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ファイナルジャッジ!   作者: Q輔
現代編
16/58

ロスジェネ世代、人生の折り返し地点のところで(後編)


 長年勤めていた会社がね、昨今の新型コロナの影響で、倒産したのです。


 再就職先を探したのですが、どこも不景気で、四十半ばを過ぎた中年を雇ってくれるところなんて、そうそうないのです。


 挙句の果てに、そんなダメ亭主に愛想を尽かせた妻が、私に離婚を申し出ました。まあ、何年も前から醒めきった関係でしたから、別段ショックではありませんでしたけどね。つい先日、妻は、子供と一緒に実家に帰りましたよ。


 望む就職先がなければ、例えばネット世代の今の若者であれば、いっそ独立起業を考えるのかもしれませんが、私には、その選択肢は微塵もありませんでした。恐らく世代的なものかもしれません。会社組織を軸としてしか、仕事というものを捉えられないのです。


 私には、仕事が全てだった。私は、あの会社が好きだった。私は、生きる目的をすっかり見失ってしまった。そんな時に、ふと大学時代に山岳部でよく登ったこの山に、また登ってみたくなったのです。いっそこの山で死んでしまおう、なんてね。いや~、この山が隠れた霊山だとは知りませんでしたよ。なるほど、死の世界が、生への欲望が希薄になった私を呼び寄せたのかもしれませんね。


 私ぐらいの四十代半ばの世代のことを、世間では「失われた世代」とか「ロスジェネ世代」とか「就職氷河期世代」とか言うそうです。


 私たちが、しがない学生だった頃、大人たちはバブル景気に浮かれ呆けて騒ぎまくっていた。多くの学生たちは「明るい未来行き」の片道切符を握りしめ、決められたレールの上を、文句も言わず着実に進んでいた。


 そして、大学を卒業し、さあ、いよいよ大人の仲間入り! 世は好景気! 一流企業に就職して、浮かれ、はしゃいで、楽しもう! と安堵した矢先、目の前でパチンと音をたて、バブルがはじけてしまった。

 

 未曾有の就職難が到来した。この頃、ニートという言葉が生まれた。私たちの世代は、ニートに溢れた。今だ氷河期を引きずってマトモに働けない「高齢者ニート」が社会的に深刻な問題になっている。


 その反面、その氷河期を逆手に取り、団塊の世代やバブル世代との競争を勝ち抜き、その道のプロフェッショナルと成り得た、堂々たる者たちも多くいる。


 いわゆる「勝ち組」「負け組」の色合いがはっきりしているのも、私たちの世代の特徴だ。


 私はといえば、自分の仕事に対するポリシーを他人に押しつけがましく、団塊の世代やバブル世代に拭い去れない嫌悪感があり、つい反射的に反抗してしまうという、ロスジェネ世代の悪い所ばかりを懲り固めたような、典型的な「ロスジェネ人間」でした。


 時代を逆恨みするかのように、意地になって、ヤケになって、無茶をして、働きましたよ。


 まあ、どれだけ頑張ったって、会社が倒産してしまえば、元も子もありませんけどね。ははは。


 でね、今日ね、この山を登りながら、ずっと考えていたのです。


 そもそも、我々「失われた世代」の「失われた」ものとは、何だったのでしょう?


 望んだ就職先を失われた?


 バブル景気を失われた?


 人のせい、景気のせい、時代のせい。


「失われた」という被害者意識むき出しの語感が、それをよく表している。


 本当は、私には、時代に「失われた」ものなど何もないのです。


 ただ、自ら「失った」ものがあるような気はしている。


 無我夢中で働き続けたサラリーマン人生において、私は確かに大切な何かを失った。


 この喪失感の正体は何だろう。


 47歳という、人生の折り返し地点を過ぎた辺りに突っ立ちながら、今更ながら、考えていたのです。


 寒波吹きすさぶ不景気のなか、氷河の道で滑って転んで、


 力尽き、立てなくなっても、なお、はいずり、はいずり、前進して、


 かろうじて辿り着いた、この折り返し地点のところで、


 失ったものが何なのか、今更ながら、考えていたのです。



 ― ― ― ― ―



 しばらくの沈黙の後。


「……髪の毛かなあ」


 そう言って、古橋さんは、自分の薄くなった後頭部を撫でながら笑った。ふふふ。突然のおやじギャグに僕も思わずつられて笑ってしまった。


 ごーーーーん。


 山のふもとのお寺から、除夜の鐘が鳴る。何とも切ない鐘の音が、遥か山の中腹にいる僕たちのところまで、微かに聞こえてくる。


「……ひとつ、……ふたつ、……みっつ」


 僕の横で星空を見上げていた古橋さんが、おもむろに鐘の音を数え始めた。


「いやね、本当に百八つ打っているのか確かめてやとうと思ってね」


 それからは、僕も面白がって、古橋さんと一緒に除夜の鐘の数を数え続けた。


 ……ごーーーーん。


「ひゃく、むっつ」


 ごーーーーん。


「ひゃく、ななつ。次が最後の一回です」


 ごーーーーん。


「ひゃく、やっつ!」


 年が明けた。



 ごーーーーん。



「え?」


「あれ?」


「エフさん。除夜の鐘、1回多くなかったですか?」


「はい、古橋さん。確かに、ひゃく九つ鳴りました。あはは、お寺のお坊さん、鐘を突いているうちに、訳が分からなくなったのでしょうね」


「人間の煩悩ってやつも、まったくいい加減なものだ」


 わはははは。あはははは。お互いツボにはまったらしく。僕たちはしばらく腹を抱えて笑った。


「さて、古橋さん、ファイナルジャッジです。あなたは三途の川を渡りますか?」


「いやあ、今さっき、ひゃく九つ目の除夜の鐘を聞いたら、死ぬ気がすっかり失せましたよ。この世とは、まったく奇妙奇天烈な世界です。除夜の鐘だって何の予告なしにひとつ増えたりするのですからね。なあに、僕の人生だって、この先どんな展開が待っているか分からない。とりあえず、生きれるだけ、生きてみようかな。それでは、エフさん、大変お世話になりました。来年もよい年でありますように」


 こうして、古橋和義、47歳、ロスジェネ世代の元サラリーマンは、登山靴の紐をきつく締め直すと、

 

「あれ、もう明けましておめでとうですね、わはははは」


 新年の御来光を拝むべく、足元を確かめながら、山頂に向かい、ゆっくりと歩き始めた。


 

おしまい。

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