08.
グレンは、ユサの町カルタ商会で働く商人の一人だった。
今はまだ見習い程度だが、主に陸路での交易を担当し、荷馬車を引いて東大陸の町々を渡り歩いていた。
聞けば彼はこの宿屋でサラに育てられたらしいが、数年前に商会で働くようになってからは、ほとんどここに帰ってくることは無いのだという。それがたまたま荷物を取りに帰ってみると、自分の部屋で見知らぬ人間が眠っており、つい警戒し襲い掛かってしまったという事であった。
イリクは最初、グレンはサラの実の子供であると思っていたが、どうやらそれも違っていた。よく見ると髪や目の色、顔立ちにも共通するところはひとつも見当たらない。サラに夫はおらず、グレンは幼い頃に貧困街で拾われた孤児だった。そしてそれは、サラが母シーラと別れた数年後の話であった。
「じゃあ俺とお前は、まあ境遇的には兄弟に近い存在ってわけだ」
イリクが自分とサラの関係、母の事を簡単に話すと、グレンは納得するように何度も頷き、口を開くなりそう言った。
「だって、言わばまあ、恋人同士だったんだろう? 俺たちの母親は」
「え……そ、そうなのかな」
「何年も一緒に連れ添ってたんなら、そういう事だろうよ」
グレンは少し考えれば分かることだと言って、呆れるように笑った。
「なんだよサラの奴……そんな過去があったなんて、俺には一度も話してくれなかったじゃねえか」
「まあ、まだ本人に聞いてみないと分からないよ」
グレンは少し拗ねたような顔をしており、口には出さなかったが、とても仲のいい親子なのだろうとイリクは思った。そして同時に安心した。母シーラと別れてからのサラが、ずっと独りぼっちではなかったことが嬉しかった。
「悪かったなイリク、突然襲いかかったりして」
「いいよ、僕の方こそ、君の部屋だと知らずに悪かった」
互いに謝罪を済ませると、グレンは立ち上がり、今度は満足そうな笑みを浮かべ手を差し出してきた。
「まあ……ってことだから、よろしくな兄弟!」
おそろしく切り替えの早い男だと思いながらも、イリクはその手を握り返した。先ほどナイフを手に襲い掛かってきた人間とは思えない台詞である。
イリクはグレンに母の事を話しはしたが、自分がクルシュナ王家の血を引く人間で、帝都を脱走してきた事は話さなかった。勝手な事をしてリファに怒られるのが怖かったが、しかしうっかりすると、つい話してしまいそうになる。それくらい、このグレンという男は不思議と人の懐に入り込むのが上手かった。
(兄弟か……でも、ちょっと嬉しいな)
もしもグレンが兄だったならば、さっきのような掴み合いの喧嘩を毎日していただろうか。イリクはサラとシーラ、そして自分とグレンが四人で食卓を囲んでいる光景を想像し、素直に悪くないと思ってしまった。そんな風に暖かい家族と過ごす日常は、石の塔で孤独に過ごしてきたイリクにとっては憧れそのものであった。
「ところでイリク、」
そんな妄想をよそに、グレンはいきなり隣に座ると、肩を組みこちらに詰め寄ってきた。
「客室の方で寝てるあの女は、お前の連れか?」
「え……リファの事? そうだけど」
なぜグレンが別室のリファの事を知っているのかと聞くと、たった一人しか宿泊客がいないのを変に思い、ここへ来る前に少し覗いてきたのだと言う。しかもその寝顔を拝んできたと言うのだから、命知らずな奴だとイリクは思った。おそらくリファは、無防備に寝室への侵入を許したりはしない。もしもイリクにしたように襲いかかっていたならば、グレンはきっと無事では済まなかった。
「へえ……あの女、そんなに強いのか」
「まあ、そうだな、君と僕が束になっても敵わないと思う」
それを聞いて意味深に頷くグレンを見ながら、イリクは彼に尋ねたいことがあると思っていた。
それは彼の所属するカルタ商会が、この町で近いうちクーデターを起こすかもしれないという事。もし本当にそうならば、グレンもそれに参加するのだろうか。
そしてもう一つは、サラの事である。今日押しかけてきた憲兵たちがまた明日もやってきて、今度こそサラが連れて行かれるかもしれないことを、グレンは知っているのか。それを確認したかった。
「あの、グレン」
「わるい!」
不意に立ち上がったグレンはイリクの言葉を遮ると、床に膝をつき、顔の前で両手を合わせ言った。
「さっき会ったばかりでなんだけど、実はちょっと、お前に頼みたい事があるんだ」
「頼みたいこと……?」
その突然の申し出に、イリクは戸惑いながらもとりあえずは話を聞くことにした。




