08.
「……本当に、そのように言えばよろしいのですか?」
訝しげに眉を顰め、リファは軍棋の駒をひとつ前へと進めた。
すると正面からすぐにほっそりと白い腕が伸びてきて、その駒の行手を阻むように別の駒を動かした。
「ああ……そうすればきっと、僕が言った通りになる」
リファは棋盤を見つめ、しばし考え込むようにして次の駒を動かした。
「私には、少々主観の過ぎた憶測にも思えますが」
「そうかい? まあ六年も会っていないから確信はないけど、きっと彼ならそうするだろう……少なくとも、僕の元に謙るような器じゃあ無いよ、あれは」
リュウンは顎に手を当て頷くと、自信満々な様子で駒を動かした。
二人は書卓を挟んで向かい合い、いつのまにか真剣に軍棋を打ち合っていた。
「リファ、君は彼と一緒に東へ向かい、エルドラ奥地への手掛かりを探って欲しい」
「……私に護衛をしろ、と言うことですか」
「まあそうだね、塔から出たばかりで何も分からないと思うから、色々助けてやってくれると助かる」
リファは気が進まないと思った。と言うより、その指示の意図がまるで分からなかった。
「あなたの弟君が王を目指す為の手伝いを、私にしろと言うのですか。それでもしも手掛かりを見つけたとしても、弟君がそれをあなたに譲るでしょうか」
「それで弟が王位に就くというのなら、別に構わない……それでこのくだらない争いが終わるのなら」
元々リュウンは第一王子に比べ、エルドラ地方への遠征隊の派遣には消極的な姿勢をとっていた。自分の為に、多くの部下の命を賭ける必要は無いと思っていた。今回の第四回遠征についても、リファを含む一部の過激な派閥メンバーが、自主的に部隊を結成しただけに過ぎなかった。
エルドラ奥地の新天地を見つけた者が、次の王位を継承できるーー。いつの間にかそのような風潮が各派閥内に広がり、主君の為だけに限らず、自らの地位をも守るため多くの兵士が命懸けでその王選に臨んでいた。
「まあ、あなたの命令とあれば私はそれには従いますが……何十もの部隊が足掛かりすら掴めないものを、たったの二人でどうにかなるとは思えませんね」
リファは駒を進め、とうとう王手に迫ると顔を上げ言った。
「それと、もしも途中で足手纏いであると判断した場合、私はすぐにでもルスタム部隊長の遠征隊に合流させていただきます」
「ああ、それで構わないよ」
リュウンは事も無げに王手を回避すると、駒を進め今度はこちらに王手をかけた。しかも、いつの間にか四方を絶妙に包囲されており、逃げ場はどこにも残されていない。詰みだった。
リファは棋盤を睨み付けしばらく考え込んでいたが、とうとう負けを認め、椅子の背にもたれかかり息をついた。軍棋は別に得意という程ではなかったが、ついに一度も勝つことができなかったのは、少々心残りではある。
そんなリファの顔を満足気に眺めていたと思うと、リュウンは少しだけ声を密め、伏し目がちに言った。
「リファ、僕はね……この国の王になりたいなんて、本当はこれっぽっちも思ってないんだよ」
リファは咄嗟に部屋の入り口側を振り返り、辺りに誰の気配も無いことを確認した。
その本音については薄々勘づいていた事もあり特に驚きはしなかったが、誰かに聞かれると全体の士気には影響しかねなかった。
「……ではなぜ、この王選から降りられないのです?」
本音を言えばリュウンという男は、この場所に昼夜一人で篭っては、新薬の開発や医療技術等の研究に打ち込みたいのだろうとリファは思った。幼少期からの病で陽の光を浴びる事すら叶わず、他人と関わる事もあまり好きでは無い。頭が回りすぎるのだ。そのせいで、他人の思惑が手に取るように分かる事も不幸だった。
そんな彼が、自分を付き従う者たちの意志も決して拒まず、この場所で王位継承に向け様々な策を練り続けていたのは、たとえ僅かでも成し遂げたい野心がどこかにあるのだと、リファは勝手に思い込んでいた。だがそれは、違った。
「ユジン兄さんが、何か得体の知れない大きな力に引き込まれ、この国を乗っ取ろうとしている」
「……例の黒衣の男、ですか?」
「ああ、何か分からないけど、嫌な予感がするんだ……だからあの男を王にする事だけは、何としても阻止しなければならない」
とは言え、その戦力差はもはや圧倒的になりつつある。元々王族でありながら勇猛な武人でもある第一王子の元には、多くの軍官が集いその兵力は他の二つの派閥とは一線を画す程のものであった。
三十を超える遠征隊が東大陸各地に散らばり拠点を作っては、さらなる領土拡大へと向け大規模な侵略を行なっていた。もちろんその真の目的は、エルドラ奥地にある新天地の探索である。
「期待しているよ、リファ、君は僕の最後の切り札だ。なまくら兵士をいくらつぎ込んでもエルドラの地は攻略できないという事を、兄上に教えてやる」
そう言うと、リュウンは自陣にとっていた駒のひとつを摘み上げ、それをリファの前に立て置いた。
「量よりも質、という事ですか」
「兵の質……と言えば、結局ロウはあっちに付いてしまったみたいだね。君がいるから、てっきり彼は僕に味方してくれると思っていた」
「え……何故ですか?」
きょとんとした顔でリファが尋ねると、リュウンはまたしても含んだような笑みを浮かべ、言った。
「だって彼は、軍学校時代からずっと君のことが好きだったろう」
「なっ……またあなたはいい加減な事を、あんな血も涙も無い男に、そんな感情ある訳ないです」
「本当に気が付いていないのか……君も一応年頃の女の子なんだから、恋くらいした方がいいよ」
リファは顔を赤くし、絵に描いたように取り乱した。
「お、大きなお世話です……じゃあ私はこれで失礼しますので、後のことはまた追って報告します」
「ああ、頼んだよ……リファ」
逃げるように地下室を飛び出したリファは、扉の前で立ち止まり、今一度リュウンの言葉を頭の中で反芻した。
そして何かを決意するように深い息をつくと、階段を勢いよく駆け上がった。
第一話完です。




