01.
朝の港場が、多くの人で賑わい始める。
海岸沿いに並んだ十隻以上の巨大な帆船、その殆どが商船であり、ここ帝都南自治区の港より、同クルシュナ帝国領の他自治区へと物資を運ぶのであった。
そしてその港に隣接して広がっているのが、朝市である。
船着場に沿ってずらりと並んだ布地の色鮮やかなテントの中では、今朝届いたばかりの物品が安値で売り買いされる。その品を求め集まった下町の町民達は、皆活き活きとした様子で港に賑わいをもたらしていた。
「わあ……」
イリクは感動し目を輝かせた。海岸で揺れる大きな帆船にも圧倒されたが、それ以上にこの人通りの多さである。イリクは子供の頃、一度だけ母に連れられ下町の帝立祭を見に行った事があったが、これはその時の光景を彷彿とさせる賑わいであった。
そして興奮のあまりあちこちに目移りしていると、前方から同行人の鋭い叱咤が飛んできた。
「イリク様、あまり目立たないでください、どこに憲兵が彷徨いているか分かりませんよ」
リファは小声でそう言うと、薄暗い路地に入り込み、周りを念入りに見回した。そして誰もいないと分かると、ローブのフードを取り払いようやくほっと息をついた。
西郊外の塔を離れた二人は、そこから地下道を通りここ南自治区へとやって来た。その頃にはすっかり日も昇り町は人で溢れており、そうなると、逆に地下道を歩いている方が見るからに怪しい。二人は地上に出て人混みに紛れ込み、ようやく船着場まで辿りついたのだった。
「これから、どうしよう」
イリクが尋ねると、リファは路地の入り口からそっと外を覗き、船着場の方を見るよう促した。
「あの、積荷を運んでいる船乗り達とは別に、少し簡素な身成りをしている者たちが見えますか?」
イリクも横からそっと覗き見たが、それはすぐに分かった。
船着場で木箱や樽を運んでいた船乗り達は、皆屈強な体付きをしており、日に焼けた風貌からも明らかに他の町民とは区別ができた。そしてそんな船乗り達に怒鳴られながら、積荷を運んでいるどこか貧相な姿格好をした数人の男たち。薄い布切れを纏い、体は細っそりと痩せこけている。無骨な船乗り達とは、明らかにその見た目が違っていた。
「あれは?」
「日雇いで船に乗る下働きの者たちです。職が無く食いぶちに困った者が、ああして危険な航海に出て日銭を稼いでいるのでしょう」
船ごとに見ると、その数は一隻に対し十から十五人といったところで、結構な数の働き手がいるのだとイリクは思った。そしてその扱いは、まるで荷運びをさせられる動物のようであり、ムチで叩かれたり後ろから蹴られたりと、見るに耐えない光景であった。
「あの者たちに紛れ込んで、船に乗りましょう」
「えぇ!?」
薄々そうではないかとイリクは思っていたが、どうか違っていて欲しかった。
「政府直営の定期便は必ず検問が入りますし、気付かれずにここを出るなら、商船に潜り込むしかありません」
そしてもしも客人として商船に乗り込めたとしても、怪しまれ船乗り達に捕らえられてしまえば、もう逃げ場はどこにもない。政府からの謝礼金欲しさに、彼らは意外にも密航者には厳しいのだとリファは言った。
「だから積み込みが終わったらどさくさに紛れて、二人であそこに飛び込みましょう、下働きならば怪しまれる事も無いですし、港さえ出てしまえば追手は来ないでしょう」
「……二人? ひょっとして、君も一緒に行ってくれるのか?」
イリクは思わず聞き返した。
するとリファは船の方に視線を向けたまま、突っぱねるように言った。
「次の町に着くまでです。私の仕事は、無事あなたを帝都から逃がす事ですから」
「……うん」
「だから、任された仕事は、ちゃんと最後までやりたいんです」
イリクはその場にへたり込み、胸に手を当て安堵した。理由は何であれ、正直これ以上無く嬉しい申し出だった。一人きりで見知らぬ船に乗る不安は計り知れず、自分だけで旅立つと決心したものの、内心は心細くて仕方がなかった。
「ありがとう、リファは優しいんだね」
「やめてください、本当に、次の町に着くまでの間ですから」
「それで十分だよ」
そう言ってイリクが微笑むと、リファは振り返り顔を近づけてきては、長いまつ毛を瞬かせ、じっとこちらを凝視した。
「そういう所は……確かに似ているかもしれませんね」
「え……?」
「顔は全く、似ていませんが」
それからリファは何か食べ物を取ってくると言って、再びフードを被り人混みの中へと戻っていった。そして少しして帰ってきた時には、小さな葉包を二つほど懐に抱えていた。
手渡されイリクが中を開くと、強い香辛料の香りが鼻の奥をつんざいた。こねた小麦を薄く伸ばした生地に、肉や野菜を詰め込んだ下町の軽食料理だった。一口食べてみると、肝心の味付けもかなり大雑把で舌がぴりついたが、空腹のせいか食べ慣れていなかったせいか、イリクにはとても新鮮な味に感じた。
二人は狭い路地にしゃがみ込み、肩を擦り合わせる距離で静かに食事をしていた。
そしてイリクがこっそり横を見ると、リファが包みを両手に持ち口一杯に頬張りながら、顔をしかめていた。
「すみません……私、下町の食べ物には疎くって」
「え、美味いよこれ」
イリクは本心で答えた。
するとリファは包みを下ろし、咀嚼を終えしばらく黙り込むと、徐に口を開いた。
「ひとつだけ、聞いてもいいですか?」
「……ん?」
「あなたが王を目指そうと思った、理由です」
イリクはもう一口大きく頬張ると、ゆっくりと咀嚼しながら、自分の中の考えを言葉にする時間を稼いだ。そしてやはり、考えている事を素直に答えた。
「……何度も夢に見る、女の子がいるんだ」
「夢、ですか?」
イリクは頷き、視線を地面に落としたまま言った。
「よく分からないけど、その子はいつも誰かに追われていて、不安で一杯で、多分だけど、ここにいたんじゃ、その子には会えないような気がして」
リファは小さく口を開けたまま何も言わなかったが、何となく驚いているのは分かった。言いたい事は分かっている。そもそもただ夢に見るというだけで、その少女が本当に存在するという確証はどこにも無いのだ。
「僕はその子を助けたい……んだと思う、そしてもしも会えたら、その子が安心して暮らせるような場所を作りたい」
「それが理由……ですか」
「まあ、他にも色々あるっちゃあるんだけど」
誤魔化すようにイリクが笑うと、ふいに船着場の方から、鋭い笛の音が響いてきた。
二人は同時に路地から顔を出し、様子を窺った。すると船乗り達が怒号とも取れるような乱暴な声掛けで、日雇いの下働きを一箇所に集めていた。
「リファ、あれ……」
心臓がどくんと高鳴り、緊張が全身を駆け巡る。いよいよ出航なのだ。
イリクが次の判断を仰ごうと振り返ると、リファは包みを地面に置き、突如服を脱ぎ始めた。ローブを外し、上着も脱ぎ捨て、挙句黒地の肌着一枚になると、今度は地面から砂埃を舞い上げ、それを露出した腕や首に擦り付けていた。
イリクは思わずその様子をじっと見入っていたが、リファに横目で睨まれ、弾かれたように自分も上着を脱ぎ、砂埃を被った。元々さほど小綺麗な身成りをしている訳ではなかったが、念には念を入れるべきである。
ただ、リファが買ってくれたその肉包みだけはどうしても惜しく、自分でも信じられない速さで全て食べきった。
「じゃあ、行きますよ」
「……うん」
二人は路地を飛び出し、船着き場の方へ向かって走り出した。




