火起こしパチパチ、サワガニチョロチョロ
客人が帰り、げんこつを息子に喰らわした後、止めていた仕事を始める母親。父親が、ドラム缶を切って作った竈に火を起こすと、頭をさすっている源太に言う。
古新聞に焚きつけ用の杉葉、木っ端や薪を取りに、家の裏手へと駆けて行く。洗濯物をといれ、縁側に置き手早く畳む母親に言い付けられた仕事をこなす、日々の風呂炊きは、彼の役割なので手際は良い。
窯口に新聞紙をくしゃくしゃと丸めて入れ込む。その上に乾いた杉葉、端の中から薄く細いのを選び乗せる。マッチをすると紙の端に火をつけた。
メラメラ、と柔らかく丸めたそれか燃え上がる。枯れた赤茶色い杉葉に燃えつく様に、息を吹きかけ勢いに手を貸す。パチパチパチ、白い煙が立ち上がる。木っ端に火が移ると、少しばかり太い切れっ端を何本か乗せ、燃える勢いを強くする。
バチパチバチパチ煙の色が変わる、目に染む白い煙が薄くなる、熱が上に上がる。充分な大きさになり、勢いよく踊る炎が産まれた。太い薪を数本放り込み彼の役目が終える。
「ご苦労さん、ついでにそこにある筵広げてから、ばあちゃんが『ケケヤスメ』で、摘んでっから行ってきてや」
家の中から鍋を抱えて母親が大きな鉄鍋をぶら下げ、機嫌よく出てきた。ゴトリと地べたに置くと、中に入れ込んでいた、木の蓋をした一回り小さな鍋を取り出す。
「なにそれ?」
源太は言われた通り、物干し竿に干してあった、筵取ってきて広げると、しゃがみ込み、蓋を開けながら母親に聞く。
「晩のおかず、鯖缶とじゃが芋、婆ちゃんが新玉ねぎをちょいとひいたんや、熾火があるから、すんだらここにのせよと思ってな」
そう答えつつ野良着のポケットから、くたびれた軍手を取り出しはめると、深い鉄鍋をよいせっと竈に置く。暴れる火を、少しばかり大人しくなるように、窯口から鉄の灰掻きを扱い、薪の位置を動かす母親。
大きな背負カゴに押し込んでいた茶の葉を、両手で掴むと鍋に入れる。竹を削って作った長い箸で、それを焦げ付かさぬ様に手際よく、かき混ぜ始める。
パチパチ、火の小さく爆ぜる音と、バチバチと葉が火に焼かれる大きな音、香り立つ青臭く甘いと煙の匂い、しばらく眺めていたのだが、また怒られるのもあかへん、と思い、カゴから放り出された、袋を前掛けにしたような紺色の大きなそれを拾うと、言われた場所へと走って行った。
「ばあちゃん!どこや?」
ケケヤスメと呼ばれている山際の田んぼの土手には、茶の木があちらこちらに植えられている。ピリピリ、チチ、チチチチチ……小鳥の声が響く中、どこやねーん!と大声を出しながら農道から畦道に入り込み走る。走る走る。
どれもこれも綺麗に摘まれた茶の木が、斜面に、ここ、そこ、あちら、そちら……、何処も今年の二番茶は摘み終えたのか、人の気配がない、とろりと湿気の多い風が吹いている。
どこやねん、上か?真ん中?川っぷち?と目をやりつつ、家の田んぼを、畦道を上に登ったり、下りたりして探していた。
……、あれ?あ!カゴや!おったぁ!いっちゃん奥やった!
と見覚えのあるそれに近づけば、濃く硬い古葉ばかりになった茶の木には、誰もいない。背負カゴには摘んだ茶葉が、ぎゅうぎゅうに押し込められ、一番上に、パンパンに膨らんだ前掛け袋が、くるくるくると腰紐に巻かれて、カゴの中身が膨らまぬ様に重石にされていた。
「なんや、おわっとっし……あれ?ばあちゃん?ばあちゃんばあちゃん、ばあちゃん、あああん!どこいってぇん?どこやぁぁぁぁ」
呼びかけに答えるのは、深山からヒヨヒヨ聴こえる声。と響く自分の声、じーじーと小さく鳴く春セミの声に、チョロチョロ……水路を流れる水の音。
……おらへん!なんでや!どこいった!もしかして、転がり落ちたんか!
慌てて源太は、刈られた土手から下の田んぼに、身をのしだして、きょろきょろと探していると、ほーい、こっちや、と川の方から声が上がった。
「ばあちゃん!おった!まくれたんかと思ったで!」
川へ向かうのならば、下の畦道からではないと降りられない。なので身体を斜にし、茅や蓬や葛が刈られた土手を、ざざ、ザザザと降りていき、着地点が見えると、とお!とひと声上げて飛びおりた。
「こっち、こっち、なんや来てくれたんか」
畦道の突き当り、わっさわさ、刈らずに置かれている茅が、ツンツンと葉の先を尖らせ伸びて、しなるように垂れ下がっている。草の壁の向こうに側は、山裾を這うような渓流がある。
石をいくつか組み合わせ、階段の様な川へと降りる道をゆけば、祖母が川辺に座り、指先を黒くしながら、せっせとフキの葉を千切っていた。
「終わったん?」
「そやで、ほやからフキ取ったんや。帰ったら湯がいて、皮剝かんとあかんな。ええとこ来たわ、その袋に入れて帰ろう、源太、水入って山葵つめ」
川幅は狭く、石がゴロゴロしている渓流、歩いて渡れる向こう側にある小さな畑では、祖母が山葵を少しばかりそだてていた。母を手伝い火を起こし、ここまで走ってきた為に、汗みずくな源太は大喜び。
さすがばあちゃんやで!と、持ってた袋を放り出すと、靴を脱ぐと裸足になる。コラコラ気いつけんかいな。と元気な孫の姿に笑う祖母。
涼し気な音を立てて水が流れている。上流にある、河童の穴と名がある、とぷんと深い窪みには、年老いた山女魚がぬるりと、円を描くように泳ぎ住んでいる。
石にぶつかり、水しぶきが小さく産まれて、空に丸く弾けている。穏やかに流るるその姿は、晴れの日が続いている時の顔、叩きつける様な、大雨が降り続けば、姿は一変する。
轟轟と茶色い水が山から降りてくる。ゴロゴロ、ゴゴゴゴ、腹に響く様な音を混ぜて流れる。川辺近くの土をえぐり、草を抜き去り、木をなぎ倒し、石を岩を動かし進む水。今は、梅雨の晴れ間が続いているせいか、穏やかな顔を見せていた。ここ数日雨が無いので、水の量はそれほど多くない。
ざざざざ………勢いよく澄んだ水が、機嫌よく石にぶつかり飛沫を小さく上げ下に下にと進んでいる。川底の石ころを踏みながら、向こう岸へと渡る源太。
……、あー!いれもん持って来んやったぁ!ここ、カニ!おるやんか!
思いついて、渡りきった先で、試しに岸辺近くの石を、そろりと動かしてみる。水がちょろりと入り込む、下からチョロチョロ、カサカサ……と慌てて沢蟹が逃げ出した。
パッ!と何も思わずに手が出た。親指と人差し指で甲羅をつまむ。ウゴウゴとよじるように、ハサミを動かす沢蟹。
「ばあちゃん!カニおった」
くるぶしにあたり、冷たい水がくるくると回るように進む。源太は、手にした蟹を見る。威嚇する様にハサミを動かしている。小さいが挟まれると、それなりに痛い。
……、いれもんないしな……、一匹じゃおかずにしてくれへん、また来よ。
そう思いしゃがみ込むと、ジャリジャリとした川砂と小石が混じる場に蟹をおいた。
沢蟹は慌てた様に、カサカサカ……と逃げていった。