8「暮らしのなかで」とおじさん、の巻
時系列的には一話の後。
カタヒラさんの上司と、他部署の女性が
二人で居酒屋に来ています。
【カリメル・トゥーリントット】こと、この僕は年上の部下のカタヒラさんに紹介された『居酒屋』に女性と二人で来ている。
僕の目の前の席には、勤め先のギルド事務局の受付事務員さんである【メリー・ルー・ビギンズ】さんが、モジモジと落ち着かなげな様子で麦酒の中ジョッキを持ったりテーブルに下ろしたりを繰り返している。
メリー・ルーさんは、まだ一滴も木製ジョッキの麦酒を口にしていない。もしかして、木製ジョッキの酒場に慣れていないのだろうか。
うろ覚えだけど、たしかメリー・ルーさんはいいとこのお嬢さんだったような……
『酒場の麦酒は店によってはクセあるからな…』
そう思いながら、僕は頼んだ麦酒に口をつけたところで、僕らがまだ乾杯をしていないことに気付いた。
……まあ仕方ない。忘れてた。
「……久しぶりです、麦酒飲むの」
僕を飲みに誘ったメリー・ルーさんが何も話さないので、僕の方から話しかける。
僕は女性と話すのは苦手だ。母や妹でさえ苦手なのに『他部署の美人の女性』はもっと苦手だ。
「あっ私もです。久しぶりなんですよ、男性と麦酒飲むの……」
「へえ、そうなんですね。友達と一緒に飲みに…とかは?」
「……友達あんまりいなくて」
「……」
この一連のやり取りの後でまた二人とも黙ってしまった。メリー・ルーさんはまたモジモジと落ち着かなげな様子に戻ってしまった。
僕は何がいけなかったのかを考えてみる。
……多分、プライベートなことをいきなり聞いてしまったのが悪かったのだろうか。
僕とメリー・ルーさんは、この店に入った時に一番奥のテーブル席を選んで座り、二人とも定食と麦酒のセットを頼んだ。
『目立つことや普通と違うことが苦手』という点で、僕とメリー・ルーさんは似ているようだった。
それに僕もあまり友達が多くない。
僕が生まれる前に起こってしまった戦争のせいで、この世界はまだ人材不足の真っ最中だ。
戦争のせいで大人の数が極端に少なくなってしまったので、当然子供の数も少ないままだ。
だから、『同年代の子供と遊んだ』という経験が僕にはあまりない。多分、メリー・ルーさんもそういう世代なのだろう。
戦後すぐに、バルダン市臨時政府が発表した『世界人口増加政策』とかいう為政者側の勝手な都合で、僕の父と母は『結婚させられた』らしい。
より正確に言うと、『お付き合いをしている人がいるか』とか『結婚しているか』とか『子供がいるか』ということが、今よりも就職や将来の出世に響く時代だったので、祖父母に結婚を勧められていたらしい。でも、母方の祖父母は『結婚は勧めたが見合いとかはさせてない』とも言っていた。
だから父と母は自分達で結婚しておいて、お互いが気に入らなかったから、時代とか祖父母のせいにしているだけなのだろう。
でも母は、『……だから相手なんて選ばずに貴方もはやく結婚なさい』と、僕には言ってくる。
知らんがな、と僕は言いたい。
自分が結婚する相手は選ぶに決まってるだろう。
メリー・ルーさんとのお食事の時間は静かに過ぎていく。僕は異性の美人さんが好きなので、メリー・ルーさんと飲めるのは正直嬉しい。女性の方から誘われたのは初めてなのでもっと嬉しい。
でも、メリー・ルーさんは特になにも僕に話しかけたりせず、定食の黒カレイの煮付けに夢中だ。小骨についた小さな肉の欠片も残さないように、きれいに食べている。食べた後の魚の小骨を皿の端っこに寄せる食べ方は、いかにも『いいとこのお嬢さん』っぽい。
僕も自分の皿の煮付けを食べてみた。
『めちゃくちゃ旨い!』
海から遠いこの町でこんなに新鮮な黒カレイを食べられるなんて。
『バルダン運輸が新しい保存技術と輸送技術を開発したらしい』って、カタヒラさんが仕事中に新聞を読みながら僕に話しかけてきたことを思い出す。僕は新聞を読まないので詳しくは知らないが、もしかしてそのお陰かも。
僕はまた、僕の方からメリー・ルーさんに話しかけた。
「おいしいですね、このカレイ……」
「おいしいです。この魚初めて食べました」
「へえ、そうなんですか?」
「うちの家が貧乏だったもので」
「えっ『いいとこのお嬢さん』だと思ってました。僕、メリー・ルーさんのこと」
「…よく言われるんですけど違うんですよ。父は炭鉱労働者です。母は教師で厳しく育てられたから、そのせいかも」
「あっうちの母も結婚するまで学校で働いてたって言ってました」
「へえどこの学校ですか?」
≈≈≈
最初はモジモジしてた若い二人が『黒カレイの煮付け定食』を食べた途端に会話が弾んでいるのを横目で見たこの店の料理人【ローダン・ベーグル】は、他の客の料理を作りながらこう思った。
『俺の料理が人と人とをつなぐ。こういうのが見たくて料理人やってんだな、俺は』
普段は思っても口には出せないようなことも仕事中に頭の中で考えるくらいは、いいだろう……
……ちくしょう今夜は酒だ。
料理人が嬉しくて酒を飲む夜があったって、いいじゃねえか。
最近涙もろくなったローダンは、目の端に勝手に浮かんできやがった水を自分が着ている白い調理服の肩口に染み込ませる。
「……ローダンさん御後、新鮮サラダとマテ貝のバター焼きね…」
ローダンの白い調理服の背中をポンとたたきながら、この店の若い店長【フリント・ミルカー】が静かな口調で新しい客の注文を伝えてきた。
料理人の目の端に浮かぶ涙を若い店長は忙しそうなフリで見てみぬふりをした。
まだ宵の口だ。
客の数はこれからどんどん増えてくる。
料理人が泣く時間ではなかった。仕事の時間だ。
「へい!サラダとマテ貝ね」
若い店長に返事を返しながらローダンは思う。
『俺が作るもんで、一人でも多く客が笑ってくれりゃそれでいい』
ローダンはまた勝手に目に浮かんできやがった水を軽く肩口で拭うと、客の新しい注文に応えるために食材の準備を始めた。
続
好きなタイプの男性は『静かに人の話に耳を傾ける人』です。
次回も同じ飲み会。
……でも、今度は『メリー・ルーさん側』の視点です。