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源太とカヨとかけっこと

 六月水無月のひんやり冷えた朝。標高が高い源太の地域は、梅雨寒という言葉がピタリと当てはまる。前夜降っていた雨は上がり、本道にはところどころ、大きな水たまりが出来ている。映る青空の色はまだ薄い。


 山間の集落に満ちる空気には、昨夜降った雨が地面に、木々に草むらに田畑にたまり、それが立ち上がり靄を創り出しているような時刻。


 大きく息を吸込めば、炭酸が抜けたラムネの様な甘さが口に入り込む。鼻に抜ける緑の匂い。燕がスイスイと気持ちよさそうに飛び回り始めている。チチチチ、チチチチと小鳥の声。


「ほい、おはようさん」


 黒のゴム長をカポカポしながら歩く源太に声がかかる。田んぼの水を見に行くご近所さんの姿。おはようおばちゃん。そう応える源太。


 ジャボジャボ。深い水たまりも避けることなく歩く。この為のゴム長なのだ。卵の入った手籠をつい振り回したくなるのを、ぐっと堪えている。


 卵の配達は時々駆り出されるのだが、大人しく運べと言いつけられているためか、普通に歩くより何故か酷く、くたびれるので苦手な手伝いのひとつだ。


 ……、あー、つまらん、つまらん。走ってもええかな。転ばんかったらかまへんやん。


 ブツブツとぼやきつつ、おはようおっちゃん、配達やねん、と出会えばきちんとあいさつをかえし歩いていると……、


「あ?なんでアイツがおんねん!」


 目の前を歩くカヨの揺れるお下げ髪が目に入る。


 ……、そういやカヨんちヤギおった。


 自分と同じだろうと思いついた源太は、籠をしっかりと持ち直すと歩く速度を一気に上げた。じゃ、じゃ、じゃ、まだ乾かぬ地面を音立て進む。そして横をすり抜けながら一言。


「……、はよ!」


 ぶっきらぼうに言い捨てた。先に立つ源太。


「………!」


 くっ!なんやねん!カヨがイラッと来たのは言うまでもない。こちらも瓶が入れてある手提げ袋を、しっかりと持ち直す。お下げを振りながら、負けじと赤いゴム長でズカズカと早歩きをする。


「お、は、よ、う!」


 ズイっと前に出ながら、言うカヨ。


「………!」


 チッ!なんやねん前に出んなや!と言わんばかりにすぐさま追い抜かす源太。カヨも負けじと抜き返す。


「源太ぁ!うちの方が先に歩いてんだから、あんたは後ろ歩くんや!」


「はあ?俺の方が先に家出てるんや!お前が後ろ歩くんや」


 わけの分からぬ事を真剣に言い合いつつ、お互い大股で抜きつ抜かれつ進む二人。


「はあ?なんでやねん!うちの方が先に、道を歩いてたんやろ?あんたは後から来たやんけ」


「はあ?お前の家が大外地(おおがいじ)よりなだけやんけ!俺の家のほうが遠い!やから後ろ歩けや!」 


 ズイ!カヨが出れば、グイ!と源太が出る。


「おはようさん、朝からなかよしさんやねえ」


 張り合いつつ進む二人に、笑いつつ通り過ぎざまに声をかけるご近所さん。おはよう、おばちゃん。と大声で返す源太。負けじと声を張り上げて応えるカヨ。


 ……はあ?なかよしさんってなんやねん!こいつとはそんな事ずえったぁぁぁぁい!ほんなことは無い!


 源太はギリっと横目でカヨを睨む。


 ……、げぇ!なかよしさんってなんやねん!こんなのとなかよしやったら死んでしまうわ!ずぇったぁぁぁぁい!イヤやぁ!そんなのなしやで!おばちゃん!


 カヨはキッと源太を睨めつける。


 ずんずんと進む。集落の外れ近の田んぼばかりの土地ににたどり着く。本道から山に向かう脇道に入り、葡萄棚のある家に向かう二人。草茫々だった小道は、綺麗に刈られて歩き易くはなっている。その昔切り開かれ小さなぶどう園があった場所。


 源太が小さい頃に、持ち主が収益が合わぬと片付けられたぶどう園。しかしハイカラな建物の家は残され、村に住む親戚が引き取り管理をしていた。


「……、誰が住んどんやろ」


 平屋の家がポツンとある。たどり着いた源太が言う。


「……、そんなの知らんし、お化け屋敷やったんが綺麗になっとるわ」


 はよ置いて帰ろ、カヨは葡萄棚がある表口に向かわず、裏手の勝手口へと向かう。慌てて源太は後を追う。


「源太の兄ちゃんが直したんやろ?知らんの?」


「うん、知らんって言うとった」


 知らぬ家の敷地の知らぬ空気が、二人の張り合う気を薄めている。サワサワと柔らかな草地を踏みしめ歩く二人。ぐるりと周り込み着いた勝手口は閉められている。


「ふーん、そうなん……、えっとぉ……、源太あんた男なんやから先にどーぞ」


 綺麗にペンキが塗られた戸を前に、カヨが話す。


「ええ!知らん家やん……」


 まさか自分が戸を開ける事になろうとは思ってもいなかった源太は、少し狼狽えた声を上げる。


「ええ!男のきんぱちのくせしてよういかへんの?」


 わざと大げさに驚くカヨ。


「ぐぬぬ……、そ!そんなことないわい!」


 ……、声をかけて誰も出てこなければ、上がり口に置いとくように。


 そう言いつけられていた事を思い出す。ブリキの取っ手を握ると、ギィ……引き開ける。恐る恐る中に声を掛けた源太。そこは田舎の家では珍しい、床が板張りの台所になっていた。


「こ、こんにちわ……」


「あほちゃうん!おはようございますやろ!」


 後ろで立っていたカヨが速攻、ツッコミを入れた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これはどうみても仲良しさんですね♪
[一言] >朝からなかよしさんやねえ 全くでんなあ
[一言] ほのぼのな喧嘩ですなぁ〜
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