八月のサンタクロース(前編)
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から最終決断補助者という仕事に就いている。
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
まだ、蝉しぐれが耳をつんざく季節の話だ。
いつもの風景、いつもの職場、いつものように僕は、三途の川に紛れ込んだワンダラーの対応をしていた。
この男の体は、現世で、建設現場でビル4階相当の高所での作業中に単管足場から転落し、現在搬送された病院で意識不明の重体となっているようだ。生死の境を彷徨っているうちに、三途の川の河原に足を踏み入れてしまったのであろう。
大柄の肥満体。伸び放題に伸びだ白髪。同じく白くて長い不潔感漂う無精髭。ひと昔前の建設現場や土木現場でよく見た真っ赤なニッカポッカ。真っ赤な作業着。黒い安全靴。そして頭には、見るからに暑苦しい真っ赤な毛糸の帽子を被っている。
先ずは、いつものように、本人から得た情報を、フェリーマンタブレットに入力する。
え~っと、名前は、黒臼三太。
年齢、35歳。
存在意義は、「サンタクロース」。
って、おーーーーーーーーい!
情報入力後、僕は、思わずいつもと違うリアクションをした。
「サンタクロースって! あ、あ、あ、あのサンタクロース?」
僕は、怪訝に思い、目の前のワンダラーに精一杯眉間にしわを寄せて尋ねた。
「うん、そうだよ」
男が、髭の枝毛を抜きながら、この上なく軽々しく答える。
「いや、あのね、再度確認しますけど、サンタクロースって、かの有名なサンタクロース? クリスマスイブの夜に、世界中の子供たちの枕元に、プレゼントを配って回るという、あの?」
「何度も言わすなよ、兄ちゃん。だから、そうだってば。皆さんご存知、サンタクロースたあ、俺のことよ」
「え~~~~、サンタさんって、フィンランド在住じゃないのお?」
「そいつは、都市伝説だよ。本物のサンタは、三丁目の駅裏の小便横丁にあるボロアパートで、妻と娘と三人暮らし」
「嫌だあああ、そんな生活感丸出しサンタ! ちなみに、業種は何ですか?」
「とびだよ。とび。建設現場で主に高いところで危険な作業をする、とび職」
「天職見つけたなあ!」
まゆつば、まゆつば。僕は、慎重に質問を続けた。
「てか、そもそも世界中の子供たちの夢であるサンタさんが、何故この炎天下のもと建設現場で汗水垂らして働いていたのですか?」
「何故って、おまんま喰うためじゃん。せっせと働いて、お上に税金払って、残った金で家族が明日も暮らして行くためじゃん」
「さっきから痛い! リアリティが刺さる!」
「兄ちゃん。それに、勘違いしてもらっちゃ困るけど、俺がクリスマスイブに世界中の子供たちにプレゼントを配っているアレね、あれだって全部ボランティアだからね」
「え、そうなんですか?」
「そうだよ。有志だよ有志。誰ぞに給料貰ってやってるわけじゃねーからね。オモチャ代だって全部自腹だぜ。一年間お金貯めて楽天とかアマゾンで購入してんだからね。ポイントだって全部オモチャ代に消えるんだぜ。
まったく、昔のガキはブリキのオモチャひとつで半狂乱になって喜んでくれたもんだが、最近のガキは、やれプレステだ、やれDSだっつって、高価なものばかり頼みやがってよ。
物価もどんどん上がってるしさ。北海道の牧場に預けてるトナカイの費用も馬鹿にならねーし。毎月カツカツだよ。晩酌のぶどう酒代だってかろううじて捻出してるからね。ちなみに風俗だってもう何年も行ってねーからね」
「うわあああ! サンタさんの口から絶対に聞きたくない言葉が、止めどなく耳に入ってくるううう!」
現世は、連日の猛暑日で、熱中症による死亡者が続出している。情報によれば、このサンタさんも、現場で熱中症にかかり、意識がもうろしとして、足元がふらつき、誤って単管足場から転落したようだ。
「分かりました。あなたがサンタさんだということは十分に理解しました」
「お、信じてくれたかい」
「兎に角です。速やかに現世にお帰り下さい。あなたがサンタであろうがなかろうが、弊社の死亡者リストに名前がない以上、いつまでもここにいてもらっては困ります」
「だからサンタだってば! まだ信じてねーなコノヤロー!」
現世の蝉しぐれがこの三途の川の河原まで聞こえてくる。「あー、うるっせえなーもう」サンタさんが鬱陶しそうに耳を塞ぐ。それからしばらく三途の川の水面を見て物思いに耽っていたサンタクロースが言った。
「なあ、兄ちゃん。この川の向こう岸は、あの世なんだろ? せっかくここまで来たんだ。俺、いっそ死んじゃおうかなあ。オイよお、兄ちゃん、俺のこと、死なせてくんねえかなあ」
後編に続く。