お見送り部長の野辺送り(後編)
おい! 鈴木! よく聞け!
なぜに、退職する者は、いつもそんなふうに爽やかなのだ!
なぜに、見送られる者は、いつだって正しいのだ!
どいつもこいつも、まるで憑き物が取れたみたいに、すっきりとした顔で!
「退職の理由は?」と尋ねれば、堂々と私の目を見て、知ったようなことを言いやがる!
世の中を悟ったようなことを言いやがる!
社会の真理を喜々として述べやがる!
私は思う! だったらこの会社から去った者たちで、こぞって起業してみせてくれ!
君たちの発言が正しいのであれば、きっと瞬く間に大企業だ!
毎年国から表彰される、真っ白ケッケのホワイト企業だ!
社員たちはみんな愛社心に溢れ、不正も、派閥も、いじめもない、ユートピアの誕生だ!
それにひきかえ、見送る者の惨めさ、これは何だ!
なぜに、見送る者は、いつも申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ!
見送る者は、いつも伏し目がちで、もごもごと、伝えたいことの半分も言えず!
なぜに、新しい世界へ旅立っていく君たちの後ろ姿を、羨ましく見ているだけなのだ!
残った者たちは、お前が去ったあとも、同じ会社の同じ机に向かい、変わり映えのしない業務を続けなければならない!
やりたくない仕事もやらなければならない!
下げたくない頭も下げなければならない!
自らの手を汚さねばならない時もある!
おい! 鈴木! 聞こえるか!
お前に、残る者の気持ちが分かるか!
お前に、見送る者の気持ちが分かるか!
お前は、見送る者を笑うか!
お前は、そんな私を笑うか!
― ― ― ― ―
葬儀場の床に、日比野さんの涙と鼻水が点々と垂れた。日比野さんは、葬儀会場の空中から、鈴木氏に永遠に届くことのない本当の気持ちを叫んだ。こういった積もり積もった不満が怨念となり、死にきれなかったのであろう。
「はあーー、言いたいこと言ったらすっきりした。エフさん。これでもう思い残すことはない」
鼻をすすり、僕にそう告げた。
「日比野さん。時は来たり。ファイナルジャッジです。あなたは三途の川を渡りますか?」
「渡るさ。それとも、棺桶の中で蘇生してみせるかい?」
「あはは。賢明なるご判断、感謝します」
日比野さんの目の前に、三途の川が開けた。
「それにしても、見たまえ。これが多くの社員の人材育成を手掛けてきた私の葬儀かね。いやはや、さすがに参列者が少な過ぎる。寂しい葬儀だよ。たはははは」
白装束に着替えながら、軽やかに自嘲している。
「こういったご時世ですからね。皆さん密を避けているのです。致し方ありませんよ」
その時だった。焼香を終えた日比野さんの部下、鈴木氏が、祭壇の日比野さん向かって静かに語りはじめた。
「日比野部長、あの日お伝えしたように、僕の退職の理由は、日比野部長、あなたです。でも誤解しないで下さいね。私は、あなたが嫌いだったのではありません。逆です。私は、あなたが大好きでした。あなたを心から尊敬していました。そして、あなたを尊敬し過ぎるが故に、あなたの部下でいる限り、あなたを超えられないという、答えに至りました。退職の理由はそれだけです。日比野部長、これから何十年たっても、私がどこで何をしようとも、あなたは僕の師です。今日までありがとうございました」
唐突な鈴木氏の告白に、空中の日比野さんが、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。
「聞きましたか、日比野さん。これがあなたが育てた部下の言葉ですよ」
僕は嬉しくなって、思わず、後ろから日比野さんの肩をぽんと叩いてしまった。
呆然とする日比野さんに、更に追い打ちをかけるように、葬儀会場のドアがゆっくりと開いた。会場前のロビーは日比野さんの死を聞きつけた多くの若手社員たちでごった返していた。その中には違う制服を着た若者も大勢いる。かつて日比野さんが育成し、会社を退職していった若者たちが、いてもたっても居られず駆けつけたようだ。
「見て下さい、日比野さん。寂しい葬儀なものですか。みんな、あなたを慕っているのです」
「あちゃちゃちゃちゃ! 馬鹿だね、こいつら、このご時世に密集しやがって! ほらほら、ソーシャルディスタンスしろってのっ! おいおい、エフさん、参列者が多過ぎて収集つかないよ! 大変なことになっちゃったよ!」
「ふふふ。人望があり過ぎるってのも、考えものですね」
「まったく、嬉しくて嬉しくて、困ってしまうよ。たはははは」
― ― ― ― ―
彼は、渡し舟に乗った。
現世では、大勢の参列者を考慮したご遺族の計らいで、日比野さんの棺は、出棺から火葬場までの道のりを、いにしえの風習である「野辺送り」で送られることになった。
日比野さんの棺を担ぎ、遺族が列になって、火葬場までの道のりを、歩いて運ぶのである。
冬の始まりの午後の日差しのなか、稲刈りの終わったのどかな田舎道を、日比野さんの棺がゆっくりと送られていく。幾千のススキが音もなく揺れている。
その田舎道の両脇を、かつての日比野さんの部下たちが、等間隔の距離を確保し、両手を合わせて並んでいる。
路傍に立ち、日比野さんの死を惜しむ部下たちの姿が、どもまでも続いている。
「お見送り部長殿、いかがです? 人生の最期に、こうして大勢の部下に見送られるお気持ちは?」
僕は、少し意地悪な感じで、日比野さんに尋ねた。
「悪くない。これまで散々人を見送り続けた甲斐があったというものだ」
渡し舟が渡船場を離れた。日比野さんを乗せた渡し船が、あの世へ送られて行く。
「おーい! 日比野さーん! せっかくですから、見送る者たちに最後の言葉をかけてあげて下さーい!」
徐々に消えゆく現世の映像に向かい、日比野さんは大きく息を吸い、大きく息を吐いた後、大声でこう叫んだ。
「見送る者たち! 残った者たち! 聞いてくれ! 今日こうして旅立つ私の物語は、一旦ここで終わる! でも残る君たちの物語は、明日もずっと続くのだ! 見送る者たちよ! 私は、君たちの、終わらない顔が大好きだ! 下を向くな! 胸を張れ! これからもずっと、君たちの終わらない顔を、この私に見せてくれ!」
やがて、日比野さんは、三途の川の向こう岸に静かに消えて行った。
現世では、お見送り部長の野辺送りが、まだまだ続く。
路傍に立ち、日比野さんの死を惜しむ部下たちが、長い道を成しているのだ。
終わらない顔が、どこまでも、どこまでも、続いている。