02.
無事ユサの港へと到着した二人は、積み込み作業と船の修復を終えると、そのまま船を降り町へと向かった。
イリクはワズにだけは感謝と別れを告げたかったが、リファに止められやむを得ずそのまま別れる形となった。何も知らない彼らを、逃亡の共犯者として巻き込まないためにはそれが最善の別れであった。
町は陸地を曲線状に切り取った形をしており、周囲をぐるりと囲んだ赤煉瓦の城壁は、どこか歴史を感じさせる古めかしい雰囲気を醸していた。
帝都以外の町並を生まれて初めて目にしたイリクは、その新鮮な景色と空気に目移りし、しばらくはどこを歩いていてもリファに諌められていた。
「どうやら、この家のようですね」
夜の宿舎街を長い間練り歩き、ふとリファが立ち止まりそう言った。
それは何軒か続く宿屋の一角で、決して大きくは無かったが、所々の色使いなどに凝った小洒落た雰囲気の建物だった。
宿の中には薄っすらと灯りの気配はあるものの、話し声などは聞こえてこない。木板の扉の上に吊るされた蝋燭ランプが、まだかろうじて客の訪問を許しているかに思えた。
リファは後のことは委ねると言わんばかりに、イリクの後ろ側へと一歩下がった。そうなると突如イリクは緊張に襲われたが、せっかく見つけてくれた手掛かりを、今更確かめない訳にもいかなかった。
「こ、こんばんは」
イリクは震える手で、ドアノッカーを二度ほど鳴らした。知らない人の家を訪ねるということが、これほど緊張することだとは思ってもいなかった。
そして店の中から人の動く気配が伝わってきて、ほどなくして、ぎいと音を立て扉がゆっくりと開いた。中から顔を覗かせたのは、エプロン姿に淡い榛色の髪を結い上げた一人の女性だった。
顔を隠し夜な夜な現れた客を少々怪しんでいるようだったが、その佇まいはどこか堂々としていて、少しリファに似て毅然とした雰囲気の女性だとイリクは思った。
「どなた……? 宿泊なら中へ」
その女性が目当ての人物であると何となく確信したイリクは、頭からローブを取り払い、顔を上げ挨拶をした。
「あの……あなたがサラさん、ですよね」
女性の眉が、ぴくりと動く。
「はじめまして、僕はイリクといいます、こっちは友人のリファ……一昨日、帝都から船に乗ってこの町にやってきました」
イリクが名乗ると同時に、リファもローブを外し軽く会釈をした。
サラ、と呼ばれた女性はリファの方を一瞥するも、すぐに視線をイリクへと戻し、険しい表情のまま黙り込んでいた。
「えっと……実は生前母からこの町に住むあなたの事を聞いていて、それで、これを預かってきました」
イリクは懐から封入りの手紙を取り出すと、折れ目を伸ばし女性の前に差し出した。それは石の塔を脱出した時からずっと大切に隠し持っていたものであり、帝都を出てイリクがまず最初にしたいと思っていたのが、この手紙を宛名の人物に届ける事であった。
「母の名は、シーラです、シーラ・ノース」
その名を告げた途端、彼女はあからさまに顔を強張らせ、目を見開き手紙とイリクの顔とを交互に見やった。明らかに動揺し、開いたままの口元が微かに震えているのが分かった。
それでも中々手紙を受け取ろうとはしてくれず、イリクは戸惑いリファと顔を見合わせた。
「あの……」
「知らないわ」
「え?」
すると彼女は突如態度を変え、扉を閉め店の中に戻ろうとした。
「人違いじゃない? 確かに私はサラだけど、あなたのお母さんの名には、全く心当たりが無いの」
「え、そんな……」
「悪いけれど、それは受け取れないわ」
そう言ってサラは店の奥へと足早に引っ込み、扉を閉めようとした。すると後ろにいたリファが素早く割り込んできて、扉の隙間に手をかけ身を乗り出した。その手には、船に乗る際前金として貰った銀貨入りの小袋が握られている。
「じゃあ、今夜泊めてください、お金さえ払えば、別に問題は無いでしょう?」
「……リファ」
サラはしばらく黙り込んだまま考えていたが、やがて折れるように息をつくと、ゆっくりと扉を開け店の中へと導いてくれた。
中はまるで食堂のようにいくつものテーブルが並べられており、水を引いたモップが壁に立てかけられたままになっている。どうやら宿泊客が寝静まり、掃除をしている最中のようだった。
サラは店の奥からシーツと布団を二組持ってくると、何も言わずそれをイリクに手渡した。
「部屋は二階の奥、朝食はここで、一人一泊二十五セントよ、それじゃあおやすみ」
呆気にとられる二人をよそに、サラは再び店の奥へと戻って行った。
イリクは訳が分からずただその場に立ち尽くしていたが、やがてリファが自分の分のシーツを取り無言で二階へ上がっていくと、渋々その後に続いて寝部屋へと向かった。
部屋は四帖半程の広さで、小さなベッドと書卓が置かれているだけの簡素な空間だった。
イリクは一度気持ちを落ち着けるためにも、ローブを脱ぎ捨てベッドに腰を下ろした。そして手紙を見つめながら、しばらくはサラとのやり取りを思い出し悶々と考え込んでいた。すると脱ぎ捨てたローブの内側で何かがもぞもぞと動き、黒い頭が姿を覗かせた。
「……ホロ」
赤目の精霊獣だった。
ホロというのは、大陸神話に出てくる幸運の守り神から名を取って、数日前にリファが命名したものであった。精霊が人に懐くなどという話はあまり聞いたことがなかったが、結局イリクはここまで一緒に連れて来ていた。
「おい、どこいくんだよ」
ホロは音もなく寝床から滑り降りると、部屋の入り口へと向かった。そして僅かに隙間の開いたドアの前で止まると、こちらを振り返った。ドアの向こうで影が揺れ動き、そこに誰かが立っているのが分かった。
「起きていますか、イリク」
「リファ……?」
扉が開き、隣の部屋にいたはずのリファが遠慮がちに部屋の中へと入ってきた。
イリクは思わず背筋を伸ばし、投げ置いた荷物などを簡単に隅へと片付けた。
「リファ、さっきはありがとう」
「いえ……その、」
リファはどこか浮かない様子で、何かを言おうと言葉を選んでいた。そして何を言おうとしているのか、何が引っ掛かっているのかは、なんとなくだがイリクにも察しがついた。きっと同じことを考えていたからだと、イリクは思った。
「差し出がましい事とは思いますが、その……やっぱりちゃんと話をした方がいいのでは?」
「うん……僕もそう思ってた」
サラの態度は、子供でも分かるほど明らかに動揺していた。もしも本当に知らないのであれば、あれほど取り乱したりはしないはずだった。その答えを確かめる為にも、もう一度彼女と話をする必要がある。
イリクはリファにホロを預け、部屋に戻って先に寝るよう伝えた。そして手紙をもう一度手に取り、サラのいる店の一階へと降りていった。




