私に気安く話しかけないでちょうだい。警察を呼びますよ」
「う、嘘でしょう、おばあちゃん。ほら、私のこと忘れたの? ナツミ! 孫のナツミだよ!」
「ナツミ? ……あ、思い出した。そんな駄目な孫がいたっけ。あれは、本当に馬鹿で、グズで、手の施しようのない愚物だった」
「やめて、おばあちゃん! このままじゃ私、おばあちゃんのこと、嫌いになっちゃうよ!」
「えーん。えーん。お嫁さ~ん、助けて~。この女がいじめる。この女がいじめるよおおお。お嫁さん、早く来て~、お嫁さん、どこにいるの~」
「私なら、さっきからずっとここにいますよ」
「おい、鬼嫁、おじいちゃんはどこだ! おじいちゃんをどこに隠した!」
「何度も言っているでしょう。おじいちゃんはね、半年前に死んだのよ」
……ナツミさん、かなり辛そうですね。
僕たちは、室内の天井付近に浮遊して、現世の地獄絵図を見下ろしていた。
後編に続く。




