物語の様にはならなくて
学園を卒業と同時に、殿下は婚約者であるエミリー様と盛大な結婚式を催され、ロッティは寵姫として城に入ることになった。
私はロッティ付きの王宮勤務の侍女へ、と駒を進めた。
エミリー様には心象的にあまり良い印象はないが、新婚早々のこの時期に、一緒に自分の愛する女を召し上げるなんて同じ女として彼女に同情もした。
だが、エミリー様のお顔もたてつつ生活する殿下の器用さも、王には必要なのだろう、と納得出来てしまったのは、やっぱり私も貴族の一員だからなのだろうか。
いくら愛があっても子爵令嬢じゃ、王妃は務まらない、と実感したのはやはり城に上がってからだ。
エミリー様は王妃として完璧だった。
公爵令嬢と言う元々の出自の良さもあり、当然ながらマナーも、言語も、女主人としての社交術も。
一応ロッティも城で暮らす寵姫としての勉強をしたのだ。
私も侍女として傍にいたので、彼女のマナーのレッスンを聴きながら、私の分かる範囲で習った後にアドバイスをしていたら、一緒に勉強してアドバイスが欲しい、と言われたため、その時間は侍女じゃなく友達として付き添うようになった。
ロッティなりに、必死に頑張っていたと思う。
エミリー様に睨まれないように陰に、陰に陰に、目立たぬように。
エミリー様にとってはロッティの存在そのものが嫌悪感を催す以外に何者でもない、とは分かっていた。
城に入ってから4年は、あまりにも食事、水などに毒物混入が多かった。
お腹を壊すような可愛いものから、少々笑えないものまで多種多様。
確かに実家からの後ろ盾がないロッティに対し、後ろ盾が実家のトンプソン侯爵家。
しかも血統主義万歳の家だから、ロッティが妊娠なんかしようもんならお家騒動真っ青な事態になるだろう。
幸か不幸か、最初に妊娠出産したのはエミリー様。
結婚2年目に、無事に長女が誕生して、4年後に長男が誕生し、一男一女、エミリー様は肩の荷が降りたろう。
関心は子育てに移って、ようやくロッティに対しての毒物攻撃はなくなった。
時折、思い出したように入れるから油断は出来ないけど。
だけど、まぁ前に比べたら、ようやく安心して平和に暮らせるようになった。
ロッティに中々子供が出来ないのが、ロッティの悩みではあったけど、子供が出来なかったのもあって放置されていたのだ、という事を、私達は忘れていたのだ。
だから、あの滅多になかった宿下がりの日。
私が宿下がりをし、領地に帰ったのはそれこそ王宮勤務して初めてだった。
ロッティが妊娠していたのは、知っていた。
なぜなら、出立の朝に、お暇する報告をしていた際にロッティから耳打ちされたのだ。
「先ほど、王宮医の診断で御子がいることを教えてもらったの。
まだ、陛下にも言っていないのよ、メギーに一番に知らせたかったの」
そう言って幸せそうに微笑んだロッティ。
私が最後に見たロッティは、世界で一番幸せそうに微笑んでいる物語のお姫様の様だった。
私も勿論喜んだ。
そして、私も浮かれてしまった。
ジョノの赤ちゃんが無事に生まれ、そして、ロッティに赤ちゃんが出来た。
気持ちが浮き浮きと弾み、それこそ女学生の時のように二人ではしゃいでしまった。
ロッティはジョノの赤ちゃんの報告楽しみにしているわ、私もまた勉強ね、と言って微笑んで送り出してくれた。
その、ロッティがもういない。
3日間、公ではないがジャスパー陛下は喪に服した。
その間、何もしなかったわけではない。
当たり前だが、犯人を捜したのだ。
犯人は簡単に捕まった。
侍女だった。
その日、ロッティにつく侍女のうちの一人が、急な腹痛で倒れた。
その為、いつもと違う侍女がロッティについた。
陛下や、侍女頭がロッティが妊娠していたのを知っていたら、もっと人選をしっかりしていただろう。
だけど、そこまで気にしなっかったのだろう。
そして、運が悪いことに、私もいなかった。
エミリー様にしては、毎回毒殺をしようとしては失敗しているし、毒も嫌がらせのつもりでしかなかったのだろう。
真相はどうだか知らないが、まさか死ぬなんて思っていなかったのではないか、と私は思っている。
もちろん侍女が一人で毒殺など出来るわけもなく。
芋づる式でエミリー様、そして毒の出先であるトンプソン侯爵まで辿り着いてしまった。
あまりにも、あっけなく犯人は判明したものの、エミリー様は王妃だ。
大っぴらに処罰することは出来ない。
しかも国母、そう、陛下の子供の母でもあるのだ。
誇りある死か、幽閉か。
毒杯を飲むことを選んだ彼女に、陛下が下した決断は塔に幽閉する事だった。
療養と言う名の幽閉は、城内にある今は使われていない北塔の一角。
誇り高い彼女が、誰からも気にされず忘れ去られていくという事実は、彼女を徐々に蝕んでいくだろう。
トンプソン侯爵の対抗馬であったレキシ―侯爵が、シャーロットが妊娠していた事実を彼は掴んだ。
まだ生まれてはいなかったが王族に連なる子供を殺した、と訴求して反逆罪を適用されてしまいそうになったのだが、貴族間のバランスもあったのだろう、色々と調整の末、トンプソン侯爵は隠居をし嫡男ではなく、どちらかと言うと中立主義だった甥に爵位を譲ることでトンプソン侯爵位を守った。
貴族至上主義の彼にとって、爵位とは誇りであり命でもあり、何よりも尊ぶものであった。
歴史ある爵位を彼の代で潰す事は、彼の汚名を残すことになる。それは到底了承出来なかったのであろう。