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ファイナルジャッジ!   作者: Q輔
現代編
2/58

安楽死反対論者のガッツポーズ(後編)

「じょ、冗談だろう! 私は、そんなこと信じないぞ! 現に私はこうしてここに立っている。おーい、妻よ! 息子よ! 私だ! 私は、ここにいるぞ!」


「いくら叫んでも無駄ですよ。僕たちは、相手を見ることも、触れることもできますが、相手が、それを認識することはありません。僕たちの存在は、現世の人間には、見えません」


「……植物人間。な、な、なんてことだ。あと一息で、私の晩年の全てを懸けたオオサンショウウオの生態研究を、論文として学会に発表出来るところだったのに」


 その時、現世では、藤森さんの息子が、うつむいたまま、医者に何事か話しを始めた。


「先生、何度ご意見を頂いても、父の安楽死には応じられません。父は、安楽死反対論者だったのです。そんな父を安楽死では送れません」


「藤森さん、そのお話は何度も聞きました。しかし、この際だからはっきり申します。当院としましては、意識の戻る見込みのない患者に、いつまでも延命処置を施すことに、甚だ疑問を感じ始めているところです」


 医者が、強い口調で、息子に詰め寄る。


「そこを何とか。なにとぞ、延命処置を続行して下さい。父の意思なのです。先生、よろしくお願いします」


 今にも泣き出しそうな息子が、医者に深々と頭を下げている。


「藤森さん、何故、あなたは安楽死に反対なのですか?」


 植物人間の看護を続ける家族や、無意味な延命処置を続ける医療従事者が不憫に思えた僕は、横にいる藤森さんに、疑問を呈した。


「愚問だね。自らの命を自ら断つ。自らの命を他者に捧げる。そして、他者が他者の命の終わりを勝手に決断する。そんな愚かな行為をする生物は、人間以外にいない。私は自殺者も、神風特攻隊員も、そして、安楽死も認めない」


「うーん、藤森さん。生物学者らしい観点は分かりますが、いささか考え方が極端ではないですか?」


「極端ではない。野山や海や川に棲む、動物や魚や虫たちは、自殺なんてしない。特攻なんてしない。安楽死なんてしない。彼らは、とても頭がいい。彼らは、いつも本能の声に深く耳を傾けて生きている。

 野山や海や川に棲む、動物や魚や虫たちは、無駄に食べ過ぎたりしない。無駄に殺し合ったりしない。無駄に交尾したりしない。そして、無駄に死んだりしないのです。

 本能の意思に、安楽死なんて選択肢はないのだ。私は、生物学者として、これまで多くの生き物の最期を見てきた。彼らはその命が終わる際の際まで、懸命に生き続けようとする。私も、かくありたい」


「うーん、おっしゃりたいことは分かるんすけどねえ……」


「ほら! あの心電図モニターを見ろ! 私の肉体は、生きている! 懸命に生きようとしている!」


「ちなみに、フェリーマンタブレットの情報によれば、あなたの意識が正常に戻る確率は、0.0001%です」


「でたらめを言うな! 私は、必ず意識をとりもどしてみせるぞ! 死んでたまるか! 勝手に殺されてたまるか!」


「では、質問を変えましょう。例えば、生まれてすぐに病室に閉じ込められて、今のあなたのように細い管やコードを全身にぶち込まれて、ベッドに横たわったまま医者の管理下で生きたら、500歳まで生きられる。そんな発表がもし医学会からあったら、あなたはその選択をしますか?」


「ああ、もちろんだ! 一日でも長く生命を維持させたいと、私の本能が叫んでいる。私は、迷うことなく500歳まで病室で生きる選択をする!」


「それが、生き物の正しい一生だと、生物学者として胸を張って言えますか? あなたの命が尽きる瞬間に『我が人生に悔いなし!』と、天に向かってガッツポーズを立ち上げることができますか?」


「うるさい! 黙れ! 君、歳はいくつだ!」


「……すみません。僕は、自分の年齢が分からないのです」


「見たところ、二十代後半といったところか! 私の人生の半分も生きていない若僧が、偉そうなことを言うもんじゃない! 分をわきまえたまえ! 無礼だぞ!」


「無礼ついでに、年齢の話題が出たので、せっかくだから言わせて下さい。藤森さん、夫人や息子様を見て、あなたは何も気が付きませんか?」


「うーむ、正直言って、とても違和感を感じている。二人とも一気にふけた。よほどの看護疲れだろうか?」


「違いますよ、藤森さん。あなたが植物人間になってから、いったいどれだけの月日が経過したと思っているのですか。あなたは先ほど、ご自分の年齢を62歳だと言った。呑気なものですね。62歳のまま、時が止まっているのはあなただけですよ」


「ど、どういうことだ?」


「あれからもう、8年の月日が流れているのです」


「8年!」


「そうです。8年です。夫人は、御年70歳。夫人は、その大切な勉年を、あなたの看護に奪われたのです。息子様は、この8年間、結婚もせず、小さな町工場で、朝も夜もなく働き、ただひたすらあなたの入院費用を捻出し続けて来たのです」


「うおおおおおおお、な、な、な、何たることだ!」


 藤森さんは、頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ。


「重ねて問います。夫人や息子様の人生が、生き物の正しい一生だと、生物学者として胸を張って言えますか?」


しばらく無言でしゃがみこんでいた藤森さんは、突然立ち上がると、夫人に近寄り、その白い髪を優しく撫ではじめた。

 

「……8年。……8年かあ。お前たち、8年間も、よくもまあ……」


 病室の窓の隙間から吹くそよ風が、夫人の白い髪を優しく撫で続けている。


「なあ、君。あの世にも、オオサンショウウオは生息しているかな?」


「うーん、僕は、現世とあの世の境目の者ですから、正直あの世のことはよく分からないのです。ただ、まあ、探してみる価値はあるでしょうね」


 時は来たり。


 僕はゆっくりと藤森さんの前に立った。


「藤森さん。ファイナルジャッジです。あなたは三途の川を渡りますか?」


 その時、吸い込まれるような澄んだ目をして、彼は静かに答えた。


「私は、三途の川を渡る。愚かな人間の一人としてね」


「藤森さん。他者が他者の命の終わりを決断することが、生物としてそんなに愚かなことでしょうか。哺乳類、霊長目、ヒト科、ヒト属、の人間だけに許された、誇るべきな生態のなのではないでしょうか」


「ははは、なるほど。君は、面白いね。さあ、君、そうと決まったら、早く私を安楽死させてくれ」


「いや、あの、その、そのようなことを、僕に頼まれましても。僕は、しがない渡し守でして。僕には、死神や悪魔のように人の運命を操る能力は備わっていないのです。すみません」


「おいおいおーい。では、どうすれば――」


 その時、現世で、ずっと黙っていた藤森夫人が、口を開いた。


「先生。どうか主人を安楽死させて下さい」


「お、お母さん!」


 息子が、声にならない声を上げる。突然の依頼に、医者も驚きを隠せず、あたふたと動揺している。


「今ね、この人が、もう安楽死させてくれって、私に頼んだの。うん、確かにそんな気がしたの。お前、もういいよ、ありがとうって、この人、私をそう労ってくれたのよ。私には分かるの。だってずっと連れ添った人だもの」


 夫人の言葉を聞いた途端、藤森さんは顔を覆って、大声で泣いた。



― ― ― ― ―



 然るべき手続きの後、藤森さんの生命維持装置の一切は取り外された。


  ……ピッ……ピッ……ピッ……ピーーーーーーーー


 心電図モニターの波が、無機質に凪ぐ。


 こうして、とある安楽死反対論者は、本日、安楽死にて、その生涯に幕を閉じた。


 次の瞬間、藤森さんと僕の目の前に、眩しく輝く白昼の三途の川が開ける。


「おーーい! エフ君! その人、たった今、私のタブレットの死亡者リストに上がったざんすー! ほらー、もうすぐ船が出るざんすー! たまたま一席だけ、空席があるから、急いで乗るざんすー!」


 賽の河原の渡船場で、渡し守長が、僕たちに向かって、例のかん高い声で叫んでいる。


「エフ君と言ったね。短い間だったが、色々と世話になった」


 死装束に着替え、頭に三角頭巾を撒いた藤森さんが、渡し舟に乗った。


「お構いなく。仕事ですから」


 藤森さんを乗せた渡し舟が、静かにあの世へ向かって動き始める。


 ポロロン。僕のタブレットに、新しい情報の着信音が鳴った。


「おーい、藤森さーん! 僕のフェリーマンタブレットの情報によれば、あなたが書いたオオサンショウウオの生態研究の論文は、あなたの死後、遺品整理をしていたあなたの息子さんに発見されます! その後、学会に持ち込まれ、あなたの論文は未来永劫多くの生物学者に読まれ、高評価を受け続けることになります!」


 僕の声に気が付いた船上の藤森さんが、ふらりと立ち上がって、河原にいる僕に叫ぶ。


「報告感謝する! でも、私は、別段驚きはしない! それこそ、命懸けで書き上げた論文だ! 当然の結果なのだ! 我が人生に悔いなし! わははははは!」


 藤森さんの高笑いを聞いた僕は、何だかたまらなく嬉しくなって、船上の藤森さんに向かって、小さくガッツポーズを贈った。



 船上から、力強いガッツポーズが、三途の川の青い空に、高々と立ち上がった。


おしまい。

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