04.
目が覚めると、塔の最上階にある自室の中だった。
頭の中がぼんやりとしていて、今の自分の状況がはっきりと思い出せない。
寝床から起き上がろうと体に力を入れると、背中に鈍い痛みが走り、イリクは突如剣を振り下ろす冷酷な男の姿を思い出した。
「――――っ!」
イリクは布団を跳ね除け起き上がった。
辺りを見回すと、部屋の中には自分以外の誰の姿もなく、しんと静まり返っている。書卓には地下書庫へ行こうと部屋を出た時のまま、山積みの本と夕食の皿が残されていた。
ひょっとすると、全てただの夢だったのではないかとイリクは思った。廊下にはいつも通り気怠そうな衛兵達がいて、朝になると食事を運んで来てくれる。そして午後には武術の鍛錬と修学の時間が待っているのだ。そうに違いない。
イリクは念のため、外にいる衛兵の姿を確認しようと扉に近づいた。その時、誰かが外から扉を開いた。
「あ、起きられましたか」
黒髪の少女だった。
イリクは驚きのあまり後ろへ飛び上がり、体勢を崩しそのまま床に尻餅をついた。
「大丈夫ですか? イリク様」
「き、君はさっきの……何で僕の名前を?」
イリクが尋ねると、少女は目を丸くしぽかんとした表情を浮かべ、すぐに口元を緩ませ短く笑った。
「そりゃ知っていますよ。旧クルシュナ王家第三王子、イリク・フォン・ユストゥフ様」
そう言うと、少女は自らの左胸に手を当て、礼をするようにゆっくりと頭を下げた。
「申し遅れました、私は帝国軍第七十四期生のリファと申します」
「リファ……」
衛兵達との会話はもちろん、そんなかしこまった挨拶作法など久しく忘れていたイリクは、自分が王族の端くれであった事を思い出し、妙なむず痒さを感じた。
「お怪我はありませんか? どこか痛いところは」
「大丈夫……ええと、それより」
一階での襲撃が夢でなかった事は、リファの登場により証明された。そうなると、一体何から事情を聞けばいいのか分からない。
イリクがあからさまに困惑していると、リファはその様子を察してか、背中にそっと手を当て寝床に腰掛けるよう促してくれた。枕元には、汲み置きの水が器に入って置かれている。
「ゆっくりで大丈夫です、落ちついて……まずは話を聞きましょう」
水を飲み落ち着きを取り戻したイリクは、男が塔に現れてからの出来事を、拙いながらも順を追って説明した。
リファはその話を聞きながら、時折自分の推測と合点するように小さく頷いては、事態の説明をしてくれた。
聞けば、イリクが眠っていたのは、ほんの二時間程度の間だった。
リファは一階で倒れたイリクを部屋まで運んだ後、すぐに二人の衛兵を探した。そして二人を縛り上げ朝まで交代の兵が来ないことを確認すると、そのまま地下書庫に閉じ込め部屋に戻ってきたのだという。
「あの男の名はロウ……私と同じ軍人であり、そして、私と同じ王政派の人間です」
「王、政派……?」
「帝国議会に対抗するため作られた、主に軍の人間からなる組織です」
リファの話によると、その集団自体はもう十年以上も前から存在していたのだという。しかし今ほど力のある組織となったのは近年になってからのことで、最近ではその代表者が議会の末席に加わる程のものだった。
彼らは六十年以上も前に失われた王政を復活させる為、議会に対し反対運動をしていた。
「待って、じゃあ何で、その王政派の人間が仮にも王族である僕を……そもそもなぜ、仲間である君と戦ったりするんだ」
「それは、組織が大きくなりすぎたから、と言うべきでしょうか」
大きくなりすぎた組織は、必ず内部に亀裂が生まれ、やがて分裂するのだとリファは言った。
「今起こっているのは、無事王政を奪還した後、一体誰がこのクルシュナ帝国の王になるのかという問題です」
前王が若くして病で亡くなり、次に王位を継承したのはその叔父にあたる人間だった。本来王位を継ぐべき前王の子供達が、まだ幼かったからである。その幼い三人の王子というのが、第一王子のユジン、第二王子のリュウン、そしてイリクであった。
「今の王には跡継ぎがいませんし、白病に侵されもう長いこと床に伏せていらっしゃいます」
「次の王を決める必要がある、ってことか」
リファは頷き、軽く咳払いをすると話を続けた。
「今我々の組織は、誰を次の王にするかで大きく三つの勢力に分かれています」
「三つ?」
「ひとつは第一王子ユジン様を支持する者、次に第二王子のリュウン様、そしてもうひとつは、その二人の王子の跡継ぎ達を支持する者です」
すでに第一王子には三人、第二王子には一人の世継ぎがおり、まだ幼いその四人のうちの誰か——と言うよりは、第一、第二王子派のどちらにも賛同できず、中立的な立場を取っているのがその三つ目の勢力なのだという。表立って対立が激化しているのは、先の二つの勢力だった。
「そんな……僕は、何も知らなかった」
「当然です、貴方は六年もの間この塔に隔離され、議会によって外からの情報を遮断されていたのですから」
イリクはにわかにも信じられないと思った。幼い頃は共に過ごした事もある二人の兄達が、今は一組織をまとめ上げ、互いに対立し合っているのだ。
「今日、あの男がここに現れたのは予想外でした……おそらくは王権争いが年々過激さを増している今、一人でも味方を増やしておこうと考えたのでしょう」
その割にはすぐに殺されそうになったものだと、イリクは有無を言わさず襲ってきた男の形相を思い返し、身震いをした。
彼女、リファがあの時助けてくれなければ、今頃冷たい石畳の上に横たわり、誰の目にも止まらずひっそりと死んでいたかもしれない。いや、確実にそうなった。
「そう言えばリファ……さんは、どうしてこの塔へ?」
「リファで構いません」
イリクは最初、彼女が自分をあの男から助けるために来たのだと思ったが、話を聞くと、どうやらそうではないらしい。当初は何か別の目的があったのだ。
「私は、主君である第二王子リュウン様より、あなたをこの塔から逃すよう言われて来ました」
「リュウン兄さんが? なぜ僕を?」
リファは腰に刺した剣の柄に手を添え、俯いたままで言った。
「このままだとあなたは、ちょうど五日後の朝には処刑されてしまうからです」