7「唇をかみしめて」とおじさん、の巻
二人目の若い娘さんに連れられて、わたしはこの街の『ギルド』の建物の中に入り暖かい部屋のストーブの前に案内された。
椅子に座ったわたしはストーブの前で片手で膝を擦りながら、娘さんが用意してくれた温かいお白湯を少しずつ飲んだ。
お白湯には漢方薬のようなものが入っているらしく、少し苦いような味がした。
お白湯を飲みながらわたしは、さっき娘さんに言われた『異世界の方』という言葉に少し引っかかっていた。薄々気付いてはいたものの『ここ』はやはり、わたしが元々いた世界とは違うところらしい。
「…もし、あなたが異世界人ならば何か『資格』や『技能』のようなものはお持ちではありませんか?
元の世界の資格でも構いません」
ストーブで体を温めるわたしの背中を温かい手で擦りながら、娘さんはわたしをあまり刺激しないように静かに語りかけた。
なぜ、急に資格と技能の話になるのだろうか…
優しく話しかけてくる自分の娘と同年代くらいの娘さんに『ここはどこだ?わたしは何故ここにいるんだ?わたしに何をさせる気なんだ?』などとは怒鳴らない程度の分別をわたしは持ち合わせていた。
混乱するような状況だったと思うが、わたしはギリギリのところで冷静さを失わずにすんだ。
娘さんの問いかけに、静かにわたしは答える。
「…読み書き計算、書類の整理、あとは…」
自動車の運転…と続けようとして、わたしは口を噤む。
まだ『ここ』に来て一日も経っていないが、この世界に『自動車』があるとは思えない。
うんうん…と頷きながら娘さんは、わたしの背中を擦りながら静かな声で言った。
「……分かりました。われわれ『バルダンギルド』は、町の復興にご尽力くださる皆さんを決して見捨てたりしませんから」
そう言って、娘さんは笑顔を浮かべた。
誰にも話せないようなつらい目にあったことがある者特有の、見ているとこちらが悲しくつらくなるような笑顔だった。
≈≈≈
わたしのために用意された『宿屋』までの道すがら、娘さんはこの世界について色々と教えてくれた。
この娘さんが生まれる以前、この世界で歴史上初めての『人類とモンスターとの戦争』が起こったのだという。戦争で荒廃し尽くしたこの世界では、現在も人手不足が続いているらしい。
わたしのように身元不明な異世界人でも雇用しなければならない程に……
「……明日一日は休んでいただいて、明後日から『職業訓練』を始めさせて頂きたいと思っています。突然このようなことになってしまって混乱するかと思いますが。
……この世界には余裕がないんです」
わたしを宿の部屋の扉の前まで案内した娘さんは、わたしに向けてつらそうに言った。娘さんはまだ10代の後半…といったところだろう。
わたしの娘よりも少し年上くらいか。
「………」
つらそうな娘さんに黙ったまま一礼して、わたしは部屋の中に入り扉を閉めた。部屋の中に入って一人になった途端に、わたしの中の『冷静さ』は底をついた。
泣きたいような叫びたいような感情が、わたしの内面に大きな黒い渦を巻いた。渦はやがて真っ黒な嵐となり、わたしの心を責め苛んできた。
瞼の裏に家族の顔や友人達の顔が浮かんで消える。
『どうしてわたしがこんな目に!!』
そんな言葉が喉の奥まで出かかって止まる。
……だが、今は深夜だ。
大声を出すと、宿の他の客に迷惑がかかるだろう。
これまでの人生、いつだってわたしは『他人に迷惑をかけない』ということを信条にして今まで生きてきたのだ。
これからもずっとだ。
「…ッ……ぐ!」
固いベッドのシーツに顔面をグリグリと押し付けたまま、わたしは唇をかみしめて、朝になるまで声にならない呻きを上げ続けた。
≈≈≈
このあと、わたしは『バルダンギルド』で半年間の職業訓練を受け、元の世界で培った簿記・会計の知識が買われて、運良くバルダンギルドの会計課で嘱託職員として雇われることとなった。
わたし程度の知識でギルドに入れたのは、一つにはこの世界における組織の『簿記・会計の未発達さ』も要因としてあるだろうが、一番の要因は『わたしが【刻印化】の紋様を解読できた』ということが一番大きいのではないかと思う。
わたしにお汁粉をくれた娘さんにもらった紙に書いてあった、【QRコード】のような紋様である。
『魔法』というものがあるこの世界では、【刻印化】が使えるか使えないか、ということが露骨な就職差別につながる。
……わたしがどうも『魔法』というものを好きになれない最たる理由がそれだ。
ともあれ、わたしは幸運にもバルダンギルドに拾われ、カリメル君初め職場の同僚にも恵まれた。
会計課の仕事場として間借りしている『バルダンギルド資料編纂室』の資料によると、異世界転生者が元の世界に戻れたという確たる事例は『これまでに一件も確認されていない』らしい。
―――どうやらわたしが望むと望まざるとに関わらず、今後わたしは、この異世界で生きていかざるを得ないらしい。
「……ま、『こんなの』は慣れっこさ。……『おじさん』だもの」
そう嘯くわたしに向けて吹く晩秋の異世界の風は、若い頃と比べて肉の落ちたわたしの薄い背中に、ひどく冷たく沁みた。
続く…
好きな資格は『ハンターライセンス』です。
次回は、カリメルさんと他部署のお姉さんとの
『居酒屋お食事会』です。