ロスジェネ世代、人生の折り返し地点のところで(前編)
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から最終決断補助者という仕事に就いている。
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
古橋和義、47歳、存在意義=無職。
大晦日の夜。山登ウエアに身を包んだ中年男が、三途の川に迷い込んだ。弊社の死亡者リストに、彼の名前は上がっていない。僕は、年末ぎりぎりに駆け込んだワンダラーの対応をすることになった。
「古橋さん、あなたは、あの世とこの世の境目に迷い込んでしまったのです。ひょっとして○○山に年越し登山をして、山頂で新年の御来光を拝むつもりでしたか?」
「……まあ、そんなところです」
粗茶ですが、よろしければ。あ、とても熱いので気を付けて下さいね。僕はオフィスにある石油ストーブの上のヤカンから急須にお湯を注ぎ、ぼこぼこと煮えたぎるお茶を彼に出した。
「しかし、あなた、私が登った山の名前までよく分かりましたね」
あちち。本当に熱い。熱いにも程ほどがある。古橋さんは、湯呑を持った指を耳たぶで冷やす。僕は、彼に名刺を渡して自己紹介をする。フェリーマンカンパニーの最終決断補助者で、エフと申します。
「古橋さん、ここだけの話、あの山はね、この国に点在する、隠れ霊山のひとつなのです。あの山の中腹には、あの世とこの世の境目が開かれている場所があります。あなたは、その時空の切れ目から、たまたまこちらの世界に迷い込んでしまったのでしょう。毎年この時期になると、そんな登山者が数名現れるのです。さて、フェリーマンタブレットの情報によれば、あなたは、まだ死者になるべき人ではない。さあ、地元が神隠しだ何だと騒ぎ出す前に、僕が、あなたを現世までお送りしましょう」
「あれ、おかしいな、そうでしたか? 私は、まだ死ぬ予定ではなかったですか?」
お茶を飲み終わった古橋さんは、意味深げな薄笑いを浮かべながら、傍らのリュックサックを背負おうとした。その時、どうやらリュックのチャックを閉める忘れていたらしく、リュックの中身をドサッと床にぶちまけてしまった。
僕は、言葉を失った。
古橋さんが、気まずそうな顔で、自らの頬のあたりをポリポリと搔いている。
オフィスの床に、首吊りロープと、遺書が転がった。
― ― ― ― ―
「お願いです、エフさん。私はね、実は、あの山で死のうと思っていたのです。賽の河原に迷い込んだのなら、好都合です。せっかくですから、このまま死なせて下さい」
古橋さんは、何度もそう僕に嘆願した。
「要件は道すがら! お悩みは道すがら! とにかく現世に向かって歩きましょう!」
僕は、現世に戻りたがらない彼の背中を、後からぐいぐい押しながら、彼を現世に導く。
「わーお、ほらー、古橋さん、綺麗な星空ですね」
僕たちは、現世に辿り着いた。
彼が登山をしていた隠れ霊山の中腹の、うねるような樹々の隙間から、幾千の星が輝いている。
「本当だ、とても星が近い。手を伸ばせば届きそうだ。ほら」
そう言って彼は、実際に夜空に手を伸ばして星を掴もうとした。ちょっとしたおふざけだろう。でも、僕には、彼が本当に星屑を鷲掴みにしているように見えた。指の隙間からこぼれた星は流星になって儚く消えた。
「長年勤めていた会社がね、昨今の新型コロナの影響で、倒産したのです」
満天の星空に魅了され、気持ちが落ち着いたのか、彼は静かに語り始めた。