安楽死反対論者のガッツポーズ(前編)
ここは、現世とあの世の境目、賽の河原。
僕は、この河原に建つ「フェリーマンカンパニー」という渡船会社に勤める三途の川の渡し守。
今日も、渡船場から沢山の死者を渡し舟に乗せ、あの世へと渡している。
僕は、エフと呼ばれている。
どうやら僕は6番目にここへ来た渡し守らしい。渡し守A、渡し守B……6番目の僕は、渡し守F。
恐らく、過去には別の名前があったと思われるのだが、まるで思い出せない。何故ここで働いているのか。いつここへ来たのか。何も憶えていないのだ。
気がついたら、ここで働いていた。まったくトホホのホだ。
ちなみに、渡し守の仕事は、実際に船に乗って死者をあの世へ渡す、いわゆる「船頭」ばかりではない。
乗船する死者の受付。死装束や三角頭巾の配布。乗船員数・出船時刻の管理。渡し舟のメンテナンス。などなど。仕事内容は様々。
僕は、数年前から最終決断補助者という仕事に就いている。
毎日現世とあの世の境目にある賽の河原で働いていると、時折、生者とも死者ともつかぬ、ワンダラーがふらりと訪れる。
ワンダラーが、三途の川を渡るか否かを決める。つまり「生きるか死ぬか」の最終決断をする。そのお手伝いをするのが、僕の仕事。
ファイナルジャッジヘルパーと言えば聞こえはいいが、まあ、事実上現場のトラブル処理係。
ほら、今日もこの賽の河原に、生者とも死者ともつかぬ悲しきワンダラーがやって来た。
「おーい、エフ君。ワンダラー、お一人様、ご案内ざんすー。後の対応、ヨロシクざんすー」
オフィスに籠り、溜まりに溜まった報告書を作成していると、上司である渡し守長が、いつものかん高い声を上げながら、乱暴に入口の扉を開ける。
「あの~、渡し守長おお、今日ばかりは勘弁してもらえませんかあ。こう毎日ワンダラーの対応ばかりじゃ、その事後処理の報告書作成のほうが、まるで追いつきやしませんよ。
僕、先月も社長から注意されちゃってんすからね。お前は、やたらと現場に出過ぎだって。事務処理を怠るなって。いやいや、分かってるっつーの。こちとら、事務処理する時間が欲しくて欲しくてたまんねーっつーの」
「仕方ないざんす。この人、私のフェリーマンタブレットの死亡者リストに上がってないざんす。死んでいない人間を、渡し舟に乗せる訳にはいかないざんす」
渡し守長の背後から部屋にふらりと入って来たのは、全身をアウトドアウエアに身を包んだ、初老の男性だった。
「ここはどこですか? 私は、道に迷ってしまったようだ」
戸惑いを隠せず青ざめた表情の初老の男性が、渡し守長に尋ねる。
「ふん! 詳しいことは、このファイナルジャッジヘルパーに聞くざんす! こっちは、おたくみたいな生者とも死者ともつかない人間が、ちょいちょいこの賽の河原の死者の列に紛れるから、大変迷惑しているざんす!」
渡し守長は、勢いよく扉を閉めて、立ち去った。
オフィスの窓から、午前の太陽の光に、キラキラと照らされた三途の川と、賽の河原が一望できる。今日も、たくさんの死者が、この美しき河原で、係りの者が配布した死装束に着替え、白い三角頭巾を鉢に巻き、列になって順番に船に乗り、静かに静かにあの世へと渡って行く。
窓から、さっきまでここにいた渡し守長が、小走りで列の先頭の受付の場所へと戻っていくのが見える。長身で、瘦せ型。白髪で、死神のような風貌。ビジネススーツと戦国時代の歌舞伎者を、足して二で割ったような服装をしている。僕が言うのもなんだが、年がら年中忙しいお人だ。
「さあ、先ずはお座り下さい」
僕は、初老の男性のために、最寄りの机の椅子を引いた。男性は、深い溜息をつきながら、ゆっくりと椅子に腰を掛ける。
「単刀直入に申します。ここは現世とあの世の境目、賽の河原です。あなたは今、生者にも死者にもなれず、その境目の世界を彷徨っている存在です」
「はあ?」
「私は、あなたが生きるか死ぬかの最終判断をする、その補助をさせていただく者で、フェリーマンカンパニーの渡し守、名前をエフと申します」
「あなた、会社員?」
「はい、そうですが。なんですか、その訝し気な目は」
「白銀の長髪にシルクハット。背中にマントを羽織っている。膝下でカットされたズボンに、高い編み上げのブーツを履いている。ビジネススーツとイタリアのギャングを、足して二で割ったような服装。このかっこうで会社員と言われても……」
「トホホ。失敬な人だな。僕の外見のことは、ほっといて下さい。さて、まずは、あなたのお名前をお聞かせいただけますか」
僕は、自分のフェリーマンタブレットを起動させ、男性に質問した。男性は、今一つ腑に落ちない様子ながらも、僕の質問には丁寧に答えてくれた。
「私の名前は、藤森和男と言います」
「ありがとうございます。では、年齢を教えて下さい」
「年齢は、62歳です」
「ありがとうございます。では、これが最後の質問です。あなたは何者ですか?」
「ん? 何者とは? 質問の真意を測りかねますが?」
「すみません。一応聞く決まりなもので。『何者』とは、あなたの存在意義。存在理由。魂の名前。代名詞。ざっくりとそんな意味合いで捉えて頂いて結構です」
「存在意義?」
「たとえば、仕事に存在意義を見出している人は、『私は社長です』『警察官です』『モデルです』なんて答えますね。仕事以外に存在意義を見出している人は、『釣り人です』『バイク乗りです』『登山家です』『詩人です』『草野球のピッチャーです』なんて答えます。ごく単純に、『父です』『母です』『妻です』『子供です』と答える人もいますよ。要するに、あなたの存在をひと言で言い表すと何ですか? という質問です」
「ああ、そういうことなら、私は生物学者です。晩年は、もっぱらオオサンショウウオの生態の研究をしていました」
タブレットに、たった今得た三つの情報を入力する。即座に現世の藤森さんの身元がヒットした。ふ~ん、この藤森和男氏、本職は大学教授、家族には、同い年の妻と、今年三十歳になる一人息子がいるようだ。
「受付が完了しました。では早速、今から現世のあなたを見に行きましょう」
「現世の私を見るう? ちょっともう、さっきから君の言っていることが、チンプンカンプンで……」
「あのー、実は僕、仕事がちょー溜まっているのです。時間がナッティングなのです。急ぎましょう。ささ、ほらほら」
僕は、フェリーマンタブレットを首からぶら下げ、彷徨える藤森さんと一緒に、現世に残された藤森さんの肉体のもとへ向かった。
― ― ― ― ―
大きな病院の小さな病室の中に、僕たちはいた。
ベットには、藤森さんの肉体が横たわっている。藤森さんの身体には無数の細い管やコードが繋がっている。医者とご夫人と息子さんが、藤森さんのベッドを取り囲むように座り、神妙な面持ちで何か話をしている。
藤森さんと僕は、三人の真後ろに立つ。
……ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……
傍らにある心電図モニターが、規則的に発信音を鳴らしている。
「そうか、思い出したぞ。私は、オオサンショウウオの生態を探るために山の奥地にある渓谷に出向いたのだ。その時、私はうっかり足を滑らせて、崖から転落をしてしまった」
「そのようですね。僕のフェリーマンタブレットの情報によれば、その後あなたは、たまたまそこを通りかかった登山者に奇跡的に救出されました。しかし、転落の際に後頭部を強打したようです。以降、あなたの意識は戻っていません。藤森さん、あなたは今、植物人間なのです」
「じょ、冗談だろう! 私は、そんなこと信じないぞ!」
後編へ続く。