03.
結局ワズの不安は杞憂に終わったのか、それからの航海は何事も起きないまま、三日が過ぎようとしていた。
海は見渡す限りに穏やかで、北西から吹く風は止むことなく船を緩やかに目的地へと運んでいた。
イリクは初日に言いつけられた通り、一日の大半を丸芋の皮むきと洗濯に費やし、残りは食事の支度や甲板の掃除をしているだけであっという間に時間は過ぎていった。
その間リファとはほとんど顔を合わせる暇もなく、船乗りたちは特別扱いをしないとは言っていたものの、やはり女性のリファには少なからず気を遣うのか、昼間の見張りなど比較的負担の少ない仕事を回していた。
中には下心丸出しで優しく振る舞う船員などもぽつぽつと現れたが、取りつく島のないリファの態度に心を折られてか、いつしかリファは北方の戦地から帰還した女傭兵ではないかと船内で噂されるようになっていた。
イリクも色々話したい事があるとは思っていたが、船での仕事は思っていた以上に過酷で、夜は雑魚部屋に押し込まれいつも死んだように眠ってしまう。それでも塔にいた頃に比べると生活に張りがあり、握った事もないナイフで傷だらけになった手を見ると、生きている実感を強く得られた。
そして何より、イリクは雑用仕事を共にこなすうちに、ワズとは気さくに話せる友人のような仲になっていた。
歳は十以上も離れていたが、ワズは船での生活が長いせいか、航海中に役立つ様々な知恵をイリクに分け与えてくれた。
「ユサの町……っていやあお前、この船の一番最初の経由地になってる町だな」
「え、本当……!?」
イリクはナイフを握った手を止め、顔を上げ目を輝かせた。
二人はもはや溜まり場となった床下倉庫の隅で向かい合い、足元に置いたまな板の上で丸芋を切っていた。
「じゃあ、あと四日もあれば着くんじゃないの?」
「そうだなあ……まあ船足ばかりは風任せだからはっきりとは言えねえが、それくらいだろうな」
ワズは切った芋を鷲掴みにすると、後ろに置いた大鍋に振り返らず次々と放り込んでいく。
「何だお前、あの町に何か用でもあんのか? 言っとくけど、俺たちゃ荷降ろしの間は、観光してる暇なんかねえんだからな」
ワズによると、船は帝都を出発しそのまま南東へと進み、最終目的地は聖地リッカへと繋がる東端の港町クセンだった。そこへ辿り着くまでにはいくつかの町を経由する訳だが、その最初の経由地点となっているのが港町ユサである。
船によっては立ち寄らない場合もある古い港町だが、領主が変わってここ数年の間は、比較的交易にも積極的な姿勢を取っているのだと言う。
「四日かあ……楽しみだなあ」
「お前人の話聞いてる? まあそれ以前に、このまま無事港まで辿り着ければの話だけどな」
イリクは再びナイフを握り芋を切りながら、初日の出来事を思い返した。
「そう言えばワズが初日に見た赤目って、あれ以来出てきてないみたいだけど、一体どんな奴なの?」
「名前の通り、目が赤いのさ、それも三つ目の化け物で、体は黒一面の不気味な奴さ」
話しながら気味悪がるワズをよそに、イリクは自分の大鍋の中をふと覗き込んだ。すると四等分に切られた丸芋に混じって、何やら黒い塊のようなものが鍋蓋に張り付いているのを見つけた。ちょうど丸芋が一つ分くらいの大きさである。
「俺の育った漁師町じゃあ、そいつは船に災いを呼ぶってんで恐れられててな、子供の頃から嫌と言うほど教え込まれたもんだ」
イリクはしばらく様子を見ていたが、とうとう痺れを切らし鍋の中からその黒い塊を引き剥がすと、液体とも気体ともつかないその物体を両手に包み込み、ワズの目の前に差し出した。
「ねえ……それってもしかしてこんな感じ?」
薄暗い地下倉庫内に、三つの赤い瞳が鋭く光った。
その瞬間、ワズの顔からは血の気が引き、そのまま鍋をひっくり返し飛び逃げた。倉庫の床にまだ切っていない丸芋が散らばり、イリクも体勢を崩し一緒になって盛大に転んだ。
「うわあああぁ、で、でたああああ……!!」
そして悲鳴をあげ先に飛び出したワズを追って、その黒い物体は音もなく床の上を這い倉庫内から逃げ出そうとしていた。
イリクは咄嗟に空になった鍋を手に取ると、その黒い物体の後を追いかけた。素早く捉えどころのない動きをしていたが、見失う程ではない。後ろからそっと近づき飛び込むように鍋を覆いかぶせると、イリクはまた芋に足を取られ、そのまま滑るようにして倉庫の入り口下までなだれ込んだ。
「いってぇ……」
ひっくり返った鍋を床に置いたまま、イリクは仰向けになり息を整えた。すると何者かが倉庫の入り口から入る日を遮り、ちょうどこちらの顔が影になるように覗き込んできた。
こんな所を船乗りたちに見つかったら、また怒鳴られ仕事を増やされてしまう所であった。
「……一体何をやっているのですか、イリク様」
顔を覗かせたのはリファだった。横の髪を耳に掛けながら、怪訝な顔でこちらを見下ろしていた。
イリクは仰向けに倒れたまま手を挙げ、誤魔化すように笑顔を浮かべるしかなかった。




