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01.       




 町の海岸沿いを西へ向かってしばらく歩き、海側が切り立った崖になっている高台を見上げると、外壁にぐるりと囲まれた立派な建物が見えてくる。

 二年前からここユサの町を治める男、帝都の一級貴族であるフランクリン家の長子エルドーの住んでいる屋敷といえば、町の住民は誰もその場所に近づこうとはしなかった。


 その敷地は王都でも滅多に見ない広さのもので、ここ数年で大幅に増築されたのか、まだ壁や外壁の造りは新しい。そしてその立派な建物を造り上げるために搾取されていたのは、紛れもなくここユサの町の住民たちであった。


 建物は領主の暮らす中央館と、使用人や大勢の憲兵たちが寝泊まりする副館との大きく二つに分かれている。もちろん敷地内には昼夜を問わず憲兵たちが彷徨いており、彼らの目を掻い潜り屋敷に近づくには、海側の崖をよじ登り、裏手の塀を越えるしか方法はなかった。


「なあ……本当にこれ、大丈夫なのか?」


 辺りが薄っすらと明るみ始めた早朝の頃。ひと気のない馬小屋の陰から顔を覗かせ、イリクは尋ねた。

 そこは副館の外れにある小さな馬小屋で、憲兵たちの使う一般の馬とは区別され、領主が個人的に集めた希少な馬たちが収容されていた。それ故に馬の世話をする使用人以外は滅多に立ち寄らず、潜入の準備を整えるにはうってつけの場所であった。


「大丈夫大丈夫、ちゃんと下調べはしてあるんだからよ」


 そう言いながら服を着替えるグレンの足元には、先ほど彼が捕まえた憲兵の男が裸の状態で転がっている。後頭部を棒で殴られたのが相当効いているのか、白目を剥いたまましばらくは目覚めそうもなかった。


「さてと、それじゃあ行こうか相棒」


 剥ぎ取った憲兵服に着替えたグレンは、男を馬小屋の奥に縛り付け、ついでにイリクの両手も縄で簡単に拘束した。

 グレンは以前、屋敷の警護にあたっている憲兵を店で酔い潰し、建物の配置や構造、抜け道などを全て聞き出していた。それ故にここまでずいぶんと手際が良く、本当にただの商人なのかも疑わしいほどに色々と手慣れた様子だった。


 昨晩グレンから告げられた頼み事というのは、一言で言うと領主館への潜入の手助けであった。聞けば領主館の地下にはカルタ商会の幹部が何人も捕まっており、彼らを一緒に助け出してほしいというのがグレンの頼みであった。

 その為の作戦自体は至ってシンプルなもので、憲兵になりすましたグレンがイリクを罪人として拘束し、そのまま地下牢へと向かう。仲間を助け出したあとは地下の抜け道を通って地上に出るという作戦であった。


 イリクはほとんど済し崩し的にここまで来てしまったが、妙な事になったと内心では不安を感じていた。

 実はこの作戦に乗るにあたって、イリクはリファに何も相談しなかった。もしも話せば反対される事は分かっており、何よりリファには宿屋に残ってもらい、あの横暴な憲兵たちからサラを守ってもらいたかった。


「あーあ、どうせ忍び込むんなら、奴の妾の一人にでもお目にかかりたいもんだぜ」

「ああ、あの綺麗な女の人たちか」


 グレンが言っていたのは、イリクが昨日市場で見かけた領主一行の、美しい異国の女性たちの事だった。


「一度でいいから俺も、あんな美女たちに囲まれて生活してみてえよな」

「ええ……七人も? 欲張りだな、一人でいいよ」

「夢がねえな、お前は」


 そんな他愛もない会話を呑気に交わしていると、不意にグレンが後ろを振り返り、イリクの顔をじっと見つめた。

 

「そう言えばイリク……お前ってさ、貴族だろ?」

「え? なに、突然」


 屋敷の裏庭を歩きながら、グレンが言った。


「いや、まあなんとなく……父親が貴族で、帝都じゃ結構いい暮らししてたんじゃねーかな、と思って、世間知らずのお坊ちゃんっぽいしお前」


 当たらずとも遠からず。正確には貴族ではなく皇族だが、やはりグレンの人間観察力は相当なものだとイリクは思った。世間知らずというのも、石の塔でずっと暮らしていたイリクの事を上手く言い得ている言葉だった。


「うん、まあ……落ち着いた暮らしはしていた、とは思う」

「やっぱりな」

「なんでそんなこと聞くんだ?」


 その質問の意図をイリクが尋ねると、グレンは何でもないと言って再び歩き始めた。

 早朝で警護が手薄だったこともあってか、二人は何度か他の憲兵に話しかけられはしたが、無事に地下牢の入り口までたどり着くことができた。

 グレンの憲兵に成りすます演技はそれは見事なもので、きっと役割が逆だったならば、こうも上手くはいかなかっただろうとイリクは思った。


「ん? なんだそいつは」


 地下牢の見張りについていた憲兵が、二人を見て訝し気な様子で近づいてきた。

 その憲兵の顔を見た瞬間、イリクは思わず俯いて顔を隠した。はっきりとは覚えていないが、そこにいたのはおそらく、二日前に酒屋でリファに絡んできた憲兵の男であった。リファに小突かれた顎の下には軽く青痣が残っており、イリクは間違いないと確信した。


「珍しいな、こんな時間に収監者か? しかもまだガキじゃねえか」 


 男はそう言って俯いたイリクの顔を除き込もうとしたが、何かを察したグレンが、素早く腕を伸ばし割り込んでくれた。


「ああ、こいつは町で盗みを働いたコソ泥さ、早いとこ牢にぶち込んどくから、鍵を貸してくれ」

「あ、おい、ちょっと待て」


 グレンは地下牢へと続く階段を足早に降りようとした。しかし憲兵の男は渋ってなかなか鍵を渡さず、自分がやっておくから縄の方を寄こすようにと言ってきた。

 するとグレンは突如イリクの髪を引っ掴み、そのまま勢いよく地面に頭を押し付けると、背中の上にどっかりと座り込んだ。


「おっと暴れるなよ、すまねえな、こいつはガキに見えるけど結構なじゃじゃ馬でな、こうして押さえ付けてねえと何しでかすか分かったもんじゃねぇんだ」


 相変わらず迫真の演技だが、イリクは頭と胸を打ち付けられた衝撃で息が止まりそうだった。そこまで強くやる必要があったのかと言いたかったが、その甲斐あってか、憲兵の男はすっかり怖気づいたというか、単に関わると面倒だと思ったのか、懐から鍵を取り出すとそれをグレンに投げ渡した。


「はいはいどうも、こいつの調教も俺がやっとくから、あとは任せてくれ」

「ああ、程々にな」


 そう言ってグレンはまたイリクの髪を掴み、そのまま地下牢へと続く階段を駆け降りた。途中でイリクが顔を上げ軽く睨みつけると、グレンは謝罪の意をこめてか、片目を閉じ悪戯っぽく笑った。


 階段を降りきると、そこには鉄格子のついた一枚扉があり、どうやら憲兵から預かった鍵はそこで使うもののようだった。

 そして扉を開けると、そこからは長い廊下が続いていて、囚人用の牢がいくつも構えられていた。静かで、完全に日の光からも隔離された薄寒い空間。牢の中にはちらほらと罪人の姿もあり、血のしみ込んだ拷問道具などもあちこちに設置されていた。

 それを見てイリクはふと、石の塔の事を思い出していた。まさかこんなにも早く、再び似たような場所に足を踏み入れる事になるとは思ってもいなかった。


「それで、グレンの仲間は一体どこに捕まってるんだろう」

「ああ、それなんだけど……」


 イリクが振り返ると、グレンは何も言わず突如イリクを手近にあった牢屋の中へと押し込み、素早く鍵をかけた。


「……グレン?」


 イリクは両手を縛られたまま、慌てて牢の格子部分へと駆け寄った。あまりに突然の出来事に、一体何が起こっているのか理解が追いつかなかった。


「わるいな、イリク」


 グレンは憲兵から預かった鍵を床に投げ捨て、そのまま地下牢の突き当りにある梯子を身軽に登り始めた。頭上の天井部分には鉄板の隠し扉のようなものがはめ込まれており、どうやらそれが地下からの抜け道のようだった。


「あとで余裕があったら迎えにきてやるよ、それまでは、そこで大人しく待ってた方がいいぜ」

「え、なんで、ちょっと、待てって!」


 イリクの呼び声も虚しく、グレンはまるで猿のような身のこなしで、天井の穴の中へと消えていった。

 一人牢屋に取り残されたイリクはしばらく唖然と立ち尽くしていたが、やがて騙されたという事実に気が付き、牢屋の格子にもたれかかったまま、ゆっくりと座り込んだ。




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