蛙鳴く夜、晩ごはん。
「あ!おかえり」
「おお、ただいま」
源太が風呂炊きを終えて家に入ると、山仕事に出ていた父親が帰ってきていた。風呂湧いてるか?と聞かれたので、じいちゃんが入っとるねんと答える。
ぴょん!便所コオロギが跳ねる。台所からは甘辛い匂いが漂っている。くぅぅぅ、腹の虫が鳴く源太。あー、腹減ったな。じゃがいも炊いたんやった、ゔー、カレーが食べたいな。と思いつつ茶の間に向かう。
ちゃぶ台には既に箸と茶碗が並べられ、いくつかのおかずの皿もある。そろりと手を伸ばし、胡瓜のぬか漬けをひと切れつまんだ。パッと口に入れるとボリボリ食べる。
程よい塩気に糠の甘い匂い、まだ時期が早い胡瓜は皮が薄くガイザの匂いは薄い。もう一切れ、欲を出して手を3出した時。祖父の一喝。
「こりゃ!手ぇぐらい洗わんか!」
ふぃー、とあちい、白のランニングシャツにステテコ姿、風呂上がりの祖父が、手ぬぐいで顔を拭きつつ茶の間に入ってきた。
「ふえ!ごめん、じいちゃん」
首をすくめて謝る源太。台所から母親の声。
「こら!源太、つまみ食いするんじゃないよ!」
ちと涼もかの、と祖父は孫の頭をポンポン、と手を乗せ、座敷を抜け縁側に向かう。お茶入れてこいや、との祖父声に、一応手をズボンやらそこらで抜くうと、大振りな湯呑に番茶を入れ、祖父に持っていく。
「お酒やないん?じいちゃん」
「じいちゃんな、飯の前に飲むと、婆さんおこるけえのぉ……、婆さんこわい。そじゃ、ガッコから何も持って帰ってへんのか、またお母さんに尻叩かれらあな」
ゲロゲロ、ゲロゲロ、けろけろ、けろけろ、蛙の声が聞こえ始める。文月になれば、カナカナカナと日暮が響くように声を流すのだが、今は蛙の合唱の季節。
「あー?んー、えー、本読み……」
面倒くさいなぁ、と放り出したままのランドセルを、ちらりと見た。早くご飯でけへんかなぁ、と思いつつ、宿題は!と言われることはわかっており……、
よっしゃ!じいちゃん聞いちゃろと、グビグビお茶を飲み干しした祖父の申し出を断りきれず……、源太はしおしおと、ランドセルを拾いに向かう。
「あ、えーとぉ、国語の何処やったか?」
取り出した連絡帳には、黒板のそれを適当に、見取って書いた文字が並んでいる。
「本読みやから国語じゃろ、算数本読みするんか?」
祖父がからかう様に話す。
「あ、えーとぉ……」「ご飯ができたわよ」
声を出して読む様に、そう言われているページを探していると、母親の声がする。パッとちゃぶ台を見ると、湯呑みに冷酒を入れ、美味しそうに飲んでいる父親の姿。
「あー、飯に間に合った!ただいま」
ガラガラ!と引き戸が勢いよく開き、兄が帰ってきた。
「お!飯じゃ」
祖父がよっこいしょっと立ち上がる。宿題……源太は少しばかり考えると、茶の間に背を向けると、きちんと座る。そして、教科書を手に取り急いで開く。
上下逆になっていたが、気にはしない。むにゃむにゃむにゃ……と、適当に読んだふりをする。
「お!源太宿題済んだのか」
入ってきた兄が逆さの教科書に気が付き、くすくす笑う。弟の頭をわざと力を込めて、ゴシゴシと撫でる。いててて、兄ちゃん痛い!ヤメロと大声を上げる源太。
「おや、珍しい、明日は大雨が降るんとちゃうかいね」
鍋を運んで入る母親が、教科書を振り回している息子を見て言う。
「梅雨やけん、明日からピーカンの晴れが続くんや!な、源太、逆さまでも読めるっちゅううんは、流石やで」
「逆さま?なんやそれ」
よっこいしょ、と座る兄。源太に、逆さま?と聞きつつ、父親はちっと飲むか?と長男に聞く。兄はその声に、ほな、と伏せてある湯呑を上に向けていた。
「何もあらヘん、宿題すんだんや!な!じいちゃん」
兄がくいっと飲んでるのを見ながら、教科書を放り出し、これまた飲んでいる祖父の隣に座る源太。祖母が炊きたてのご飯を、よそって差し出すのを受け取る。
じゃがいもと玉ねぎやら人参、鯖缶を入れて甘辛い煮物。ほうれん草のお浸し、竹輪やお揚げさん、小さいじゃがいもやら玉ねぎやら煮干しが混ざった味噌汁。胡瓜のぬか漬けに、金平牛蒡、山葵のお浸しが出されている。
「この山葵、摘んだん俺やねん」
旨いなと父親や兄がつつく山葵のそれに、源太は嬉しくなり、報告を欠かさなない。
「ほう、ようやったな」
祖父がそう言うと、箸でつまんで口にする。母親は父親に、今日の出来事を、明日から卵の配達を頼まれた事を話している。
兄は、そりゃ源太の仕事だな……、と話している。兄ちゃん!働きに行ってからって、狡い、俺も学校あんのに……と、一応文句を言ってみるが相手にしてはもらえない。
「ほれ、二人ともおかわり」
祖母が、はや空になった汁椀と茶碗に気が付き、言ってくる。順番に差し出し受け取る、兄と弟。
「そいや兄ちゃん、あっこの家に行ってたんやないんか?」
近隣で大工仕事をしている兄が、青い屋根の家に行ってたことを源太は思い出し聞く。
「行っとったけど……あっこは大外地の吉やんの家の持ちもんやろ、詳しい事は知らんし」
「借りたちゅう話しが寄り合いであったが……、親戚やったけえのぉ?街に確か……昔、誰かが、嫁に行ったんがおったか……婆さんそやったか?」
父親が話を引き取る。
「嫁とはちゃう、よっちゃんやったかね、器量良しじゃったけど……、こっちの学校には行っとらんわ、小さい時に養子にいったさかいに、でも来ちょるお方は、よっちゃんの孫やらなんやら、ちゅう話やけど……」
ふーん、で、結局、誰やねんそれ。源太はご飯をかっ込みながら思っている。祖母も母親も父親も、そして勿論祖父も、そしてあろう事か、頼みの綱であった、仕事に行っていた兄でさえ、青い屋根の家の住人を知らないのだ。
大人ちゅうんは、あれこれよう知っとおけど、わけのわからん話するわ。いっつもそうやねん。
ぬるくなった味噌汁をずずず……、取り分けたおかずを、もぐもぐ、ホクホク食べつつ、で明日から持ってくのは俺なんやけど、誰に持ってくねん?ちゃんと教えてほしいわ、と三回目のお代わりをしつつ、腹の中でぼやいている。